第9話

 次にガルアランがオリシアを向かわせたのは食堂だった。

 俗に葉巻型と呼ばれる宇宙船の艦内は、小さな街になっている。内壁が回転し、遠心力で重力を生んでいるのだ。中には小さな山や、オリシアが泳いだような湖もあった。農場もあり、食料も殆どが自給だ。歓楽街やオフィス街、住宅街もある。長距離輸送船として何億光年も旅をするため、種族によってはこの小さな宇宙船の中で生涯を全うする者もたくさんいた。

 オリシアが連れて行かれたのは、中でも一番大きな軍所属の食堂だった。

 それは、軍の施設が集中している区域の外れ、どちらかというとダウンタウンにあたる。細かな建物が密集していて、建物と建物の間にシートがかけられている。その下にも人が住んでいた。兵隊相手にモノを売って暮らしているのだ。

 そんな中に、一際大きな体育館のような建物があり、それが軍人用の食堂だった。外観は汚れているし宣伝する必要もないので、知らない者はそこが食堂とはわからない。

 民家と民家の間に張られたシートの下には、両側に家のない人々が寝そべっている。

 なぜ、宇宙一科学技術の進んでいるベガルファの宇宙船に、こつじきの者がいるのか、オリシアは不思議に思った。

 ガルアランは、その様子に気付いたのか、辺りを眺めながら話した。

「この船には、長い旅路の途中で収容された難民もたくさんいる。中には母星に帰らず住み着く者もたくさんいるのだ。彼等にももちろん仕事が与えられるが、自ら堕落していくものを保障することは、ベガルファではしない」

 それはオリシアには、確かにそのとおりのように聞こえた。

 自分たちの星は、平和を合言葉に軍を持たずに滅んだ。自ら己を護ることを放棄したモノが滅ぶのは、やはり当然であり、王はその責任を問われる。オリシアはまた胃が重くなる憂鬱を感じた。

 その人達を縫うように歩き、油やなんかで随分汚れた裏口を入る。取っ手もベタベタで、ガルアランはオリシアにそれをひかせた。

 中は、特殊ステンレスでできた厨房用の棚やワゴンが沢山並んでいる。よく使う部分は傷が反射して見えるくらいに徹底的に磨きこまれているが、下の方は長い年月の内にたまった油で真っ黒だ。側面にはタッチパネルのメモがあちこちに備え付けられているが、油やころもやなにやらでずいぶん汚れていた。広さはテニスコオト二面分くらいだろうか、何十人もいる従業員が引っ切りなしに動いていた。

 ガルアランは中の太った男と暫く話をして、すぐに裏口からでていった。

ガルアランになんと云われたのか、男は随分恭しく話を聞いていた。

「さっさと仕度をしないか! あたしゃ小娘が大嫌いなんだよ! 」

 太った男はコックの衣装を着て、豚の顔をしている。確かに男だが、言葉のイントネエションが女性のようだ。

 オリシアは早速手ぬぐいを投げ付けられた。厨房の隅で白い服に着替えると、まずは大量につまれた皿洗いから始まった。

 豚が叫んだ。

「洗浄器が壊れてんだ! さっさと洗わないと間に合わないんだよ! 一日何人くると思ってんだ! 」

 仮にもここは宇宙一科学技術の発達したベガルファの最新異次間航行艦の中である。洗浄器が壊れて手で洗うなどと考えられない。

食料庫の確認といい、あきらかに「嘘」だった。オリシアを試そうとしているのか、鍛えようとしているのか、ただの嫌がらせか、とにかくオリシアは、もうボロボロになっていた手で皿を洗いはじめた。

 洗っても、洗っても次から次に積まれていく。洗っても、洗っても豚の罵声と汗くさい手ぬぐいが飛んでくる。

 厨房には、何十人という者がそれぞれ仕事をしていたが、誰もオリシアと眼をあわせる者はなく、時折憐れむような視線をオリシアに向けるのだった。

「なにやってんだいこの馬鹿娘が! 」

 暫くして、豚がオリシアのもとにきた。かなりの枚数をこなした筈だった。

「ちぃとも間に合ってないじゃないか! 」

 豚はオリシアの胸倉を掴んだ。

「い、一生懸命やってます……」

 オリシアは苦しそうにそう云った。

「これだからお嬢さんは! 一生懸命かどうかは聞いてないんだよ! 結果がすべてなんだ!見ておいで!」

 豚はオリシアを突き放して皿を洗いはじめた。

 凄い勢いだった。オリシアの三倍くらい早く、それでいて、オリシア以上に綺麗に洗えていた。

「わかったかい! あたしらみんないざとなったら機械に頼らなくてもやれるんだ! しっかりやりな! 」

 オリシアは本当に驚いた。比較的貧しい家庭に育ったオリシアでさえ、食洗機が壊れて手で皿を洗うことなんかなかったし、厨房の人はみんな機械に頼りきりだと思っていたからだ。

