第13話 バッドコミュニケーション

 マニュー=ヘクトールは小柄な少女だ。

 西ギルド長ガンダリアン=ヘクトールの実子である彼女は、親の体格からひどく大柄な女性だと勘違いされることが多いが、むしろ同年代の女性よりも背が低く華奢に見える。

 しかし、父親と元B級パーティの母親の力を余すところなく引き継いでいるために、経験不足ながらも、生半可な探索者や低級のパーティが足下にも及ばない強さを持っている。

 小さいのに強い。

 可愛いのに強い。

 何かをきっかけにして、王都ストラドスにそんな噂が広がった時期がある。『小巨人(リトル・タイタン)』と非公式に呼ばれるようになると、マニューの顔を一目見ようと全エリアから探索者が殺到した。

 薄水色の髪に、透き通る同色の瞳。椅子に座った姿が、まるでお人形のようだと、誰もが口にした。

 マニューは戸惑った。

 ギルドの訓練場でガンダリアンと訓練に励む彼女を、こそこそと覗く者まで出たからだ。剣を振るよりも、体術を習得するよりも、休憩時間に飲み物でのどを潤す姿が喜ばれた。

 幼いマニューは恥ずかしかった。ぎゅうっとスカートを掴んで、父親に何度も抗議した。

「お父様、マニューは恥ずかしゅうございますです」

 がさつなガンダリアンに似て欲しくないという理由で、母親が丁寧な言葉遣いを教えた。けれど、父と似たり寄ったりの母が教えた言葉はおかしかった。

 そうこうしているうちに、しゃべり口調がかわいいと第二の噂が広がった。人が波のように押し寄せ、一時期、西ギルドは大盛況となった。

 受付嬢も十人以上いた時期だ。

 西ギルドに登録する探索者は日々右肩上がりで増え続け、ギルドハウスは毎日混雑していた。

 マニューは集客の要だった。

 しかし、成長とともに、マニューは段々いらだちはじめた。『巨人(タイタン)』の娘である自分が、なぜ可愛さでしか認められないのか。

 私はこんなに強いのに。窓口にやってくる探索者よりも強いのに。

 不満がゆっくりと溜まっていた。

「お父様、マニューはもうお人形扱いは嫌なのだです」

 父親はひどく焦った。おとなしかった娘のささやかな反抗は、天と地がひっくり返るほどのものだったのだ。

 ちょうど、母親が「腕がなまるから」という理由で他国に行ってしまったことも原因だったかもしれない。

「探索者になりとうです」

「待て、マニュー、『宮殿』は危険だ。成人までは待つんだ。そうだな……しばらく、パパの副官として経験を積むんだ」

 ガンダリアンの苦し紛れの言葉に、マニューは目を輝かせた。憧れの父の下で手伝いができるということが、とても魅力的だった。

「ママがマニューに教えた言葉遣いも直そう。バカ丁寧語は良くない。パパはもっと男らしいしゃべり方が好きだ」

「はい、お父様! マニューはがんばるです!」

 その日、マニューは王国で最年少のギルドの副官となった。



 ***



 生い茂った森の中を、輝く銀鎧に身を包んだ人物が進む。

 マニューだ。

 副官となって三年。強化服は軽いので鍛錬にならないという理由から、ガンダリアンには鎧を与えられている。

 おかしな丁寧語は卒業し、今では分別のつく少女に成長している。

 父親よりも考えが深く、最初はお人形扱いだった彼女も、立派な副官である。


「森に入るのは、ちょっと早まったかな」

「少なくとも、事務職の私は必要なかったでしょう」


 後ろから皮肉が飛んだ。

 マニューの右後方を歩くのはハヅヤ=シーリンという名の補佐官だ。役割は参謀に近く、学校に行かない彼女の勉学の先生でもある。現役時代はC級パーティの一人だった。ひたすら《回避》スキルを鍛え、『逃げのハヅヤ』という異名を得たほどだ。

