第15話

 次の朝早く、浩二は頭痛と戦いながらそのまま漁師達と港へむかう。

 話しによると、そこはこの辺では一番の漁場だった。ところが、一月ほど前から急に魚がいなくなり、海が荒れて近寄ることもできなくなったという。それがあまりに不自然だから、それまでは漁師仲間に伝わる伝説程度だった宇宙船の話が、再び現実味を帯びて語られるようになったのだ。

 漁師たちは、その宇宙船について様々な話を繰り返すが、浩二が「連れて行ってくれ」と切り出すと途端に口をつぐんだ。

「あのなぁ」

 モジャ頭は、船の舳先で網を手入れしながら仕方なさそうに話をはじめた。つらさげられた裸の電球が辺りを照らし、人が動く度に影が大袈裟に真似をする。

「漁師にはなぁ、危険な海は一目でわかるんだよ。ましてやあそこではここ一ヶ月で死人もたくさんでてる。俺も知ってる奴を何人も亡くした。玄を担ぐ漁師が、そんなところにゃ頼まれたって行きやしねぇ」

 波の音と、船が揺れる音がタップタプと心地のいいリズムを打っている。

 浩二の、まだ暗いうちから次々港を出て行く船を見る眼は、なにやら力を帯びてギラギラしだしていた。

 それからすぐに、現場に一番近い港へ、ボロッちいタクシィで移動して、手当たり次第「船を出してくれ」と声をかけた。

 帰ってくるフレェズはどれも同じだった。

「正気か?」

「おらぁ正気だ! もとの漁場に戻してやるってんだ! 船くらい出せよ! 」

 浩二に何か勝算があった訳ではない。口が強気なだけで今まで乗り切ってきた。

 また、漁師が船を出し渋るのは、危険だからとか生意気な日本人への嫌がらせとか、それだけではなくて、浩二の所持金に問題があったのだ。

 浩二は、タンクトップの裾に縫い付けた日本までのチケット代を握りしめた。

「わかったよ! これならどうだ? 」

 浩二はタンクトップの裾を引きちぎると、最後の有り金を突き出した。

「これなら悪くない」

 さっきまで頑として船は貸さないと言い張った白髪の白人は、その金をみて態度を変えた。

「ダイビング用品一式に水中撮影用防水カメラ、それからボォトだ」

 髭まで白い白人は書類にサインした。

「死んだら保険がおりるが、まぁ死ぬんじゃないぞ」

 恰幅のいい白人はそう云ってキィを渡した。

 翌日、薄紫のアロハシャツを羽織る白人と一緒に港へでて、ボォト見たときはさすがに身の危険を感じた。

「おい、いくらなんでもこれはねーだろ! 」

 浩二は白人にくってかかったが、嫌ならやめろの一点張りだった。

 浩二は黙って積み荷を積むと、白人にはなにも告げることなく小さな船を出した。

 最近は便利になった。海図の読めない浩二は、スマホのGPSが頼りだった。

 浩二は、昔、海が青いことがとても不思議だった。真っ青なのに、掬っても青くない。

 満足のいく同じ青の水を作るのに、絵の具の青を二本も三本も使った。掬っても青くてガッカリした。

 眼の前に広がる海は、絵の具で作った青い水より、ずっと青く見えた。

 また浩二は思う。

「海が青いのはなぜでしょう? 」

 中学生になったばかりのころ、担任の先生が生徒たちに質問した。

 みんなが手を挙げて、宛てられた生徒は当たり前のように答えた。

「空の色を反射しているからです」

 先生は、常識ですねと云わんばかりに、たいして答えた生徒を褒めることもなかった。

 浩二は違う。

空の色を反射してる? 馬鹿を云うな。空の色と海の色、明らかに違うじゃないか!

 真実を突き止めていくうちに、レイリー散乱だとか、水分子自体の光の散乱によるものだとか複雑なことが重なっていることがわかった。中には水自体がわずかな青色をしているためだという説もあった。浩二はどれにも納得しなかった。 

 海には海の色がある。それは海の表現方法なんだ。だから漁師はいろんなことがわかるんじゃないか? 色だけでなく海が表現しているものを感じとれるから、いろんなことがわかるんじゃないか?

