第21話 クローバーの、他の花言葉は?
「そこ、いるの?セシルさん?」
その扉を、開けようとした。
が、動かなかった。
押しても引いても、横にスライドさせてみても、扉は開かなかった。
「たしかにそこに、光があるのに」
光にたどり着くのは、容易ではなかった。
「この、闇め!」
それでも扉は、開かなかった。
「すぐそこに、光があるのになあ。セシルさん、そこに、いるんでしょう?」
扉に、語りかけていた。
「開けてくれ。開けてくれよ!」
扉は、当然のごとく、何も言ってはこなかった。
「神様、お願いです!彼女に、会いたいんです!」
すると、こんな声が聞こえてきた。
「どうしたのかね、トキオ君」
空耳か…?
「教授の声?…そんなわけ、ないか」
声は、背後から、続いた。
「ねえ…。ねえ。どうしたの?」
振り向くと、3人の子どもたちが、立っていた。彼には、すぐに、察しがついた。
「この子たちが、セシルさんが面倒見ているっていう、子たちなんだろうな」
その状況で、そこに子どもがいるというのなら、店長セシルの近くにいる子に、違いなかった。
青いフード姿の女の子が、ため込んでいたような気持ちを、はき出した。
「私は、アプリコット。セシルに、用事があるのかしら?それなら、私が聞いてあげても、良いけれど。でも、伝言ゲームは、ほどほどにしてね。人の気持ちを伝えるのって、案外、難しいものだから。人の気持ちに、花の気持ちを理解するのは、もっと、難しいことなのかもしれないけれど。特に、ゆるゆるで育っちゃった世代の人には、難しいわ。辛い氷河の扉に阻まれた人たちの気持ちが、理解できないものね」
リー社員以上に、おしゃべりだった。
「人って、考えていることは、皆、違うわよね。そうした離ればなれになっちゃった気持ちを合わせていくのは、ホント、難しいんだから。生きている社会のあり方によって、人の気持ちって、変わってきちゃうものだから。バブルさんって、聞いたことがある?バブルさんなんか、すごいのよね。あの人たちが、厳しい厳しい社会に出てきたら、どうなると思う?文句たらたら言うだけの、社会の荷物ちゃん。会社人間で生きてきて、定年退職で家に戻ってきちゃった人なんかにも、花の気持ちは、わからない。だから…。あらあら、私、またおしゃべり」
「…」
緑のシャツを着た男の子も、いた
「ビンスって、いうんだ。よろしく。セシルなら、今は出かけてしまっていて、いないよ。ごめんな」
青いシャツを着た男の子は、こう言った。
「カタバンチだ。セシルは、いつも、俺たちの面倒を見てくれているんだ。今は、たまたま、いないだけ」
その横から、先ほどのおしゃべりアプリコットが、追加攻撃を仕掛けてきた。
「セシルは、とっても良いお姉さんよ。本を読んで聞かせてくれたり、するの。優しいんだから。あなたも、そんな優しいセシルのことが、大好きでしょう?あなただって、優しくされたい新卒さんでしょう?新卒って、素敵なんでしょう?就職氷河期世代の子たちのように、努力が少なくて済むし、泣くことも、なくなっていく。誰かが何かを替わりにやってくれるまで、待っていれば良い。ああ、良かったわねえ。新卒組は、会社の新人教育で、優しく優しく、教えてもらえちゃう。字の読み書き、ペンの持ち方、あらあら、あんなことや、あんなことまで…」
おしゃべりは、なかなか、止まりそうになかった。
その子たちの横で、セシルは、時代の先を見ていた。
セシルは、こう考えていた。
「子どもたちに、残念な大人になってほしくない」
彼女に育てられた子どもたちがたくましかったのも、うなずけたものだった。
「ねえ、君たち?」
「あら、何?」
「新卒が、なんの用事?」
「何だよ、新卒?」
「…あのさあ。セシルさんは、どこにいったの?」
3人の子どもたちは、ここぞとばかりに、口をそろえた。
「駅前の、ラフレシア公園だよ!」
彼は、走って、出ていった。
アプリコットが、つぶやいた。
「あの人、ラフレシア公園に、いくのかしら。ラフレシア。ラフレシア、か…。あの、世界最大と呼ばれるほどに大きい、あの花。あの人も、あの花が、好きなのかしら?ラフレシアの花言葉は、夢うつつ。それは、夢と現実の区別がつかない状態のこと…。あの人は、そこに、どんな夢うつつを探しにいくのかしら?」
彼は、そんな言葉など聞かずに、駅前の公園に走った。
「センキュウ!」
気持ちが、大きくなっていた。
「私の話を聞いてくれたって、いいのに。ゆるゆるに育っちゃった人って、どうして、人の話が聞けなくなっちゃうのかしら?花の気持ちも、わからないままで」
アプリコットが、まだ、ぶつぶつ言っていた。
「同じだ…」
いつかにお世話になった公衆電話が、見えた。
プル、プルー…。
