第2話

ロレットは、片方が自分の背丈の倍もあるような羽を広げた。そのとたん何かに捕まりでもしたかのように落下はとまり、今度は上昇して空を駆けた。

 六次では、羽のある者はほとんど見ない。羽を出せるほどの力は七次より上の力だ。

 本当は七次や八次では羽の必要性さえない。思ったところへ思った瞬間にいけるからだ。そういう意味では、羽を広げて飛ぶ行為自体、人間の妄想臭さを残していると云えよう。そうやってたどっていくと、人間がいかに無駄を楽しむ生き物かがよくわかる。その愚かな人間臭さを捨てきれていない自分を鼻で笑って、レイルは羽を消して自分の部屋へ瞬時に移動した。

 ロレットの部屋ほど殺風景な部屋は六次では他にみたことがない。床も壁も真っ白で、なにひとつない。

 博士がみたら失望するに違いない。

 ロレットが座りたいと思えば、すぃと白い椅子が現れて、眠りたいと思えば、またすぃと白いベッドが現れた。

 まぁロレットが眠るとこなど誰もみたことがないが。

 ロレットは、白いテエブルを出すとその上に博士から借りた伝記と名簿を置き、壁一面に名簿を投射した。壁中に老若男女様々な顔が映しだされた。

 顎に右手を、腰に左手をあてて、じっと眺めている。

 一人の少年に眼が止まった。

 縁とは不思議なものだ。日本や地球を守るために地上に降りるなら、ときの権力者に宿るのが最短だろうに、レイルが選んだのは中学生の冴えない男の子だった。

 レイル自身、その選択に疑問を抱いていた。

 それはつまりこういうことだ。

 ペットショップへチワワを買いに行くとする。ペットショップの中では、ショウケェスに入れられた様々な犬が並んでいて、チワワを忘れて目移りする。やがて店をでるときに柴犬を購入して帰る自分に気付くようなもんだった。

 ロレットはさっそく地上に降りることにした。

 まず日本の四次に行く。日本四次では、三次に降りるのに、池に飛び込む風習があると聞いていた。 

 実際に行ってみると、今はほとんどそんな風習も廃れたという。案内のじいさんは面倒そうにロレットに云った。

「旦那ももの好きですな。今時ここから降りるなんてついぞ珍しい」

 本当はここまで来るのにずいぶん広い雑木林をぬけ、やっと開けて池にでるのだが、ロレットは部屋からすぐ飛んできた。人間臭さを嫌った結果だが、確かに面白みはなさそうだ。 

 レイルは池の前に立って中を眺めてみた。池の下では、人間が蟻のようにせこせこと動いているのがわかる。

 レイルは、本当は手続きさえすれば、思うだけで降りられるのにもかかわらず、この池から飛び込む風習に従いたい自分が、やはり人間臭いと感じて自分を笑った。

「じゃ、ちょっと行ってくるよ」

 案内のじいさんに手を降って、ロレットは池に飛び込んだ。

 普通はみんな、ここを飛び降りるのに本当に勇気を振り絞る。中には三日三晩池とにらめっこする人もいるし、降りるのを諦める人もいる。

 案内のじいさんは、レイルがあんまりあっさりしているのでうれしくなった。

「だんな~。頑張ってくだせ~」

 じいさんは両手を口の前に添えて池に向かって叫んだ。落ちていくロレットは、それに答えるように手をあげた。

 さすがに三次は賑やかだった。ロレットの嫌いな人間の世界なのだからたまらない。

レイルは、三次に降りてはじめてそれに気付いた。 

 よく考えると、ウォオクインなんかしようものなら人間として生きなくてはいけない。それはすなわち人間の習慣を実践するということだ。

 ロレットはいまさらながらゾっとした。

 ともあれ、お目当ての少年を探す。

 ロレットの姿は誰にも見えていない。それはやはりレイルにも痛快らしかった。

 古臭いビルが立ち並び、独楽付きの乗り物がたくさん走っている。

「はぁあ! 」

 ロレットは珍しくて思わず声をあげた。

 信号機が点滅していたり、中には足で漕ぐ人力二輪まで走っていた。

 見るものすべてが古臭く、まるで太古の昔にきたようだった。

 いつも物静かなロレットも、さすがに興奮して一つ一つ眼を凝らして観察して歩いた。

 はじめ、建物があまり低いので相当な田舎にきてしまったのかと思ったが、それが予定通り東京だと知ってまた驚いた。飛行機や新幹線など、あまりのレトロさ、科学技術の低さに愕然とした。