 例によって、そんなたわいもないことを、頭の中で一大事に仕立てあげたころ、確かに海の表現がさっきまでとは変わってきていることに気付いた。

誰だって、擦りむいた傷口に触れようとしたら怒るだろう。ましてや、骨折した腕を叩こうとしたらどうか。

 浩二は、荒れていく海をそんな風に思って眺めていた。

 GPSが現場付近を示している。

 すぐに細々したものを防水ケェスに入れて身体に括り付ける。ボンベを背中に、カメラを前に提げ、水中眼鏡を付ける。

 恐らくなんの役にもたたないだろうが小さな碇を沈め、背中から海に降りた。

 鉛のような色をしている海に沈みながら、ここまで何の計画もなくきている自分を笑った。

 思えばガキの頃からそうだった。

 幼稚園の囲いを抜け出して蝉とりをした。えらい叱られたもんだ。

 親の財布からくすねてこづかいにしたり、適当に入部した剣道部には結局一度もいかなかった。

 受験、就職、すべてそうだ。いきあたりばったりの人生だった。

 女に関してもそうだ。

 人妻だろうが、知人の彼女だろうが、本能の赴くままに生きてきた。

 そんな自分が、たくさんの人に迷惑をかけてきたことも、浩二はよくわかっていた。その罪悪感が、逆に浩二を追い込んでいく。

「あぁ、このまま底まで沈んで行きたい。二度と浮かばないでいたい。その方が世の中のためかもしれない」

 浩二は、ゆっくりと暗い海を沈みながら眼を閉じた。浩二の過去を作ってきた様々な罪悪感が、もう帰れないことをも覚悟させたといえる。あのボォトで帰れるほど、この海域は甘くはないだろう。もっともっと性能のいい漁船が何隻も行方を眩ませているのだから。それは、いくら浩二がダイバァの免許をかろうじて持っているくらいの素人といえども、わからないはずはなかった。

 静寂の向こうに水の音が聞こえる。自分の吐く息の音、コツコツと水が流れる音がわかる。海水が冷たくてとても心地いい。

 しばらくは微動だにせず、身体が沈むままに沈ませた。

 だんだんと、自分の存在がこの海の機嫌さえも損ねていくのがわかる。

 ここも俺を受け入れてはくれない……

 そんな感傷に浸りながらも、そこに隠された意味を考える。

 一ヶ月前まで平穏だった魚場。何世代も前から伝わる宇宙船の伝説。その姿は、時として見れることもあれば眼にすることができないこともあるらしい。そして、異様に魚が豊富に生息していたということ。

 これらの証言と、ここ一ヶ月の間に急速に荒れ出した海との関連を考えた。

 浩二は、身体がまっすぐに降りず、流れに飲まれ出したのをきっかけに眼を開ける。遥か上の方に、曇り空の頼りない太陽の光が微かに見える。

 仮に、宇宙船が本当に沈んでいて、彼らの云う通りに何らかの細工によって人の眼に触れないようになっているとするなら、その存在を知り、伝説として最初に伝えたものがいるということだ。

 これは、条件が揃えば、その存在をこの眼に確認できるかもしれないことを示している。

 足のフィンをしっかりと掻いていないと状態を保っていられなくなってきた。辺りには生き物の姿は当然なく、どんどん暗さは増していく。それと比例して冷たさも増していた。まだ、浩二はその冷たさを心地よく感じていられた。

 それまでは、穏やかで魚が豊富だったという。これにも宇宙船が関与している可能性は十分にありえる。彼らの話によると、もう一億年もそこで眠っている宇宙船だという。にも関わらず、細工によって正体が隠されているということは、動力が生きているということになる。それが、何らかの影響をこの環境に与え、魚が生息するにふさわしい状態を作り出したと云われても、なんら違和感はない。

 そもそも、一億年前の宇宙船が眠っているという話を受け入れる勇気があれば、どんなことも違和感はないか。

 浩二はそう思って溜息をついた。溜息は、たくさんの水泡となってコポコポという音とともに浩二より先に海面に帰っていく。

 問題はこの一ヶ月で、どうやらハッキリ云うと人間の接近を嫌がる様子を見せ始めたということだ。これは、もしかしたら何らかのアクションの前触れだと取れなくもない。

 浩二は、巧みにフィンを掻いて状態を保つより、流されて運に任せる何の計画もない例の方法に頼ることにした。今更自我を振り回してみたところで、なんの役にも立ちそうにないことは、水流がきつくなるに連れて明らかに感じられた。

 だんだんきつくなる水流に呑まれながら、気を失うことのないように、しっかりと眼を見開いていた。あとは身体の力を抜いて、なんの抵抗もすることなく、海の意思に己を委ねた。

 何度も、巨大な洗濯機にでも入れられたかのようにぐるぐると同じところを回りながら、浩二はまた死を覚悟した。

 日本を出てから、同じような覚悟はもう何度もしていた。真実を知ろうと思えば、それなりの代償が必要だからだ。

 もう今度こそはダメだと、もう一度自分の愚かな人生を振り返って、致し方ないとあきらめた頃、ほうり出されるように水流の外へ出た。

 そこは、別世界のように穏やかな美しいところだった。

 台風の眼のように、そこには一切の流れがなく、さっきまでの激流が嘘のようだ。また、鉛色をして一寸先も見えなかった辺りの景色が、今は鮮やかな薄い水色をしていて遠くまで見通せた。黒くゴツゴツした岩もなく、一面の白砂が広がっている。

