第10話 南ギルド最強の美人

 僕は体の芯に残る疲れと戦いながら、上空を見上げていた。ギルド本部に戻り、職員にお願いして『滑る箱』にのせてもらった。

 足首の痛みは回復ポーションを飲んで治したし、使用した魔力もポーションで補充した。

 受付の女性に「北のギルド長だけど」と伝えたのに、「はあ」と呆れた顔をされて、しっかりポーションの代金を二本分払わされた。

 当然のことだが、どこか釈然としない気持ちはある。

 年中、金欠で苦しむ僕には痛い出費なのだ。優秀な事務員のエリーナが、北ギルドの予算を必死にやりくりし、僕を含めた職員たちに『交際費』という名のお小遣いまで分配してくれているが、むやみに散財できるほどではない。

 まあ、それならもっと積極的にヘリテージを見つけてこいよ、とメイナには言われるだろうが、そもそも北ギルドを拠点にしたパーティの数が少ないのでどうしようもない。

 ヘリテージとの遭遇は運だ。

 探索者の数が少なければ、手に入る可能性はもちろん低い。


「まさか、あれもクリムゾンホークじゃないだろうな……」


 高い位置を小さな鳥が優雅に舞っている。僕もさっきまでは、あんなに大きい鷹が飛んでいることを知らなかった。

 今この瞬間に『警報』が鳴って、突如降りてきたらどうしようと心のどこかで警戒している。ツチブタを召喚するときは、今度から必ず上を確認するだろう。

 さっきの一件で精神的にとても疲れた。

 モンスターに咆哮をくらうより、リデッドに攻撃されるより、僕は人の期待に応えることにプレッシャーを感じるのだ。

 なにせ、相手は僕が望まないクリティカルを期待しているからだ。

「なんとかなるさぁ」とは思えるようになったが、それでも、制御不能の一か八かみたいな能力を心の底から楽しめるはずがない。

 クリティカルが出なかったらどうしよう。という考えは絶対に消えないのだ。


「もう、仕事終わってたらいいな」


 淡い期待を吐露した時、ちょうど空の旅が終わりを告げた。今日もいい風だった。高い場所から街を眺める時間はとても癒される。

 高い建物の上――南ギルド――に到着した『滑る箱』から軽く跳ぶと、端に後付けされたエレベータが屋上にやってくるのを待つ。

 ギルドハウスは東西南北のどれもが同じ構造だ。

 設計を任された職人が「これ以上は考えられない」と自画自賛したらしいが、単に四種類も作るのに疲れたのでは、という職員もいる。

 小さな箱型のエレベータに滑り込み、迷わず一階へ降りる。

 職員の作業部屋がある細い廊下を歩きつつ、大きなテラスを横切って、受付に出た。

 そこは、熱気に満ちていた。


「うちの鑑定が先だろうが!」

「なにがD級の雑魚だ! くっそ強かったぞ! うちの話が先だ!」


 いきり立つ探索者たちのパーティが、押し合いへし合い受付窓口に並んでいる。北ギルドでは考えられない光景だ。

 掲示板には何重にも重ねて依頼が張り出され、ひどいものは足下に破れて落ちている。

 きっと、割の良い依頼の奪い合いがあるのだろう。

 そんな荒れ狂う探索者たちと面と向かう職員たちは――


「はーい、そっちの人、割り込んだので最後尾に回ってくださーい」

「D級じゃないと思ったら、無理に倒さなくていいよ?」


 ベテランばかりだった。

 彼女たちは笑顔半分、脅し半分で次々と探索者たちの対応を終わらせていく。

 ギルドの力は強い。

 それは『宮殿(パレス)』の出入りを許可する立場だからという理由もあるが、ギルドの職員が単純に強いからだ。

 特に南と東はすごい。

 受付に座るポニーテールの女性も、華奢に見える眼鏡をかけた女性も、元A級パーティの一員なのだ。

 窓口は経験者にすればいい。メイナのセリフだ。

 経験のないやつらに、探索者の気持ちなんぞわかるわけがない。

 彼女はそう言って、当時A級パーティだった探索者たちを破格の待遇で懐に入れた。探索者のプライドの高さを煽って、負けたら従え、というようなやり方をしたという噂もあるが。

