第4話

「オリシア! 」

 全身が照明のように輝く例えようもなく美しい女性が手を伸ばして叫んだ。真っ白な衣が赤い液体に侵食されていく。

「お母さん! 」

 まだ若いオリシアだが、その輝きは母のものより強かった。

 美しい筈の空は、連日の攻撃による大気のバランスの変化で真っ赤に染まっている。

 地球では見たことのないような美しい花が咲き乱れていた山々も、今は黒く沈黙し、たくさんの不思議な形をした建物がその原型を留めることなく崩れ、悪魔の棲む星と成り果てていた。

 至る所に、ニビ色をした鎧をきたベエタの兵士がいて、輝く人々をその不気味な口を開けて頭から喰らう。

 大地もまた人々の血で朱く染まっていた。

「オリシア! はやく! 」

 オリシアは老人に手を引かれ母と生き別れた。

 オリシアの涙に霞んだ瞳に、遠くに見える母が恐ろしい怪物に頭を食いちぎられるのが映る。

「お母さん!! 」

 そう叫ぼうとしても、あまりのショックに声がでない。オリシアはパクパクと力無く口を開いたり閉じたりした。胸が熱くて、痛くて、苦しくて、掻きむしりたい衝動にかられる。

 ベエタの兵士達は、彼らがどこに逃げようと無駄なことを知っていた。オリシアを追うものはなく、逃げ遅れたものを食するのに忙しかった。バリガリと音をたて、骨などまるで気にせずにぺろりと完食しては次を探した。

 その光景は、正気では見られたものではなかった。

 あちらこちらに、輝きを失って気の触れた者が笑いながらフラフラと歩いていて、ベエタの怪物にガルっと食いつかれ、頭が半分なくなる。血が吹き出して大地をさらに濡らす。

 中には長くて細い紫色の舌でそれを舐めるものもいる。

 オリシアは、老人に手を引かれて走りながら、その悪夢を古代の写真機のように心に焼き付けてしまった。

「お母さ~ん!! 」

 鳴咽が呼吸困難のようになりながら、やっとの思いで叫んだときには、もう母の姿はなかった。

「ガリリアアランダナバラレカ! 」

 何人か、側にいたベエタの兵士がオリシアと老人を見つけた。

「ウランダハララバ! 」

 シャアシャアと舌を出し入れしながら訳の解らない言葉を発し、老人とオリシアは取り囲まれた。

「オリシア、気をしっかりもて。母の分も生きよ! 」

 老人は敵から眼を離すことなくオリシアに告げた。

「あそこへ飛び込め! 」

 老人が示したところは、オリシアが普段から入ることを禁じられていた古い古い井戸だった。

 老人はそういうと、ロウブに隠していた鋭い爪をあらわにし、あっという間に一番近くにいた兵士の首を掻き切った。

 それを合図にオリシアは井戸を目掛けて走った。  

 老人のロウブは弾けて破れ、中から熊とゴリラを掛け合わしたような巨大なケモノが現れた。

 体型はゴリラのように上半身がゴツゴツでかく、体毛は熊のようだ。顔はやはり熊のようで眼が濃緑をしている。

 牙は熊より長く、よだれが垂れている。

「じぃ……」

 オリシアは立ち止まって振り返った。

「立ち止まるな! 」

 じぃは、そう叫んで二人目を引き裂いた。

 油断していたレプタリアンたちは、すぐに銃を構えた。

「行け! オリシア! 我がプレオミスの希望よ! 」

 オリシアは駆けた。オリシアが躊躇いもなく井戸に飛び込んだとき、銃声が鳴り響いた。

 そこは、古井戸の中とは思えなかった。

「じぃ! 」

 オリシアが泣き叫びながら飛び込むと、井戸に貯まった水の層をバシャリと抜けて地面に落ちた。すぐに明かりが燈る。見上げると、まるで天地が逆さになったように天井に水面が揺れていたが、やがて分厚い扉が閉じていく。