 そして、浩二の眼に最初に映ったものは、行方不明になっていた何槽かの漁船だった。

 浩二はとるものもとりあえず、漁船へ向かってフィンを掻いた。

 激流から出たばかりだからか、身体が軽い。水中ではないかのように水の抵抗を感じない。

 海中にも関わらず、なにか漁船の漁師たちが生きているんじゃないかと錯覚するくらい、透明な空間だった。

 漁船に手をついて、中を調べる。まるで港に繋がれて停泊しているように、どこにも難破したあとはない。

 もう何日も経っているだろうに、海藻がついたり、貝がついたりもしていない。

 不思議に思って、もう一つ向こうの漁船にも行ってみる。

 それも、引き揚げさえすれば、すぐにでも使えそうに、悪いところは見当たらなかった。

 奇妙なことに、こちらの港ではあまり見たことがない新品の船にさえ見えた。

 いや、それは浩二には奇妙とは思えなかった。むしろ、何か確信めいたものを感じていた。

 浩二の仮説通り、宇宙船の動力が生きていて、それがこの海域を豊かな漁場にしていたなら、古びた漁船が新品同様に戻ることも、ないとは云えない。

 そう思ってから、途方もない話だと、自分を笑ってもみた。そんな話が成り立てば、逆に今の世の中は成り立たなくなる。

 そうやって真実は葬られていくのかもしれない。

 すべての答えは、この穏やかな空間に必ずある。

 浩二は、いよいよ宇宙船を捜しはじめた。

 何槽かの漁船は、お誂え向きに円を描くように転がっていて、その外側を激流が渦巻いている。ということは、この円の中心部に何か隠されているに違いない。

 よく考えると、曇り空の奮わない太陽の光は、見上げて見てもほとんど届いていない。

 辺りを照らしているのは、円の中心の白砂のように見えた。

 半径が五百メェトルくらいあるだろうか。かなりの範囲で、平らな白砂が広がっている。その上には、難破した漁船や、よく見ると、浩二と同じように取材にきた者がいるのだろう、水中カメラや酸素ボンベが落ちている。

 浩二は水中カメラを拾い、メモリを確認する。浩二の予想通り、バッテリは生きている。いつ落としたものかはわからないが、ほんのニ、三時間前ということはないだろう。バッテリ残量が百パァセントと表示されているのは明らかに異常だった。

 メモリを確認すると、一枚の画像も残っていなかった。

 意味もなく背筋がゾゾ気だつのがわかる。

 なんらかの強い意志を感じた。

 その意志が、自分を拒絶しようとしているのか、あるいは受け入れようとしているのか、この段階では結論は出せない。確かに、この空間に自分以外の生き物が貝一つ存在しないことを考えると、自分も葬られるのか、自分だけは許されたのかがまだわからなかった。

 浩二はまた笑った。

 自分のどこに許される要素がある?

 自分の問い掛けに、自分自身がもっとも納得していた。

 それはそうなのだ。にも拘わらず、この空間はまるで浩二を癒すかのように安らかな波動で満ちていた。

 中心に近付くに連れて、光は強くなり、白砂の一粒ひとつぶがハッキリわかる。

 そこに海水はないように透き通り、目指すべき中心には浩二のお目当てのモノどころか、何もないのが見てとれた。

 浩二はゆっくりと中心に降り立つ。何故か無性にフィンを外したくなって、素足で白砂を踏み締めた。

 キシキシと積もった新雪の上を歩いているようだった。

 無くさないようにしっかりとフィンを抱えた。そのとき浩二には、先にここへ来た記者の気持ちがわかって、腹のうちから恐怖心が沸き上がってきた。

 彼、或は彼女は、ここへ来てなにもかも脱ぎ捨てたに違いない。

 なにか、余分なものは全て棄てて空間に同化したいという気持ちが、フツフツと涌いてくるのだ。

 浩二は、そうした衝動とは逆に、無理にフィンを履き直すと、中心部分を掘りはじめた。

 それが何か愚かな行動のようにも感じながら、自分にできる唯一のことのような気がした。

 海中で白砂を掘る。

 気の遠くなる作業だ。掘ってもほっても穴は深くならない。

 しばらくすると、浩二は馬鹿ばかしくなって辞めた。頭のうしろで手を組んで力を抜いた。

「ちくしょー! 宇宙人! 俺に正体見せてみろよ! また何億年もここに沈んだままか? 」

 ガボガボと大きな気泡が、遥か上の暗い海面へ昇っていく。

 気泡が海の底へ沈んでいくみたいだった。


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