 事務職ではあるものの、森の中を歩いた程度で息切れを起こすようなことはない。

 ガンダリアンが与えた補佐官だが、マニューはハヅヤが好きじゃない。

 ぼさぼさの茶髪にわずかなたれ目。

 よく知る人間――リーン=ナーグマン――にそっくりだからだ。


「ハヅヤ、あれ出して」

「もうストレスをお感じに?」

「ぶっ飛ばされたいの?」

「お父上譲りの力で殴るのはご勘弁を。今すぐ出します」


 ハヅヤは軽く肩をすくめて背嚢から小さな木箱を取りだした。表にはにっこり笑うマークが描かれている。

 『ハッピーチョコレート』という、『にこにこ屋』の有名なお菓子だ。とても安く子供でも買える価格だが、量が多いうえ連続で食べられないほど甘いという特徴がある。

 ハヅヤの背嚢の中には、このお菓子が三箱ほど詰まっている。箱をスライドさせ、中から現れたチョコレートを空に放り投げる。

 マニューが見もせずに受け取り、口に放り込む。上品さのかけらもない動きだが、今の彼女はとても自然体だ。

 お人形はとっくに卒業した。


「あまーい。生き返るー」


 マニューは頬を押さえて眉を寄せた。甘すぎるお菓子だが、食べなれた彼女には癒しを与えてくれる。

 ハヅヤがため息とともに言う。


「毎回、毎回そんなに嬉しそうにお食べになるのに、戴くときは、なぜあれほど不機嫌なのですか? あれではリーン殿が報われないと思いますが」

「うるさいなぁ」


 マニューの歩幅が知らず知らずのうちに大きくなる。嫌いな男に似てるハヅヤから、嫌いなリーンの話を振られて、あっという間に機嫌が悪くなった。

 彼女がリーンと初めて出会ったのは何年も前になる。

 ガンダリアンと仲が良かったリーンは、「うちの娘を何度でも見てくれ!」という言葉を素直に受け取り、何度も西ギルドに足を運んだ。

 物心つく前のマニューの一番記憶に残っているのがリーンなのだから、訪れた回数はかなり多かったはずだ。

 けれど、よく覚えている本当の理由は、リーンが来るたびに『ハッピーチョコレート』の箱を買ってきたからだ。

「はい、幸せを買ってきたぞ」と笑って差し出す姿は忘れない。

 リーンはいつもマニューのことを考えていたはずだ。なぜかぼろぼろの姿で現れた日や、前触れもなく嵐がやってきてずぶ濡れでやってきた日も、リーンは必ずチョコレートを片手に持っていた。

