第4話 一度は読んでほしい

 ギルドハウスの中をエレベータに乗って上がっていく。

 魔核のエネルギーとヘリテージの『滑る箱(スライドキューブ)』を応用した最新技術だ。ギルドハウス内にあとから縦穴を開けられなかったので、無理やり外につけたのだ。

 こういう技術は探索者たちに披露する意味でもギルドが精力的に導入してくれるので、新しい物好きな僕はとても嬉しい。


「行ってらっしゃいませ」

「うん。あの二人のことよろしくね。それと……シンにあんまり生真面目に考えすぎないように言っといて」

「伝えておきます。効果があるかはわかりませんが」


 彼女が微笑を浮かべて頭を下げた。

 ギルドマスターから急に呼び出しを受けた僕は、カルエッタとランツの二人を、偶然に訓練場に残っていた所属ギルドのメンバーの一人に任せてきた。

 依頼をこなすために遠征していて一昨日からいなかったのだが、今朝がた他のメンバーより早く帰ってきて、今から訓練をしようと意気込んでいたところを捕まえた。

 シン=ザルードというさらさらの黒髪を伸ばした青年で、近接体術のスペシャリストだ。無手で戦う探索者は結構珍しい。

 僕がまともに組手をすると、数秒以内に一本をとられる達人である。

 そんな彼の、「シン、今ひま?」と突然声をかけられた時の顔が忘れられない。

 深い呼吸を何度か繰り返していた彼は、鳩が豆鉄砲をくらったような顔で「準備運動を終えたところですが」と振り向いたのだ。罪悪感にかられたが、彼しかいなかったので仕方ない。

 エリーナは事務職だし、他のメンバーは誰もいないし。

 いつもならダルス=ランバートという北ギルドきっての武闘派が暇を持て余しているのだが、残念ながら彼は接客用のお茶パックの引き取りに出かけているらしい。

 うちのギルドは何かと予算が足りないので、知り合いのお茶農家の余りをわけてもらうそうだ。顔が広い彼はどのエリアにも友人が多い。

 そういえば昨日の夕方、「たまには水じゃなくて、お茶が飲みたいな」などと贅沢を言ったような気がする。

 もしかして、あれのせいか?

 帰ったらとりあえず謝ろうか。

 ダルスはひねくれ者で恥ずかしがりやなので、「はあ? 勘違いすんな。俺が飲みたかっただけだ」と嫌そうな顔をするかもしれないが。


「あの……リーンさん?」

「あっ、ごめん。ちょっと考えこんでた」


 まあ、カルエッタたちは真面目なシンに任せておけば大丈夫だろう。《散策》クリティカルの僕のそばにいるよりは安全だ。

 不思議そうな表情を浮かべるエリーナに片手を振って、ギルドハウスに設置した『滑る箱(スライドキューブ)』に乗り込んだ。

 三人掛けのヘリテージは、ギルドハウスからギルド本拠地への直通だ。かなりの高度を動くので、うちのギルドでも「怖い」なんて嫌がる者もいる。

 ギルドマスターが強引にヘリテージの発見者を丸め込んで手に入れたシロモノだが、僕はとても気に入っている。

 上を見上げていれば、空を旅する気分だ。

 魔力を本体に流すと、がたんという音と揺れが生じ、『滑る箱』がなめらかに動き出した。

 ここからニ十分ほどは、気楽な旅だ。



 ***



 三角屋根を三つ持つ特徴的な建物がギルド本拠地だ。

 四エリアを統括する場所で、ギルドハウスの五倍以上の広さを誇る建物。

 働いている職員は数多く、食堂のメニューも訓練設備も豊富らしい。地下には探索者たちから買い取ったヘリテージの巨大倉庫があり、ランク試験用の魔獣も飼っている。お抱えの調教師(テイマー)はもちろん、魔法研究者や錬金術師までいて、正直なところ、ギルド長の一人である僕も全貌を知らない。

