【怪談】どちらが

巳ツ柳 海

どちらが

 Nさんから聞いた話。


 彼女の、正確には彼女のお母さまの出身地方には、産まれてから一ヶ月以内の子供を捨てるという習慣があったそうだ。

「そう聞くと物騒っていうか酷い習慣に聞こえるけど、捨てるって言っても、そういう振りをするだけ。いい人に巡り会えますように、なんて言いながら地面に置いて、すぐに拾っちゃうの。ずっと昔だと探すってことまでしたらしいけど」

 Nさんのお母さまの地方では、子供が良縁を結べるように、という意味が込められていたそうだ。だから私は一応捨て子なのよ、とNさんは笑う。

 最もNさん自身は、その習慣を直に見たことはない。

 現在Nさんは四十代だが、お母さまの実家で過ごしたのは産まれてから一歳になるまでだった。Nさんのご両親は東京で出会い結婚したので、Nさんにとって家と呼べるものは東京にしかない。お母さまの故郷にいたのも、出産に伴う里帰りで、最初から長居をするつもりではなかった。

 なにより、Nさんが産まれたあと、お母さまがたびたび体調を崩すようになった。という理由もあったそうだ。

「東京のほうが色々な病院があるでしょう? だから、何かあったときにすぐに通院できるからって」

 お母さまの里帰りに付き合うこともあったそうだが、いつも一泊だけで戻ったため、母方の故郷の風習を学ぶ機会はなかった。その数少ない帰省も、Nさんが長じるにつれてなくなった。

 捨てる拾うという風習も、偶然お母さまから聞いたのだと云う。

 そしてそのとき、Nさんは奇妙な話を聞かされた。

「私、捨て子だって言ったでしょう? 母は自分の故郷の風習を、私にもちゃんとしていたのね。ただそのとき、異変が起きたって」

 お母さまはその日、生後一ヶ月のNさんを抱えて雑木林に一人で向かったのだそうだ。それ自体は何もおかしいことではなかったらしい。夫婦や両親、兄弟で連れ立って行く人もいれば、一人で済ませる人もいる。母親ではなく、父親が務めることもある。大事なのは、捨てたあとに拾う、という行為そのものなので、誰がどういう状態で行っても問題はないのだそうだ。お母さまは家事の合間に、風習を滞りなく終わらせようとそう考えたのだろう。

 草の上、あまり汚れておらず、虫もいなさそうな場所を選んで、お母さまはNさんを置いた。もとい、捨てた

 そして一度立ち上がり、探すような振りをした。そのとき。

「急に酷い目眩がして、その場にへたり込んじゃったんですって。世界がぐるぐる回るようだったとか、そんなことを言っていたかな」

 目眩自体は一瞬のことだったそうだ。お母さまは一人だけだったので証人はいないが、蹲ったまま助けが来るまで動けなかった、というようなことはなかった。崩れ落ちるように座り込んではしまったが、そのまま数回深呼吸をしたら治まったらしい。

 だから、お母さまが語った異変とは、目眩のことではない。

「私、いなくなっちゃったらしいの」

 目眩が治まったお母さまの視界の中から、Nさんが消えていたのだ。

 当時のNさんは、はいはいすらできないような生後一ヶ月の乳児だ。自分でどこかへ行くわけはない。更に雑木林とは云え、産後一ヶ月の女性が歩いて行ける程度の場所なので、入り組んでいたり悪路だったりするわけでもない。平らな地面を選んで置いたのだから、近くに坂道もない。何より目を閉じていたのは、一分どころか三十秒にも満たない時間だった。なのに。

 いない。

 唖然とした後、お母さまはNさんの名前を呼びながら辺りを探し始めた。二、三十分程そうやって辺りを探したが、Nさんの姿はおろか、泣き声すら聞こえなかった。これはいけないと思い、応援を呼ぶためにお母さまは大急ぎで家に戻ったのだと云う。そして。

