第9話 北のギルド長は望まない

 油断していた。『警報』の原因は時間だろうか、それともツノブタの歩数が召喚主のものだとカウントされたのか。

 どちらにしろ、厄日である。


「散開っ!」


 ガレックの対応は速かった。たるんでいるなどとは口にしていても、反応の速さや対応力は、やはり騎士団だ、と納得するものだった。

 団員も同じだ。

 即座に危険を察知した彼らは、空から高熱の突風を吹き下ろしつつやってきた悪魔に鋭い視線を向けた。

 それは真っ赤なモンスターだった。

 城の城門を思わせる巨大な体躯。人間程度ならひと噛みで引きちぎれそうな黒い嘴。重厚な音を立てて広げた両羽は、まるでこの場にいる全員を抱擁しようとしているかのようだった。

 ――深紅鷹(クリムゾンホーク)である。

 B級ランクの鷹は、普段人間に興味を示さない。彼らの餌は、骨ばった人間ではなく、野生モンスターだからだ。家畜を狙うことも無いことはないが、クリムゾンホークは野生の生き物を好む。特にブタとイノシシが好物だとか。

 ん? ブタ?


「なぜ、こんな街中にクリムゾンホークが!?」

「縄張り以外にはめったに現れないクリムゾンホークが、人里に!?」

「年中、空を飛んでいるというモンスターが、よりにもよって中央エリアに舞い降りただと!?」

「……」


 バルマンやヴァイが険しい瞳を向けて、剣を構えている。

 だが、王都屈指のリデッドの始末屋たちに戦意を向けられても、クリムゾンホークはどこ吹く風である。

 王者のような風格を漂わせる鷹は、黄色い瞳をぎょろりと動かして周囲を睥睨する。

 ガレック、バルマン、ヴァイ。順に視線が注がれ、とある場所でぴたりと止まった。

 ――ツノブタのいる場所である。

 まさか自分ですか!? 悲愴な顔をしたツノブタは、遥か格上のモンスターの出現に、短い尾を丸め、丸みを帯びた体をしきりに震わせた。

 僕は食べ物じゃない、僕は食べ物じゃない。

 そう言わんばかりに瞳を潤ませて、ちょこんと地面に体を降ろした。

 無抵抗の証である。

 が、捕食者は都合が良いと瞳を邪悪に曲げると、食事の宣言をするように吠えた。鷹とは程遠い肉食獣の咆哮に近い。


「攻撃!」


 ガレックの掛け声で戦端が開かれた。バルマンが最初に飛び出し、その首に剣を叩きつけた。

 と、思ったのだが、クリムゾンホークは予期していたのか、半身を動かしバックステップでかわした。体に似合わず早い。

 すごいモンスターだ。本当にB級だろうか。そういえば記憶より少し大きい気がする。


「《スネークバインド》」「《アンチムーブ》」


 動きを警戒したのだろう、魔法職の騎士たちが数人、次々と拘束系と移動阻害系の魔法を放つ。クリムゾンホークの両脚に奇妙な光る蛇が巻き付き、灰色の靄がその上に張りついた。