 建物には最先端の盗難対策が施されており、噂では無理やり侵入した盗賊団が即死したとかなんとか。

 僕は悲惨な状況に陥ったであろう者たちに同情し、ぶるりと身を震わせる。

 そして、ぽけっとから茶封筒を取りだしてテーブルにのせた。

 目の前で応接椅子にふんぞり返っているピンク色の髪の少女が眉を寄せた。


「なんじゃこれは?」

「決まってるじゃないか――」


 薄桃色と金色の瞳を持つ顔が苦笑いに変わる。

 オッドアイの彼女こそ、ギルドマスターであるメイナ=ローエン。見た目はどう見ても十代前半だが、妖精族の血を引いていて年齢は僕より五回り以上上になる。

 体術だけでも強さはこの国で十指に入るが、特に魔法がえぐい。

 B級クラスのモンスターの群れを魔法一発で壊滅させた『夜明け前の鎮魂歌事件』といえば、大抵の探索者は震えあがる。

 半分眠った状態で魔法を放ってモンスターを蒸発させたのちに、寝言を言っていた事件は伝説に等しい。

 メイナを怒らせることは、王都での未来をあきらめることだと思っている。

 が――そんなことは僕には関係ないのだ。


「退職願いだよ」


 ひょんなことで絶大な権力を持つ彼女に目をつけられてしまったのだ。

 確かにメイナのアドバイスのおかげで今の僕があるとも言えるが、そのおかげで厄介事ばかり回ってくる現状にはうんざりしている。

 そして何より、《散策》クリティカルで周囲を巻き込みすぎる。


「リーンも懲りないの」

「僕はギルド長の器じゃない」

「それは性格がむいてないのか、力が足りないのか、どっちを言っておる?」

「どっちも」

「お主を慕う人間がおって、何を逃げ腰で考える。力も十分じゃろ? わしの《幾星霜》を耐えられる人間はそうおらんぞ?」

「前も言ったけど、運が悪かったら耐えられないんだって」

「なら、運を鍛えろと言ったろ」

「……むちゃくちゃだ。できっこない」

「では、運に頼らなければいい」

「それができるなら苦労しない」


 メイナは「ふふふ」と蠱惑的な笑みを浮かべた。金色の瞳が輝きを増し、すうっと月形に曲がる。


「聞こう。五年前のリーンは、今のリーンに負けるか?」

「……運が悪ければ」

「運とは確率。確率で比べた場合は?」


 何度か繰り返されてきた内容の会話に、僕はぐっと言葉に詰まった。

 運に頼らない戦闘。それがメイナの言ったアドバイスだからだ。その成果は確かに出ている。

 メイナが「それが答えじゃ」と笑って表情を緩める。そして、指を軽くならし、体をふわりと浮かせた。そのままぐるりと逆さまになって天井を歩き、ゆっくりと僕の背後に舞い降りた。


「ということで、退職願いは却下じゃな」


 テーブルの封筒が独りでに浮かび上がると、雑巾を絞るようにくしゃくしゃと音を立ててねじれていった。

 そして封筒の端に小さな種火が灯り、あっという間に灰に変わった。

 メイナ=ローエンが事も無げに言う。


「少なくとも、わしの《夢読み》では明日もリーンはギルド長を辞めておらん」

「そりゃそうでしょ。退職願いを一度も受け取ってくれないんじゃ、辞められない」


 僕はがっくり肩を落とした。

 毎回こんな調子だ。D級の探索者からギルド長に引き上げられたあと、何度も退職願いを出しているというのに、メイナはまったく取り合ってくれない。

 そうこうしているうちに年月が経ち、何度もトラブルに巻き込まれて僕は鍛えられてしまった。

 特に「なんとかなるさぁ」と「君に任せるよぉ」の精神が。

 そして、何が気に入ったのか、過疎化が進む北エリアのギルドにわざわざ登録しにきたパーティもいれば、変な出会いもあった。

 数年前と比べれば、絶対に辞めるという気持ちは薄くなったかもしれない。

 でも、僕は退職したい! せめて事務職に転職させてほしい!

 無能な僕でもエリーナへのお茶入れくらいならできるだろう。

 そうすれば安全圏で畑作業をして過ごせるのだ。

 僕が退職するかわりに、北の最終兵器ダルス=ランバートを昇格させられるなら、推薦状を毎日書いてもいい。


「メイナ、いい案じゃない?」

「何も聞こえんかったが、どうせいつものやつじゃろ?」

「うん」

「却下。エリアのギルド長の任命権はわしにある。と……無駄話はその辺にして、出かけるぞ。仕事だと言ったじゃろ」

「そういえば手紙に書いてたね。え? メイナも行くの? そんなにやばい仕事?」

「当然じゃ。やっと、もう一人の戦力も来た」

「もう一人?」


 そう尋ねた時だ。

 盛大な音を立てて、ギルドマスターの執務室の扉が開いた。あまりに力がかかりすぎたのか、蝶番が一つはじけ飛んだ。

 メイナの顔が不愉快そうに変化したが、現れた人物はそんなことに気づかないほど慌てていた。

 濃いひげを生やした頬に長い切り傷をつけた男だ。太い腕と厚い胸板が強化服を内から盛り上げている。

『パレス』でドラゴン型のリデッドをバックドロップで倒したというとんでもない人間――西のギルド長、ガンダリアン=ヘクトールである。

 彼は雷が落ちたような大声を震わせた。


「ギルド長が全員風邪で寝込んでブタが逃げ出して大事故というのはほんとか!?」

「よく来てくれた。嘘じゃ」

「うそぉぉぉぉっ!?」

「いい加減に気づけ、あんぽんたん! どこまで書けば嘘じゃと気づくんじゃ! 毎度毎度わざとやっとるじゃろ!」


 そう言ったメイナが破顔し、息を切らせて膝をついたガンダリアンの肩を叩く。

 うん。いつもの光景だ。

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