「家の前で、眠ってる私を見つけたんですって」

 玄関の表札の真下に、真新しいおくるみに包まれた、雑木林に捨てたときの姿そのままで、Nさんは眠っていたらしい。

 お母さまは慌てて抱き上げ、怪我がないか確認した。Nさんは擦り傷どころか、手足に泥すらついていなかった。おくるみの背面には土と草が僅かについていたので、あの雑木林に置いたのは間違いない。逆に言うならば、それくらいしかわからなかった。

 周辺を見渡したり、家の中に居たNさんのお祖母さまに何か異変がなかったかと聞いたりもしたそうだが、不審者も見つからなかったそうだ。

 お母さまは大層困惑したという。動ける筈のない乳児が動いたと考えるのも、得体の知れない何者かが運んだと考えるのも、どちらも薄気味が悪い。そもそも、動いたり動かしたりできるほどの時間、お母さまは意識を逸らしていないのだから。

 何もかもが不可解だった。

「母は暫く、私がキツネか何かに憑かれたんじゃないかって心配してたみたい。まあ何事もなく育って、ご覧の通り普通のおばちゃんになったけどね」

 そう言ってNさんはころころと笑った。

 結局そのあと、お母さまは自分が無意識に運んだのだ、と無理矢理思うことにしたらしい。

 いずれにせよ、異変が起きたとはいえNさんは無事だったのだ。であれば、それに越したことはない。

 ところで、お母さまは今どうされているのですか、と訊いた。すると。

「母は私が二十歳になった日から、行方不明なの」

 Nさんは寂しそうに笑った。

 二十歳になった頃となると、

「もう、二十年以上よね」

 溜息をついて、Nさんは続けた。

 お母さまは風習を行った日以降、様子がおかしくなったのだそうだ。突然、雑木林の方角を見てぼうっとすることが多くなった。話しかけても肩をたたいても何も反応しない。それまではかなり活発で溌剌とした女性だったのに、まるで別人のようになってしまった。

 体調を崩すようになった、というのはこのことだった。

「産後だから仕方ないって祖父母も父も思っていたみたいだけど、どうもそれだけじゃない、明らかに様子がおかしいってなったの。東京にいた頃はそんなことはなかったし。とりあえず私が一歳になった頃に戻って、そしたら徐々にぼうっとすることは減ったみたい。私は、母がぼうっとしてるところを見たことはないから。そのまま、意識して東京から離れないようにしてたのね。祖父母も心配はしてたし、母や私に会いたい気持ちはあったようだけど、無理に帰って来なくていいって言ってくれた。でも」

 彼女が二十歳になったとき、少し出かけるという一言を残して、着の身着のままでお母さまは消えた。携帯も財布も持たず、靴はサンダルだったそうだ。

 以来、消息不明なのだとNさんは語った。

 警察への届出や、ご近所さんやお母さまのご友人に相談したり、興信所を頼ったりもした。当然、故郷のご祖父母と頻繁に連絡を取った。

 それでも、見つからないまま、二十数年が過ぎた。

「仕方ないから、失踪届は出したけどね。祖父母は心配したまま亡くなったし、父は今でもどこかで生きてるんじゃないかって、そう思ってる。もちろん、私も戻って来てほしいってずっと思ってる」

 でも。

「ちょっと、怖いなって考えてることがあって」

 Nさんはお母さまが失踪されたときから、ずっと考えていることがあるのだと云う。

「あの日、異変が起きたのはどちらだったんだろう、って」

 お母さまが失踪した日よりもずっと前、様子がおかしくなってしまう少し前。風習を行った日。Nさんを捨てて拾った、あの瞬間。

「母は、私に異変が起きたんじゃって言ってたけど、本当に赤ちゃんの私のほうだったのかな。実は母のほうだったんじゃないか、って、どうしてもそんなことを考えちゃうの。……それとねえ」


 戻ってきたとして、それは二十年間彼女を育てたお母さまなのか、それとも四十数年前に彼女を捨てたお母さまなのか、どちらなのだろう、と。

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