視線を前方へ降ろすと、長い地下通路がある。

 オリシアは悲しみに暮れたい気持ちを必死に抑え、まっすぐに歩いた。

 同じ眺めが続く退屈な通路を数分進むと、やがてとてつもなく大きな部屋にでた。小さな球場ほどある。

 中ではたくさんの人が慌ただしく動いていて「急げ! 」とか「まだか! 」とか怒声が飛び交っていた。

 みな、白い制服を着ている。大半は身体が発光するプレオミス人だが、中には羊に似た者や熊に似た者など、様々な人種がいた。

 正面にはサッカァグラウンド程もあるモニタがあり、ベエタの艦隊やプレオミスの各地の状況が映し出されていた。どこの様子も赤と黒で見られたものではなかった。

 その手前には超ハイテク機器が並び、何列にも座席が連なっていて、地球でいうヒュウストンの官制室を思わせる。

 オリシアは言葉を失ってその光景を見ていた。

「オリシア様! 」

 一人の兵士がオリシアを見つけた。

「お怪我はありませんか? 」

 兵士が二、三人集まってきた。

「よくぞご無事で……」

「さすがマイオルクだ。たった一人で姫を護った! 」

 兵士たちはオリシアをみて口々に云った。

 オリシアは、姫であることを知らされず平民と共に育てられた。そのためこの扱いに驚いて呆然としていた。次々に起こる出来事について行けていなかった。

「オリシア様がおつきになられた! すぐに連絡橋を切り離し、異次間航行へ移れ! 」

 真ん中の大きな座席に座っている指揮官らしい人物が、立ち上がって一際大きな声で叫んだ。

「ここでですか? 」

 艦橋内にどよめきがおこり、何人かの士官が指揮官のところにカツカツと走り寄った。

「艦長! 地中での異次間航行など古今例がありません! 磁場の反動で下手をすれば……」

 指揮官は全く動じることなく答えた。

「では君達は、あの何千もの艦隊の中を単艦で突破するというのか」

 艦長は、モニタに映る膨大な数のベエタの艦隊を顎で示しそう云った。

 艦橋は静まり返った。

「異次間航行用意! カウントダウンは省略し、準備出来次第航行に移れ! 」

 艦長はもう一度声を張り上げた。

「目標は、ミルキィウェイだ! 」

 深刻な顔でみつめる士官たちに、艦長は呟いた。

「大丈夫。必ずうまくいく」

「艦長! 連絡橋を伝って奴らが船に取り付きました! 」

 艦橋の窓やモニタに、取り付いたベエタの兵士が見える。

「急げ! なんとしても脱出するのだ! 」

 また慌ただしく人々が動き出した。

「エンライトメントパワァ正常! 」

「総員着席してベルトを着用! 近くに椅子のないものは身体を低くして身を守れ! 」

 兵士に促され、オリシアは艦長の席の後方の扇型の階段をあがったところにある豪華な座席に座った。

 窓の向こうでは、レィザァバズを何度も放つレプタリアンの姿が見える。その度に黒い煙で窓が隠れて煤がつく。

「その程度で揺らぐものか……」

 艦長は云いながら、冷や汗が頬を伝うのを感じた。

「準備完了です! 」

 オペレィタァが叫んだ。

「よし! これより異次間航行を開始する! 」

 艦長の声を合図に、異次間航行が開始され、船が少し振動をはじめた。

 オリシアは吐き気を感じて俯いた。

「大丈夫ですか? 」

 兵士はベルトもせずオリシアの横に立ったままだった。

「三次物質から異次体に変換される間、慣れないと気分が悪くなることがあります」

 兵士はオリシアの顔を覗き込んで説明した。

「すぐに良くなりますよ」

 艦橋では、何人かが嘔吐している。はじめての者もかなりの数いたからだ。

「ありがとうございます」

 兵士になんとか礼を云って、黒い大理石のような床に自分の顔が写るのを、オリシアは複雑な気持ちで見ていた。

「成功です! 無事異次間に入りました! 」

 オペレィタァの一声に艦橋は歓喜に包まれた。

 つかの間、艦内にアラアトが鳴り響いた。

「何事だ! 」

 艦長は座席の手摺りをたたき付けた。

「エンライトメントパワァが著しく低下! 地上の波動が混ざり込んだようです! 」

 右前方の計器類を見ている兵士が叫んだ。

「異次間から弾き出されます! 」

 左前方のオペレィタァが繋いだ。

 艦長は声のするままに右、そして左を見て正面のモニタを見た。

 オリシアは、下腹から上へ押し出されるような吐き気を感じた。

「出ます! 」

 またオペレィタァが叫んだ。乗組員は息を飲む。

 どこにでる?

 艦長は自分に問うた。

「前方に艦隊! 数、数千!! 」

 オペレィタァの声に艦内は凍りついた。

「んぐぅ! 」

 艦長は声にならない声をあげて、すぐに指示を出した。

「すぐに異次間航行を再開させろ! 全砲門を開け! 目標前方の指揮艦だ! エネルギィ充填まで何としてももたせろ! 」

 艦橋はまた一気に慌ただしく動き出した。

「待ってください! あれはベエタの艦隊ではありません! 」

 オペレィタァの声に艦長はすぐに答えた。

「確認急げ! 」

 総員はいつでも撃てる状態で待機していた。

「艦長! 味方です! ベガルファとプレタナスの艦隊です! 味方です! 」

 艦長は、ふうと大きな息を吐き、椅子から腰がずり落ちる。帽子も前に傾いた。

 張り詰めていた緊張感は崩れ、めいめいが騒ぎたてた。軍属の者より非難民の方が多かったからもある。

「こちら、プレオミス所属異次間航行艦ハルタミナ。ベエタの艦隊に追われている。護衛を願いたい」

 艦長は自らコンタクトを取った。

『こちらベガルファ所属艦隊指揮二番艦ベオラグア。心配ない。タイムラインがずれている。ベエタの連中は貴艦を追ってミルキィウェイに向かった。我らは奴らを悔い止める有志が集った義勇軍である。貴艦の合流を心より歓迎する』


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