 しかし、クリムゾンホークがうっとうしそうに真っ赤な両羽を広げる。一瞬空が染まったかと思うほどの炎が吹き荒れた。

 すさまじい熱量。舐めるように己の体を這った炎は、あっさりと拘束魔法を破壊した。

 あちらこちらから、息を呑む音が聞こえる。


「……ほんとにB級か?」


 経験豊富な第六騎士団が、クリムゾンホークの強さに唖然としている。

 さすが『警報』でやってくるモンスターは一味違うようだ。

 感心している場合じゃないけど。

 ちなみに――僕が呼んだブタたちはずっと震えている。戦意はゼロだ。


「下がれ、全員補助を。街に降りるようなことは許すな」


 ガレックが厳めしい顔で剣を抜いた。部下たちに任せると万が一があると警戒したのだろう。

 長剣の刀身に紫電が走る。小さな竜がのたうつように光りを飛ばす剣は、刀剣型ヘリテージ『四つの暴力(クアッドバイオレンス)』と呼ばれている。

 第六騎士団団長ガレックが強いと言われる理由の一つだ。

 麻痺、火傷、そして攻撃力と攻撃範囲。すべての性能を高いレベルで備える淡い紫色の剣はリデッドとの集団戦で比類なき強さを見せると聞く。

 目の前で見られるとはとても光栄だ。

 クリムゾンホークを呼んでしまった僕が言うのは申し訳ないが。


「ふむ……警戒する頭もあるようだな」


 ガレックが『四つの暴力』を軽く振った。紫電が広範囲にバチバチと弾けたのを目の当たりにしたクリムゾンホークの目つきがかわる。

 こいつは強いな。

 そんな強者同士でしかわからない意思疎通があるのだろうか。ガレックも応じるように微笑を浮かべる。

 高まる緊迫感。

 剣の冴えではナンバーワンと言われていたバルマンも固唾を飲んでいる。一触即発の力のぶつかり合いが始まろうとする、その時――


「ブゥブゥッ」


 黒い塊が戦場を駆けた。

 うん、ブタですね。

 三匹のツノブタは、虎と竜のにらみ合いのプレッシャーに耐えきれなかった。豚足を必死に動かし、強者の目に留まらないうちに一目散に駆け出した。

 ――召喚主に向かって。

 召喚モンスターは倒されると消える。だが、自分で消える場合は、元の召喚陣に触れる必要がある。

 僕の視線の先で薄っすら光を放つ緑の魔法陣は、ツノブタにとって帰還ゲートなのだ。

 三匹は瞬く間に魔法陣に乗ると、心の底から安堵したような顔で、光を放って消えた。

 ――召喚主を置いて。

 水を差された強者たちが、呆けた視線を向けていた。

 僕は吐き気を抑えて、肩をすくめた。


「……仕方のない仔ブタたちだ」


 毒にも薬にもならないセリフに、ガレックが「そう来るとは」と、感心したように相づちを打った。

 意味深な表情は、きっと何か勘違いしている。


「久しぶりに剣を振りたいとは思ったが、お任せしましょう」

「……」


 そんなつもりはさらさらない。僕は目と鼻の先で行う接近戦が怖いから大嫌いなのだ。できればガレックに斬ってほしい。

 しかし、彼は紫電を帯びたヘリテージをさっさと鞘に戻してしまう。すると、クリムゾンホークが途端に彼に対する興味を失った。

 傲岸不遜に「恐れをなしたか」と嘲るように一瞥し、ターゲットを変えた。

 僕だ。

 きっとお腹をすかしていただろう。

 怒れるモンスターは、気を取り直して、鬱憤を吐き出すように大口を開けて咆哮を放った。


「――っ」


 騎士団の数名が音の暴力に硬直したのが見えた。が、残念ながら、僕の胆力はその程度では揺らがない。

 北のギルド長になってから、何度ピンチに陥ったと思っているのだ。

 見渡す限り人に埋め尽くされた場で、運頼みのクリティカル攻撃を「さあどうぞ。場は整えました」と期待される壮絶なプレッシャーを経験すれば、大抵のことは「なんとかなるさぁ」と思うようになるのだ。

 けど、それとは別に、クリムゾンホークには謝りたい。

 ――せっかく食べ物を見つけたのに、お預けしてしまってごめん。僕がツチブタを呼び出さなければ、君はここには来なかったはずなのに。

 心の中で謝罪し、やるせない気持ちでつぶやいた。


「『《魔法の乱矢》(ブリリアント・ショット)』」


 光の矢が飛んだ。

 クリムゾンホークにとって、まぶしいだけの力しか持たない魔法は、八本目が当たる瞬間に、

 ――《魔法》クリティカルが発動しました。

 音と共に、爆散した。



 ***



 ――少しは良いところを見せようということかな。

 ガレックは苦笑い交じりでリーン=ナーグマンを見つめていた。

 剣術勝負では、「得意じゃない」という言葉通り、力加減がわかりにくかったのだろう。終始手を抜きすぎている印象だったが、それでも最後には誰も真似できない回避術を披露してくれた。

 バルマンの顔つきからも、実力差を悟ったことがよくわかった。

 あれを見て、ガレックも少し高揚していたのだと思う。

 つい他に何ができるのか期待して、リーンに無理な願いを言ってしまった。

 ダルスが事あるごとに、「あいつはすごい」「ギルド長の中でも最強の男だ」と出会うたびに吹き込んでいたせいもある。

 モンスターの中でも下の下に当たるツノブタを、三匹も召喚して満足げな顔をされた時には、何の冗談かと呆れたものだ。

 そこら辺の子供でも乗りこなすようなモンスターをリデッドと戦う団員にあてがうなど、侮辱と受け止めても仕方ないところだ。

 ヴァイが困惑するのも当然なのだ。

 油断するな、と発破をかけたが、ガレックすらリーンの狙いは読めていなかった。

 しかし、まさか上空にいるクリムゾンホークを呼びよせる餌として召喚するとは思わなかった。

 言われてみれば、リーンは事あるごとに上空を気にしていた。

 ガレックたちが、《召喚》を見せてもらうという結論を出すまでの間、リーンはずっと上空を眺めていた。

 きっと、緊張感の抜けた第六騎士団を引きしめるために、どうすれば手っ取り早いか考えていたのだろう。

 旋回しているクリムゾンホークを餌で釣って呼び寄せる。

 効果はてき面だった。久しく強いリデッドと戦っていなかった団員たちは、誰もが緊張し、手に汗を握っただろう。

 王国内での地位など、本当の強敵の前では役に立たないと改めてわかったはずだ。

 通常の倍近い大きさの個体であることがそれに拍車をかけた。あのサイズならB級を軽く超える。滅多に出会えないものだ。

 まさか――大きさまで把握していたのだろうか。

 ガレックは腕組みをして考え込み、それからゆっくり首を左右に振った。

 リーンがどこまで考えていたのかは、どちらでも良いことだ。

 大事なことは結果だ。

 第六騎士団はひさしぶりの高難度の戦闘に身が引きしめられ、北のギルド長はいかんなく己の力を団員たちに示した。

 E級魔法『《魔法の乱矢》(ブリリアント・ショット)』――クリムゾンホークを瞬殺できるE級魔法など聞いたことがないが、目の前に横たわる頭部を失ったモンスターを見れば納得せざるを得ない。

 スキルは鍛えれば鍛えるほど強力になる。

 リーン=ナーグマンは《魔法》スキルをどこまで使い込んでいるのか。

 ガレックの興味は尽きなかったが、それはまたいずれ、と頭の隅に追いやった。

 今日の訓練は切り上げ、大いに団員と盛り上がろう。

 話題は――北のギルド長について。

 酒のつまみに、クリムゾンホークの照り焼きを添えて。

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