 これでは、ベエタの連中に勝てるわけがない。

 はじめのワクワクした気分は、次第に不安に変わっていった。

 それだけではない。街中を漂う不成仏霊の多さにも動揺を止めることができなかった。

 地上の人間が、これだけの不成仏霊を憑依させて生きているとなると、ベエタの連中の行動に、ある種の正当性を持たせてしまう。

 ロレットは困惑していた。

 こんなとき博士なら、そんなこむつかしい話はあとにして、思いきり和の古風な空間を満喫したろう。

 実際、カフエやシアタアや古臭いビルヂングが立ち並んでいる。

 最新といってもせいぜい空樹塔くらいで、六次ではバラックみたいなものだった。

「……博士が見たら喜ぶだろうな……」

 レイルは憂鬱な気分をごまかすように呟いた。

 とにかく少年を見つけよう。話はそれからだ。

 ロレットは気を取り直した。

 見上げた空には、ロレットの母星であるプレアデスの船と同盟しているベガの船が無数に浮かんでいた。

 ベエタから日本を守っているのだ。

それだけが支えだった。

 レイルは少年を思い浮かべた。その刹那に少年の前に移動する。

 少年は、往来の激しい橋を渡っているところだった。

 橋は歩道と車道が区別され、橋の左側を東に向かって歩いている。

 右手には、『南座』と書かれた比較的大きな建物があり、ずっと続く道の先には青々とした山々が見えた。

 川の両岸には散歩道があり、犬を散歩させる人や走っている人、人力二輪を走らせる人もいた。

 北側は遠くに山が見え、柳やなんかの並木もあってそれは美しい。

 橋を渡り切ると、絵を売る若者が座っていたり、古風な楽器を弾く者がいたり、なにやら宗教家が立て札を持って立っていたりする。

 信号を渡って進むと、両側に賑やかなお土産屋さんや和菓子、漬物などの店が並んでいて、バスやタクシーが渋滞している。

 そのいかにも和風な辺りの景色に、ロレットはもう少しゆっくりと観察したかったが、少年は、土産屋には眼もくれず、真っすぐに東へ歩いた。

 途中、右手には石畳に町屋が並ぶ通りや、左手には木造の建物があり、ロレットは、ちょうど現代っ子が竪穴式住居でも見たような気分だった。

 いよいよ突き当たりの大きな大社に行き着いた。 

 レイルはそこが東京都ではないことに気付く。

 少年は、黙々と歩いている。

 左手に狛犬が睨み、右手に獅子が吠える広い階段を昇り、朱色の門を怒ったようにずんずんとくぐり、道なりに右手へあがると、やがて境内へでた。

 ロレットは、日本の神々とはまだ面識がなかった。日本の神々の中にはもちろん元々レプタリアンだったものもいる。それでも、ロレットは日本の神々に挨拶をしてから来るべきだったなと後悔した。

 少年は、右に社務所を見ながら敷き詰められた砂利を歩き、正面の能舞台を左に折れる。

 本殿を前にして、五円玉を放り投げた。

 上からさがる縄を振ると、ゴラゴラと大きな鈴がなる。

 正面に書かれた作法を見ながら、ぎこちなくお辞儀をした。

 大輝は祈った。

 彼にとっては深刻な悩みだった。普段神様に手をあわせることはない。まさに苦しいときの神頼みと云えた。

 世の中は真っすぐ前に進んでいるんだろうか。それにしては悲しいことが多すぎやしないか。いったい何が大切で、いったい何が不要なんだろうか。

 大輝はふっと顔をあげて、そこに不思議な外人が立っているのを見た。

 髪はさらさらの金髪で、眼は吸い込まれるように青い。肌は透き通るように白く……いや、実際に透き通っている。

「! 」

 驚いたのはロレットの方だった。少年には自分の姿が見えているようだ。

「あんたも幽霊か? それにしてはきれいやなぁ」

 少年は、なんの動揺もなくロレットに話しかけてきた。

 それも言葉は発さず、心の中で話す。それは、大輝が何度も同じようなことを体験している可能性を表していた。

「見えるの? 」

 レイルは同じように大輝の心に語った。大輝はコクッと頷いた。

「あぁ! 神様か! 僕が祈ったから? ピカピカやもんなぁ」

 大輝は一人納得したようすで話を膨らましていった。

 レイルはすぐに神様ではないなと思った。それは大輝に伝わった。

「ほんならなに? 」

 大輝はそんなはずはないと思いたかった。自分を助けるために来てくれたんだと信じたかったのだ。

「まぁ君を助けるためでもあるかもね。それよりどうして見えるの? 」

 大輝は、まだ小さいときから幽霊をよく見ていた。それでも、こんな綺麗な光ってるのははじめてだった。

「ふーん」

 ロレットは、大輝をこの時点でウォオクインには不適切な媒体だとは思っていなかった。

通常は、ウォオクインした相手にそれがばれることはなく、互いにコミュニケェションをとることもなく、媒体の体験を自分の体験として得ることが目的だ。今回の場合、一歩踏み込んで、多少? ロレットが媒体の人生に介入してレプタリアンの侵略を止めることが目的だった。

 あとでほとほと思い知ることだが、大輝はロレットが入ってくるのもわかるし、ロレットの思いを知ることもできれば、ロレットに思いを伝えることもできる。云わば、ロレットの思い通りにいかない媒体なのだ。

「君なら、うまくやっていけるかもね」

 レイルはそんなことなど考えもせず、大輝の中にすうっと入り込んでいった。

「え? なに? 」

 それは言葉ではいい表せない感覚だ。

 ロレットの意識が流れ込んでくる。一度にレイルの長い長い人生を体験したようなものだ。大輝はそれに耐えられず、その場で意識を失った。

 すぐに辺りの参拝客や観光客が駆け付けて、大輝を囲んだ。


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