第35話 コーヒー

 ルーウェンたちが書類の山に追われている頃、メルは小隊の指導をしていた。クオールは比較的に平和な土地で戦闘が起こる事は、ほとんどない。それでも、国境に位置する場所なので守備隊を抑止の効果を含めて駐在させている。


 そんな場所にいる隊だからか隊員の練度は高くない。軽く隊列を確認させただけで息を切らし疲れてしまっている。どうしたものかと当初メルは頭を抱えたが鍛えるほかないので少しずつ訓練を重ねている。


 小隊は自らの意思で行動することは基本ない。中隊長の指示で前進や後退をして集団で攻撃する。均衡した局面では、いかに指示通りに動けるかで戦況を左右するため、日頃の訓練が大切である。


「前進!」


 メルの指示で小隊は前進する。5メートルほど進んだところで隊がバラけてしまう。


「もう一度行きます。前進!」


 1日で何度繰り返したか分からなくなるほど、メルは前進の訓練をさせた。正確な前進を覚えるだけでなく体力もつくので大事な基本訓練になる。


「メル中尉、もう動けません」


「まだ、喋れるなんて元気ですね。ラストにもう1回やりましょう。準備はいいですか。はい、前進!」


 もちろんメルも隊員と一緒に訓練をしている。隊員には不満に思う者もいたが、同じ量を平気な顔でこなすメル中尉に意見など出来なかった。


「お疲れ様。今日はこのくらいにしましょう、解散」


 メルの合図で隊員は解放される。隊員の帰宅を見送りメルは宿舎に戻った。


 宿舎は男女で分かれていて士官クラスには個室が用意されている。メルの部屋は約束通りルーウェンと相部屋が割り振られた。女性宿舎をルーウェンが出入りすることになるが士官の部屋は隊員の部屋から少し離れた場所になるのですれ違うことは少ない。シェリとイリアが隣の部屋になるが知った仲なので気にしていない。


「先に帰っていたのですね」


 部屋ではメルはルーウェンにいつものように話す。


「やっと書類が片付いて。明日からは自由に動ける」


「大変でしたね。こっちは、まだまだかかりそうよ」


 ソファーに腰掛けるメルにルーウェンはコーヒーを出す。士官室で淹れて以来、ルーウェンはコーヒーを淹れるのに目覚めたようだ。


 豆を何種類か買ってきて自分で挽く凝りよう。シェリとイリアは飲んでくれないのでメルに出される。味がよければメルも歓迎するが散々で飲めたものじゃない。今日も上機嫌で出されるコーヒーをメルは眉をピクっとさせながら飲む。


「ルー様、おいしいですね」


 よせばいいのにメルはルーウェンを褒める。なので当人は喜ばれていると勘違いしている。


「これならイリアも飲んでくれるかな」


「だいぶ腕が上がってきたのでマスターしてイリアちゃんを驚かせてあげる方がいいですよ」


 ルーウェンを傷つけないようにやんわりかわす。人様に出す代物ではない。


「やっほーっ。メル、いいモノ飲んでるじゃん。私にも一口……ぎゃぁああぁぁ」


 クランは、どこにでも自由に入って来る。今回はそのことが仇になった。


「なんてものを飲ますのよ。死ぬかと思ったわ」


「……」


 メルは頭に手を当て下を向いている。


「失礼ですね。メルはいつもおいしいって飲んでますよ」


 ルーウェンは即座にいい返す。


「馬鹿言ってるんじゃないわ。聖人でもなけりゃこんなモノ飲まないわ」


 酷い言われようだ。


「メル……?」


 ルーウェンは悲しそうな目でメルを見る。


「ルー様、私は好きな味よ。クラン中尉、今日のところは部屋に戻って頂けますか?」


 クランは「悪かった」と言うと部屋を出た。


「メル、すまない事をした。言ってくれたら良かったのに」


「嬉しそうに淹れるルーウェンの姿を見たくてね。私は好きよ」


「ありがとう。また違う趣味を見つけるよ」


 最後までメルは不味いと言わなかった。


「よーし、私が淹れてあげる」


 しょんぼりするルーウェンにメルはコーヒーを淹れる。一口飲んでルーウェンは気づいた。メルが淹れてくれる一杯が理想としていた味。コーヒーはメルのよう優しく包んでくれる味だった。

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