第11話 愛のままにわがままに

 口内の何かを飲んだ。

 生暖かい。

 柔らかいものが頭に当たり、フローラルな香りを感じつつ目を覚ました。

 目の前には、心配そうなキャナミィがいた。


「リーン、大丈夫? ごめんなさい。まさかここにいるとは思わなかったから。強めの魔法使っちゃった」

「やあ、キャナミィ、相変わらずすごい精神魔法だね。おかげで……いい夢を見たよ」


 何カ月ぶりかのひどい夢だった。

 全身は汗びっしょりで、体もひどくだるい。さきほど見た探索者たちの様子を思い出した。

 きっと、僕も激しく痙攣していたのだろう。

 だが、まさか夢の中にメイナ=ローエンが出てくるとは思わなかった。

 夜闇の中を背丈の低い誰かが近づいてきたと思えば、それは色の違う両目を輝かせるギルドマスターだった。

 夢だと気付かない僕は「機嫌悪そうな顔して、どうしたの?」とフレンドリーに話しかけた。

 地獄はそれからだった。

 メイナは見たことも無い雷竜を呼び出し、荒れ狂う雷を辺りに落とした。一撃一撃が地面に大穴を開けるのを見て、僕は肝を冷やして即座に逃げた。

 が、彼女と雷竜はしつこく追ってくるのだ。

「殺してやる!」という怒声、「逃げるのか、腰抜け!」という罵声。

 よく考えれば本物のメイナは絶対に言わないセリフなのだが、一撃で死ぬかもしれない落雷エリアから逃げるので必死だった。


「……なぜメイナを?」

「だって、あの人嫌いなんだもん。怖いし」

「……そう」


 僕も怖い。

 遠目に見るだけの探索者は、メイナを怖がらないようだが、間近で戦闘を見た人間は恐怖を叩きこまれる。

 だが、彼女の戦闘スタイルは――笑って殺せ、である。


「夢の中のメイナ、怒ってたよね?」

「だって、外見にだまされてる人が多いから、本性はあんな感じだよって教えてあげないと」

「……そう」


 聖母のように笑うキャナミィは、「よくできてたでしょ?」と僕の頭を抱えて胸に押しあてる。

 外観にだまされる、という意味ではキャナミィも同じなのだが、この場では言わないようにしておこう。

 僕は、彼女を押し離すようにして、のろのろと立ち上がった。

 本当に麻痺しているわけでもないのに、体の動きが悪い。精神魔法おそるべし。


「ほんと、あんたって、ふつーな感じ」


 手を貸そうとするキャナミィの奥から、軽い声が飛んできた。

 受付に座っていた日焼けしたショートカットの女性だ。カウンターに頬杖をついた彼女――ネネネ――は気だるそうに前髪をいじる。


「低級の探索者はともかく、リーンは眠っちゃダメでしょ? うちのギルド長と同じ立場とは思えないんだけど」


 ネネネは怪しむ視線を隠さない。

 オブラートに包むことのない率直な彼女の言葉は、僕は嫌いじゃない。だから、軽く肩をすくめて本当のことを言う。


「僕、弱いから」

「ギルド長がそれ言ったら、職員がおしまいでしょ」

「大丈夫。北ギルドには、ダルス=ランバートっていう秘密兵器がいるから」


 ネネネがあからさまに嫌そうな顔をした。


「……じゃあ、もし私が北ギルド長の座をかけて勝負しろって言ったら、リーンの代わりにダルスが出てくるわけ?」

「そうなるね」

「さいてー。ちょっとは恥ずかしいとは思わないの?」

「適材適所だからね」


 適材適所。うん、良い言葉だ。

 ネネネがもし本当に北ギルド長の座を狙って乗り込んでくるなら、ダルスがすぐに立ち上がってくれるだろう。猟犬のように静かな雰囲気で「表に出ろ」と有無を言わせず戦闘を始めるだろう。