「これ買うとね……どうしてかわからないけど、『警報』がましになって幸せなんだ」

 にっこり微笑むリーンの言葉の意味はよく分からなかった。

 でも、リーンも幸せになると聞いて幼いマニューは嬉しかった。『ハッピーチョコレート』がマニューとリーンをつないでいるようで、ドキドキした。

 いつしか、マニューは「このお礼をどうやってしようか」と考えるようになった。

 彼女ができるお礼なんて限られている。

 リーンは何を喜んでくれるだろうか。

 マニューは困ってガンダリアンに「何かお礼したいです」と尋ねた。

「抱っこがいいな」

「抱っこ?」

「マニューを抱っこできるのが一番嬉しい」

「そうなのです……抱っこです!」

 気の早いマニューは早速実戦した。

 なぜかズボンの膝がやぶれた姿のリーンに、「リーン、マニュー、抱っこしてです!」とせがんだ。

 しかし、返事は良くなかった。

「あまり僕と触れ合わない方がいいかな。巻き添えにすると怖いから」

 何度か挑戦したものの、リーンは絶対に抱っこを拒否した。とてもショックだった。

 マニューはまた父に尋ねた。

「抱っこはダメです。他にお礼あるです?」

「パパはお手紙がほしいな」

「お手紙いいです!」

 早速マニューは手紙をかいた。

 ――このまえ、かみがこげてたのはどうしてです? ちょこれーとありがとです。

 拙い手紙だった。でもリーンは受け取ってくれた。

 マニューは嬉しくなった。もっとたくさん手紙を書こう。

 ケガをしているリーンに質問しつつ、お菓子のお礼を書いた。

 けれど、三回目からリーンは手紙を受け取らなくなった。泣きそうになるマニューに、リーンはしゃがみ込んで目を見て言った。

「マニュー、手紙は嬉しいよ。でもね……なぜか君の手紙には……変なパワーがあるんだ」

 意味はわからなかったが、リーンが手紙を嫌がっていることはわかった。ひどく悲しかった。『ハッピーチョコレート』を大量に食べてふて寝した。

 それ以来、マニューは考え始めた。

 もしかしてリーンはマニューを嫌っているのでは、と。お菓子を渡すのは、それを食べている間は相手をしなくて済むからでは、と。

 そうして、幼いうちに積みあがった不満は、リーン嫌いへと発展した。

 大人げなく、「別にチョコなんていらない」と突っ返したこともあったが、それでもリーンは、いつも買ってきた。

 成長した今なら、ただの八つ当たりだったとわかるものの、今さら簡単に態度を変えられない。

 そして、今はそれにも増して気に入らないことがある。


「私を、いつまで子供扱いするのよ。マニュー、マニューって気安く呼んでさ。私、これでもモテるのに」

「副官、声が漏れてますが」

「あっ――」


 マニューは慌てて口をふさいだ。幸い聞こえていたのはハヅヤだけだ。

 目の前でリーンに似た顔をにらみつける。どこからか「意地ばかりはって困った子だ」という幻聴が聞こえて、恥ずかしさよりも、むかむかした。


「ああっ、もう! 探し人は見つからないし、もう西エリア終わるじゃん!」

「西ギルドがピンチですね。ギルドマスターの雷が落ちなければ良いですが」

「まるで他人事みたいに――って、え?」

「おっと、これはひどい」


 マニューたちは足を止めた。とうとう森を抜けて北エリアとの境目にあたる峡谷に到着してしまった。

 底の見えない深い谷が、けわしく入り組んでいる。

 そして、目の前にかかっているはずの石橋が――落ちている。


「落ちたんじゃないでしょうね!?」

「可能性はゼロではないですが、橋は先月に補強したところです。予算が厳しいのでよく覚えております」

「そうだっけ?」

「ほら……副官が、ここでばったり出会ったリーンさんに強襲して――」

「それ以上言わなくていい」

「で、勢い余って落として――」

「うるさい、うるさい! そ、そんなことより、足跡とかどう?」


 マニューが後ろに続いていた部下数名に尋ねた。

 そのうちの一人が確信めいた顔で頷く。


「どうも、誰かが追われていたと思われます。モンスターの足跡と、二人分の人間の足跡がいくつか残っています」

「それよ! でも、ってことは、本当に落ちた?」


 マニューが谷底を覗き込んだ時だ。返事の代わりに、どこからともなく、獣の遠吠えが響き渡った。

 全員の顔が引き締まる。そんな彼らを見回し、凛とした声が響いた。


「やれることはやるよ」

「もちろんです、副官。谷を降りる程度、造作もありません」

「じゃあ、誰か三人」


 屈強な戦闘要員が次々と進み出る。

 迷いなど微塵もない。誰もがマニューの指示を待つ者だ。

 お人形のようなマニューが変わったあと、西ギルドから潮が引くように人が消えた。ガンダリアンの無茶についていけなかった探索者たちが多かったのも理由だが、マニューが良い子の振る舞いをやめたせいもあるだろう。

 けれど、そんなマニューをずっと支え続けてきたメンバーは信頼のおける人間たちだ。

 マニューが嬉しそうに頷いた。


「私たちは近辺の捜索の継続。あなたたちは谷底の確認を」

「了解!」

「この辺りは『宮殿』は無いけど、気をつけて」

「承知!」


 三人は弾かれるように谷底に飛び降りていった。

 マニューは頼もしい背中を見送ったものの、何か得体の知れない存在を近くに感じ、一縷の不安に苛まれた。

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