「おらおら! なにみてんだい! 自分の仕事を済ませな! 」

 豚はオリシアに注目していた従業員たちを叱り付けた。

 オリシアは、また皿を洗いはじめた。

 何枚か洗っていると、またとても自分が惨めに思えた。

 箒掛けでできた豆が破れ、洗剤が滲みる。

 つい手を滑らせて皿を床に落としては、もう何枚割ったか数え切れない。その度に水を張ったタライに集めたかけらを入れる。形状記憶セラミックのおかげで綺麗にもとには戻る。

 それから数日の間、毎日皿を洗い、厨房の隅で眠り、やってもやっても怒鳴られたし、何枚も手ぬぐいをぶつけられた。

 従業員の視線も冷たく感じ、出来の悪い皿洗いだと思われているんだと悲しくなった。

 

 あぁ、本当につらい。世の中の人は、みんなこんなにつらい思いをして生きてるんだろうか。在庫の確認も、皿を洗うのも、こんな単純なことも満足にできない。

 私に生きてる価値なんて、本当にあるんだろうか? 王の資格どころか、人としての資格さえないんじゃないか。


 ハルタミナの講堂でみた、プレオミスの生き残った人々や、この裏口を出たところにもたくさんいるこつじきを思い出すと、こんな風に思えて悲しくなるのだ。

「俺にもやらせてくれ! 」

 裏口が開いて、知った声がした。

 振り返ると、ダルマニオが立っていた。

「ダルマニオ! 」

 オリシアはつい大きな声を出したが、回りの者たちに注目されて、慌てて声を抑えた。

「なんでここにいるの? 」

 頭をさげてダルマニオの耳元で話す。

「兵器管理長の職を辞任してきた。ガンマニオでは主と共に過ごすのは当たり前のことだ。オリスを護るのが俺の仕事だ」

 ダルマニオは強い口調でそう云った。

 兵器管理長といえば階級は大尉以上の軍でも有数のポストだ。厨房の中は小さくどよめいた。

「洗浄器が壊れてんだろ? すぐに直してやるよ」

 ダルマニオは笑って修理に取り掛かった。特殊ステンレスのワゴンが並ぶ狭い通路に入り込み、洗浄器の後ろに顔を突っ込むと、ものの三分程度ではい出てきた。

「なんだい! 本体側の配線が抜けてるだけじゃないか! 」

 ダルマニオは呆れた。

 厨房には歓声があがった。みんなオリシアの頑張りをずっと見ていたからだ。

「……みなさん」

 オリシアは厨房を見回して、少し泣いた。みんな自分を嫌ってると思ってた。

 中には被っていた帽子を天井に放り投げヤホォと手を叩く者もいた。オリシアに意味もなく握手を求めるものもいた。

 豚と、様子を見に来たガルアランは、ホールから覗いていた。

「……不思議な方だ」

 ガルアランは呟いた。

 数日たって、ガルアランが向かえにきた。

 オリシアは、皿洗いから野菜を切るポジションに昇格していた。

 ダルマニオはずっと床を磨かされていた。仮にも前兵器管理長で、ここには客として毎日来ていたのに。

「よく働いたねぇ」

 豚の厨房長がオリシアに袋を手渡した。着替えを済ませたオリシアは、不思議な顔で袋をみた。

「開けてごらん」

 厨房長に云われて中身を確認する。中にはベガルファの紙幣が35万ベガも入っていた。もちろん、ベガルファではマネェはすべてデェタ管理されていて紙幣のやり取りは通常されない。

「手渡しで貰った方がやりがいあるだろ? 」

 それが厨房長の信条だった。

「こんなに? 」

 オリシアは眼を丸くして厨房長をみた。

「働いた者には相応の報酬をだす。当たり前のことさ」

「ありがとうございます! 」

 オリシアは泣きながら厨房長に抱き着いた。

「およしよ! あたしゃ小娘が大嫌いなんだ! かわりにあんたが抱き着いとくれよ」

 厨房長はダルマニオをみた。

「……遠慮する」

 ダルマニオは小さく云った。オリシアは笑った。

「さぁ急げ。次だ」

 ガルアランは顎でオリシアを呼びつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る