すると、電話機から、音が鳴った。
「新卒への、挑戦か?」
条件反射のようになって、受話器をとっていた。
「よろしいですか?」
何の声か、まるで、わからなかった。
「…誰?」
程なくして、不思議な内容が、聞こえてきた。
どこかで聞いていたような声に思えていたから、焦らされていた。
「あなたは、いつか、セシルに、あなたにこそ感謝をしたいと、言っていましたよね?その言葉、花を証人として、たしかにいただきました。私にだって、あなたのその感謝をいただく権利が、あります。あなたに、花の気持ちを教えてあげたのですからね。それも、何度も、何度も…。あなたは、何度も、私に会いにきてくださいました。それって、そういうことなんですよね?あなたは以前…こんなことを、言っていました。…ウソじゃありませんよ。ウソなら、俺、死んでも良いですよって…。お礼に、センキュウって。でも、お礼であるべきセンキュウの花、セシルにも私にも、まだ、届いていないのですが?トキオさん、あなたは、ウソをつきましたよね?どうして、どうして、花を騙すような真似をしたのですか?私、あなたの気持ちをいただきます。花を、これ以上ない証人として」
その言葉が終わると、彼は、いよいよ、心臓を突かれたように、苦しくなってきた。その言葉は、大いなる精神的な槍となって、彼を貫こうとしてきた。
苦しんで苦しんで、涙さえも、出てきていた。
「な…何だって…。まさか…」
後悔しても、遅かった。
「まさか…センキュウという名の花が、あったなんて…!」
皮肉な、話だった。
人の気持ちは、恐ろしかった。
花の気持ちもまた、恐ろしかった。
「さようなら、トキオさん」
彼の心臓は、つぶされた。
翌朝、セシルや子どもたちがいた店裏の部屋の中に、いつも通りの朝の光が、差し込んできた。
「良かった。何も、変わったところは、ないみたい。最近は、変な男がうろついて物騒だと、いうことだったけれども。しっかり戸締まりしておいて、正解だったわね。良かった、良かった」
セシルが、さわやかに動き出した。
「ああ、良かった」
ゆっくりと、花屋の外に面した部屋扉を開けた。
そしてそのまま、卒倒しそうになった。
「キャッ。変な男が、倒れているわ」
すぐに、人を呼んでいた。
「あー。これが、最近町でうわさされていた、変な男の正体だねー!」
子どもたちが、そう言って、扉の前で倒れていた男、トキオを、指差した。彼は、充分に、冷たくなっていた。
セシルは、携帯電話で、どこかに連絡をとった。
「もしもし?うん、私です。うん、うん。そうなのよ。店の前。そこで、倒れていたのよ。どうしよう?どう処理すれば良いのか、わからないの。え?うん。花なんか、握っちゃってるし。うん。ああ。これが、トキオ。こんな姿に、なっちゃって。悲しんでいる感じ。でも、何に悲しんでいるのか、わからないわ。気持ち悪い。うん、うん。これが。私たちの世代を、さんざん、苦しめた。あの。だから、悲しんでいるんだ。うん、うん。わかった。放っておくわね。じゃあ、建設会社の仕事、がんばってね!」
彼女は、まわりを少し確認してから、朝食作りにとりかかった。
彼の心臓からは、鼓動が、完全に消えていた。
あまりいきたくもなかった冥界に入ってしまった彼は、果てしなく、悲しいともしびのようだった。
彼は、冥界に続く長い階段の途中で、学生時代にラックス教授から言われたことを、何度も何度も、思い起こしていた。
教授は、こんなことを、言っていたはずだった。
「いいかい、トキオ君。人間は、社会を目指す明らかな鼓動によって生きている。だがね、君からは、その鼓動が感じられないよ。君には、鼓動がないんだよ。新卒は、良い。だが、苦しみ涙、すべての努力の鼓動が、感じられない。それは、社会には、大いなる足かせとなるだろう。新卒には、鼓動がないんだ。…鼓動とは、規則的な繰り返し。すなわち、リズムのことだ。そう、何をするにしても大切なのは、リズムだ。歩くときも、ケンカするときも、飯を食うときも、愛し合うときも、鉄学するときも…。電話を掛け合うときも…。君たちは、社会で、どんな花を育てられるのかね?ビバップ!」
今になってその言葉を思い出しても、遅かった。
彼に鼓動が感じられないのは、明らかだったのだから。
冥界住人となった彼は、ネットサーフィンで何となく見ていたある情報を、思い出していた。彼が何となく見ていたはずのそれは、
こんなサイトだった。
「はなことば情報」
冥界をさまよいながら、頭をかくこととなった。
リー社員に見せていたことがあるクローバーには、こんな花言葉もあったのだ。
「復讐」
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