第7話

 オリシアは早速掃除をはじめることにした。

 そこは五階建てくらいの天井の高いとても大きな倉庫だった。中にはぎっしりと食料の詰まった箱が並んでいる。

 その量はとても一人で仕分けられる量ではなかった。それでもオリシアは、時間はいくらでもあると云い聞かせ、腕をまくって仕事をはじめた。

 まず、貯まりに貯まった埃をなんとかするのに、オウトクリイナアを探したが、見付かったのは箒とチリトリ、雑巾三枚だけだった。

 仕方なく、オリシアは箒で埃を集めた。

 広い敷地を、箒で掃いて雑巾がけを済ませるのに、いくら時間がたったかわからなくなっていた。

 三枚あった雑巾は、何度洗っても真っ黒だ。柔らかいオリシアの手の皮は、あちこちが水ぶくれになったり、剥けたりした。

 ちょうど汗だくになって雑巾がけが済んだ頃、ガルアランが戻ってきた。

「終わったろうな」

 オリシアは、へたりこんだまま「これからです」と答えた。

「なにをやっている! 期限を区切れ! 目標を設定しろ! そこにこだわれ! 」

 ガルアランはオリシアを怒鳴りつけた。

 生まれてから怒鳴られたことなどないオリシアは、ビクッと身体を震わせた。プレオミスの人間は、ほとんど怒ることがなかったからだ。

「さぁ、今プレオミス時間で二十七時だ。何時までに終わらせる? 」

「じゃあ三日後には……」

 おどおどと小さな声で返事をする。

「何時だ! 」

 ガルアランはもう一度怒鳴った。

「明日の二十七時までに! 」

 オリシアは頭に来て怒鳴り返した。

「ふん」

 ガルアランは鼻を鳴らした。

「では四食置いていく」

 包みを入口の横の作業台に置いて、ガルアランは出ていった。

 オリシアは、しばらく食事も取らずに働き続けた。箱を開けて中身を書き出していく。

プレオミスの一日は百四十三時間だが、一時間は地球換算で十分程度なので一箱に何分もかけられない。必死だった。

 それがオリシアには心地よかった。なにも考える必要がなかったからだ。

 睡眠も取らず、食事もそこそこで最後の一箱を書き出したころ、ガルアランがやってきた。

 オリシアは云われるままに書き出したものを渡す。

 そもそも、プレオミスでも、ベガルファでも、書き出すなどと原始的なことはしない。見たものを波動に代えて送るだけで記録されるようになっていたし、倉庫に入った時点でスキャンされる。

「確認したのか? 」

 目録をめくりながらガルアランが聞いた。

「そこまでは……」

 オリシアが口を開くと、ガルアランは目録を突き返した。

「やり直しだ。どこの世界で確認のされていない書類が通用する! 自分の仕事に責任を持て! 」

 オリシアはさすがに疲れがドッと出るのを感じた。

 ガルアランは、目標の時間を聞いて、また包みを作業台に乗せて帰っていった。

 オリシアはそのまま床に突っ伏して眠りについた。冷たい床が気持ちよかった。

 泥のようにしばらく眠って、少し食べたあと、確認をはじめた。確認ったって、ようは一からやり直しだ。途方もない作業だった。

 ハルタミナの講堂で、たくさんのプレオミス人を見た。彼らはみな、親や子供や兄弟を、目の前でレプタリアンに食べられたのだ。

 彼らの気持ちは痛いくらいわかる。オリシアだって、王族が生き残っていたら、石くらいはぶつけたろう。


 私は、自分が王族だなんて知らなかった。知っていればこんなことにはしなかった。いや、やはりこうなっていただろうか。

 あぁ、なんの取り柄もない。償いたいのに、こんな原始的な仕事もこなせない。

 神様、私が生まれた理由はなんですか?