 そして、もしあのダルスを退けるなら――僕は潔く北ギルド長の椅子をネネネに渡そうじゃないか。

 元々、北ギルド長にはダルスが座るべきだと、ずっとメイナに伝えているのだ。

 あれ? 結構いい案かも。ネネネが勝つなら実力十分ってことで、僕も退職できる。

――でも、ダルスは強いからなあ。


「ネネネ、それくらいでやめなさい」


 真剣に検討しようかと悩み始めたところで、キャナミィが両手を合わせて注意を引いた。


「リーンは北のギルド長にふさわしいわ。私の目が信用できない?」

「そんなことはないけど……でも、キャナミィさんよりは弱いでしょ? 普通に耐性低いし」

「リーンは実力を出さない人なのよ。そこが素敵なんじゃない」

「……ほんとですかー? リーン、さっきもぐうぐう寝てましたけど。あれ、演技とかですか?」


 疑り深い視線がちらりと僕に向けられた。

 いえ、本気寝です。


「男には少しくらい隙があった方がいいの」

「隙だらけに見えますけど……」


 うん、隙だらけだ。返す言葉もありません。


「ところで、リーン……あのお話は考えてくれた?」

「……例のやつ?」

「そう、例の話……もうずいぶん待ったと思うの」


 キャナミィが艶っぽい流し目で、僕にしなだれかかった。南ギルドに所属する探索者が見たら卒倒する光景だろう。

 誰にもなびかないと噂の至高の女性が、僕の前では借りてきた猫のようだ。

 彼女は服の上から僕の胸のあたりを手のひらでするすると触れる。

 いじらしい表情はとても愛くるしい――本性を知らなければ、だ。

 僕の背筋はぞわぞわと泡立っていた。とめどない恐怖感があとからあとから湧いてくる。

 ずっと無視していたので、相当溜まっているらしい。視界の端で、ネネネが不機嫌そうにそっぽを向いた。憧れのギルド長の媚びるような態度が許せないのだと思う。

 僕も許せない。ネネネ、無視せずに早く助けてくれ。


「リーン……私ね、お料理もお洗濯も、お掃除も……何だってする。あなたのためなら、お着がえでも、マッサージでも、他のギルド長の抹殺でもするわ。だから――早く結婚しましょう」

「無理だって。だって、キャナミィ……僕の体、いじりたいだけでしょ?」

「そうよ。何か悪い? リーンの体は研究のしがいがあるもの」


 相変わらずの彼女だった。

 キャナミィは僕のクリティカル体質に興味を持っているだけなのだ。時に圧倒的な力を放つその秘密を研究したいが為に、僕をこうやって求めるのだ。

 結婚という名の呪縛は、僕にとっての災厄である。

 キャナミィが初めて北ギルドを訪れた時――僕は久しぶりにシンとチェスでもしようかなとうきうきしていた。

 そして、『警報』が鳴った。まさかギルドハウス内で《散策》クリティカルが発生するなんて思ってもいなかった。

 モンスターが降ってくるのか、間近に新たな『宮殿』が産まれたのか。そんなことを想像した僕は、ふらりと出入り口に現れたキャナミィをまじまじと見つめた。

 多忙な彼女が気まぐれで出歩くとは思えなかった。

 だが、気まぐれの方がましだったのかもしれない。

「リーン、結婚しましょう。私ね、あなたのウエディングドレスを作ったの」

「……へぇ、ありがとう」

 ウエディングドレスは僕が着るものじゃない。

 キャナミィはヴァイオレットカラーのローブを持っていた。両手で持ったそれが自然に広がると、なんとも言えないおどろおどろしい模様が浮き出ていた。

 あとで聞けば、僕がどこまで状態異常に耐えられるのかを試すための服だったという。


「思い出したくないな……」

「何を?」


 密着させてくる体を、ぐっと押し返した。キャナミィは魔法使い兼錬金術師だが、元A級のエリートだ。

 彼女は戯れだが、こっちは全力でやってようやく押し返せるのだ。こんな超人と結婚なんてできるはずがない。


「悪いけど、僕、これから仕事だから」

「……仕事? リーンが?」

「今日はメイナとガンダリアンと一緒にね」

「あの性悪と筋肉人まで……いけないわ、リーン、あの二人はあなたがつるむ相手じゃないの」


 キャナミィは瞳を潤ませるが、僕はだまされない。

 仕掛けも動き始めた。

 ようやく背後で寝ていた探索者の男が、身じろぎし始めたのだ。

 彼女に捕縛されている間にも、ちょいちょいかかとで鎧を蹴って刺激を与えておいたのだ。許してほしい、名も知らぬ探索者さん。


「いけない、キャナミィ! みんなが憧れる君が、僕のような男と一緒にいるのを見られるのは! そろそろ眠りから覚める者もいる!」

「えっ?」

「じゃあ、そういうことで」


 転がっている連中に気をとられたキャナミィの腕の中から、するりとぬけ出した。こういうのは得意技なのだ。魔法よりよっぽど簡単だ。


「リーン、待って! まだ返事を聞いてないわ!」

「だから、嫌だって言ってるだろ! もう――十回は答えただろ!」

「返事はYES以外、聞かないから!」


 僕は後ろを見ずに全力で走った。

 最後に耳に届いた台詞に辟易しつつ、キャナミィのことはもう考えないようにした。

 だって、次に会ったときも同じやりとりになるからね。

 彼女は諦めないし、僕も折れないから。

 でも――どうか僕以外に良い人を見つけてほしいよ。ほんとに。

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