 そんなことを考えていた僕は、ちょうど反対側のカウンター奥から、見知った人物が姿を見せたことに気づいた。


「今日は一段とうるさいですね」


 聞く者をとろけさせるような甘い声だ。すらりとした体に絹糸のような金の髪。

 容姿のすべてを神が作ったと言われるほどの女性が、ねじくれた木杖を片手に場に現れると、喧騒は一気に鳴りを潜めた。

 元A級。しかもパーティを組まずにソロでたどり着いた超人――キャナミィ=アンカー――は、杖で床をこつんと叩く。

 何かを確認するような仕草に見えたが、次の瞬間には探索者の中央に真っ赤な球体が浮かんでいた。

 ぐねぐねと蠢く球は、生き物のようだ。

 キャナミィは静まり返った探索者たちに向けて微笑んだ。


「その球を攻撃して立っていられる人がいたら、今後、南ギルドで最優先に受付をしましょう。待ち時間がゼロになる良い機会ですが、どなたか挑戦なさいますか?」


 慈母のような彼女は、本性を知らなければ天上の女性である。

 容姿端麗で物腰の柔らかい彼女は、男性も女性も憧れる存在であり、誰もが一度はあんな女性とお付き合いしたいと考える――繰り返すが、本性を知らなければ、である。

 そのため、南ギルドに昔から出入りする顔見知りは、早々に逃げた。撤退の速さとは長生きのコツなのだ。

 結局、その場にいた七割近くが去った。

 南ギルドは大所帯だ。日々新しい探索者が流れてくる。つまり――ここに残ったのがキャナミィのことを知らない者たちだ。


「俺がやる。約束は本当に守ってもらえるのか?」

「もちろんです」


 キャナミィは魔法使い用のローブを押し上げる大きな胸の前で杖を構えて、にっこり笑う。進み出た男の鼻息が荒くなるのが分かった。

 まあ、初見では仕方ない。

 男の剣が魔力を帯びた。なかなかの力――僕を一撃で倒せるくらいだ。


「えぇい!」


 真横に凪いだ剣が、あっさりと赤い球体を真っ二つにした。

 そして――球体に閉じ込められていた煙が漏れ出た。無色透明で非常に見えづらいものだ。

 男は考える暇もなく即座に気を失った。慌てたパーティメンバーが倒れ込もうとする男を支えようと動き出し――同じく前のめりに倒れた。

 煙が広がったのだろう。わずかの時間で、次々と人が昏倒していき、場にいた探索者が倒れ伏した。

 悪夢はまだ終わらない。

 すぐに全員がびくびくと体を痙攣させ始めた。

 彼女は夢の中を操る魔法を使うと言われている。夢と現実が混じりあう睡眠中は、実に研究のしがいがあるそうだ。今回は雷魔法でも浴びる夢だろうか。

 強力な睡眠薬と精神魔法のコンボを得意とする、魔法使いで錬金術師――『真っ赤な悪夢(ブラッディ・ナイトメア)』という二つ名を持つキャナミィの得意技だ。

 受付が範囲に入らないよう微調整までこなせるのは彼女くらいだろう。

 まあ、元A級の受付嬢たちはほとんどが耐性持ちなので、眠らなかったかもしれないが。


「あらあら、全滅しちゃうなんて……」

「最近うるさいのが増えていたので、いい薬になったでしょう」

「うちらを何だと思ってるのって感じ」


 受付嬢たちはカウンターに頬杖をついて、痙攣中の探索者を眺めている。こんなことは日常茶飯事なのだろう。


「あら? リーン?」


 透き通る声が飛んできた。

 キャナミィが僕に気づいたらしい。ぱっと彼女の顔が綻びる。

 できれば気づかれたくなかったが、仕方ない。


「やあ、久しぶり……」


 力なく右手を上げて応えて一歩進み――僕は、突然やってきた睡魔に膝から崩れ落ちた。

 しまった。ここも範囲内だったのね。

 キャナミィの慌てた顔と、受付嬢のあきれ顔の記憶を最後に、僕は最低で最悪の夢を見た。

 だから南に近づきたくないのだ。

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