 できることなら、もう死んでしまいたい。魂さえ消してもらいたい。


 オリシアは、知らない間に大粒の涙がボタボタと書類を濡らしているのに気付いた。

 しばらく思うままに泣いてみてから、気分転換に外へ出てみた。

 外はすっかり暗くなっていて、そこが宇宙船の中だとはとても思えなかった。

 キラキラと虫の鳴く声に誘われてフラフラと歩くと、綺麗な湖にでた。

 月を模した明かりが湖面を照らしている。

 白鳥と孔雀を足したような鳥がつぅぅぅと水面を流れる。

 あまりの美しさに、オリシアは、自分が真っ黒に汚れて汗くさいのに気付いた。

 辺りに誰もいないのを確認すると、すぐに作業着を脱ぎ散らかして湖に飛び込んだ。

 母を亡くして以来、すっかり光を失っていたオリシアの身体も、うっすらと青緑に発光しだし、やがて美しく輝いて湖面や水中を照らした。

 オリシアは、月を背景にして泳ぎ、潜り、パッと飛び上がってはうしろに反ったりした。

「なんて綺麗なんだ……」

 額に角の生えた白い馬に跨り、簡易な鎧を纏った若者が、木陰からその光景を見て呟いた。

 白い馬が草木に擦れ、ザザザと音がした。

 オリシアは驚いて、作業着を脱ぎ捨てた岸の方へ泳いだ。

「驚かして済まない。立入禁止になっていたものだから、気になって来てみたが、こんなに美しい人に出会えるとは思わなかった」

 若者は馬を降りて湖岸に近づいた。

 オリシアは、首から上だけを水面から出して、左手で胸を隠し、右手を岸にかけていた。若者からは、正面に模擬月を見て、左側にオリシアがいる。

「あぁ、私はアヤスサ。これでもこの船の艦長だ。今は形だけだがな」

 オリシアは押し黙ったまま、いつでもあがって逃げ出せる意志を見せていた。

「察するに、あなたはプレオミスの王様だね? 確か、オリシア? 」

 アヤスサは、そう聞いてから少し俯いて小さく独り言を云った。

「そうか、ここに連れてきたのか……」

 黙ったままジッとアヤスサを睨むオリシアに気付いた。

「あぁ、すまない。私がここにいたらでられないね」

 そう云ってアヤスサは、もっともっと眺めていたい衝動と戦いながらも、潔くうしろを向いた。

「それにしても、プレオミスの女性がこんなに美しいとは! 聞いてはいたが、想像以上だ! 」

 アヤスサは、馬から降りてうしろを向いても大きな声で感嘆の声をあげていた。

 オリシアはすぐに岸に上がって作業着を纏った。

「あ、あの……」

 オリシアの声に、アヤスサは振り返った。

「あぁ、今そこへ行くよ」

 アヤスサはそういってユニコオンに跨ると、数秒ほどでオリシアのところへやってきた。

 ベガルファ人の性質がそう見せたのだろうか。その姿は、オリシアがまだ小さい頃パレエドで見た若きクマネミ王の姿そのままだった。あの頃は、父とは知らず憧れたものだった。

 オリシアは、アヤスサに声を掛けたこと後悔した。

「あの、私、仕事があるので戻ります」

 オリシアは、アヤスサと眼を合わせることなくそう云った。頭では、倉庫へ帰らなくてはいけないことを理解していながら、身体が云うことを聞かない。

「客人なのに仕事が? 」

 アヤスサはユニコオンから降りて、オリシアへ近づいた。

「来ないで! 」

 オリシアは、それをきっかけにして全速力で倉庫へ走った。倉庫に着くと、しばらくは壁にもたれて鼓動が収まるのを待った。それは、胃から心臓へ巻かれた有刺鉄線が切れたように、提げられた鉛が落ちたように、からっぽの器に芳醇な果実酒が注がれたように、ドクドクと力強い振動だった。オリシアは思わず胸を押さえてうずくまった。

 オリシアには、それが走ったからなのか、それともなにかわからなかった。

 次の日、ガルアランは定刻どおりにやってきた。

 オリシアは、目録を突きつけて云った。

「確認はしましたが、私一人では万一ということもあります。仕事を任された責任者として、貴方にも確認をお願いしたい」

 オリシアは厳しい視線でガルアランを見た。

 ガルアランは掠れた声で大笑いをした。

「ハハハ! これは恐れ入った。もっともだな。早速確認しよう」

 ガルアランはそう云って目録を受け取った。

「では、次は武器の管理をしてもらう。ついて来い」

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