第20話 ノーチラス号と量産型のアレでは、ありません。花のネモフィラ伝説って、何?

  彼は、それからも毎日のように、退社後は、花屋に寄っていた。花屋のカウンターにいたのは、相変わらずの、リンドだった。

 「今日も、セシルさんの姿は、見られないんだろうなあ…」

 予想通り。

 彼女の姿は、見えなかった。

 「店の奥になら、いるのかな?」

 希望をもって、可能性を探っていた。

 彼も、浅はかだった。

 セシルのことが気がかりになっていく自分自身の気持ちも読めず、ただ、納得いかないままに、驚かされてしまっていた。

 「花、か…」

 何となく、アパートの部屋に置いて育てていたオダマキの花のことを、思ってしまっていた。

 「オダマキねえ…。何で、教授は、あんなものを送ってきたんだか。そして、セシルさん。あの人のことが気がかり、か」

 オダマキの花を、もっともっと、大切にしなければならないのではないかという、恐怖をも生んできていた。

 「もっと、近くに、置いてやろう」

 そのオダマキを、鉢ごと、アパートの部屋から会社のデスクへと、移した。

 「これで、眺めやすくなったな」

 同僚の何人かが、彼のデスクを、不審な目で見つめていた。

 「あの新卒って、何を、やっているんだろうなあ?」

 「さあ」

 「新卒様は、忙しいのさ」

 「いいなあ」

 「仕方が、あるまい。俺たち中途採用組とは、身分が違うんだ」

 彼は、うわの空だった。

 「あの人のことが、気がかり、か…。わからないなあ…」 

 良く気の付いたリー社員は、その様子が、気がかりでならなかった。

 デスク上に置いた花を見てボーッとしていた彼が、赤ちゃんにしか、見えなかった。母親のように、優しく接してあげなければならないと、気持ちを固めた。

 「…ありゃ。トキオは、うわの空だわ。完全に、何かにひかれちゃっているな。新卒って、かわいいのよねえ」

 リー社員は、さらに、考えた。

「もしかして、この、バカトキオ。花屋のことを好きになってしまったんじゃないのかなあ?」

 わきまえられた、推測。

 リー社員は、花屋の女性の顔を思い浮かべていた。

 「うん。納得、納得。あいつが花屋通いをしているのは、わかっているし」

 おしゃべりなリー社員は、会社の休み時間に、例の花屋に向かって、すぐに走っていった。

 「あのね。たぶんなんだけれど…。うちの会社のトキオが、あなたのことを、好きになっちゃったみたいなのよ」

 「…え?」

 「良い色の花を、あげたいのかもね?」

 「え?だって、あの人って、新卒なんでしょう?」

 「そうよ?」

 「じゃあ私、新卒に目を付けられちゃったわけ?」

 「おめでとう!」

 「ちょっと…」

 「じゃあ、私、会社に戻ります。健闘を、祈ります!」

 捨てセリフを吐き、すぐに走って、会社に戻っていった。

 おしゃべりも良いところ、だった。

 「素敵な同僚の力を、見たか!…何ちゃって。これで、ゆるゆる気分のトキオが、花を愛する素敵な人と一緒になってくれれば、どれだけ助かることか。願わくば、私の会社から…。おっと。それは、新卒様相手には、言い過ぎか」

 リー社員の余計な計らいにたいして、彼よりも10歳近く若い苦労者世代のリンドは、カウンターの陰で、激怒していた。

 「私、あんなゆるゆる世代の人に好かれちゃっているわけなの?新卒とは、身分が違うし!マジ、最悪!」

 夕方にも、店に、リー社員がやってきた。

リンドは、リー社員が店にやってきたのを見て、すぐさま、言い放った。

 「どうして、私なんですか?目医者にでもいってきてって、伝えてください!」

 リー社員は、苦笑いをするしかなかった。

 「わかったわ。急にきちゃって、ごめんなさい」

 翌日、会社に戻ってからは、許しを請う祝いのようになっていた。

 「昨日は、ごめんなさいね」

 「あれ?珍しい。今日は、いきなり、俺に謝罪なの?」

 「あー、面倒」

 「何がっすか?」

 「何で私は、こんなトキオのために、あんなことをしちゃったのかしら?」

 「な、何?俺のために、何をしたの?」

 「本当に、ごめんなさいね」

 「な、何で、謝られているの?」

 「どうして私は、あなたのためなんかに、汗かいちゃったのかしら?」

 「な、何?」

 彼女は、花屋からの伝言を、伝えた。謎の伝言ゲームに、なっていた。

 「トキオ?」

 「何?」

 「目医者に、いってこいって伝えるよう、言われました」

 「メイシャ?」

 「あなたの愛する花屋からの、アドバイスですわかったよ」

 「おお、花屋!」

 新たな事件が、起こりそうだった。

 伝言ゲームに、ほころびが生じてしまったからなのか…。

 休日。

 彼は、空手道場に、走っていってしまうのだった。

 メイシャという名の会社の後輩に、会うためだった。彼女は、休日の午後のみ、町にあった老人ホームで、ボランティアをしていたのだ。

 その休日が開け、会社で、リーー社員に、胸を張った報告が、できていた。

 「メイシャ」

 「あら、おはようございます」

 「メイシャ!」

 「…はい?」

 「メイシャ!」

 「私は、リーですよ?メイシャって、何ですか?」

 「メイシャ」

 「目医者にいったという、報告ですか?」

 「うん」

 「…そうですか」

 「メイシャに、会いにいった」

「はい?」

 「だって、言ったじゃないか」

 「私、そんなことを、言いましたか?」

 「だからあ」

 「…」

 「メイシャにいってこいって、言ったじゃないかあ」

「…」

 彼は、黙り込んだリー社員の横で、新たな思いを出して、震えた。

 「ああ…。セシルさんは、どうしているかなあ?セシルさんに、会いにいきたいなあ。俺たち、新卒に、優しくしてくれそうだしなあ」

 会社からの、帰り道。

 例の花屋で、カウンターにリンドの姿を見つけた彼は、勇気を出した。

 「店長のセシルさんに、よろしく」

 言葉を整えて、セシルのために買ったきれいなブレスレットを、リンドに渡した。リンドは、顔を赤くして、うつむいた。

 「…あら、かわいい、ブレスレット。この前は、あんなゆるゆる世代…とか、ひどいことを言っちゃったと思うけれど、優しいところも、あるんだあ。私に、ブレスレット。なんか、暖かい」

うつむいたその仕草は、何かの花のようだった。

「うつむいた姿の美しい花って…。何だったっけ?まあ、良いか」

 トキオのほうはといえば、気の抜けたサイダーのような顔だった。彼は、その顔で、リンドに、迫った。

 「俺は、最近、悲しいことばかりなんですよね」

 状況に似合わないようなことを、打ち明けていた。

「どうして?」

 リンドは、なおも、恥ずかしそうな声だった。

 彼は、勇気を保ち続けた。

 「だって…。俺、新卒ですよ?小さかったころは、オンリーワンで、楽しいことばかりだったんすよ?それなのに、大人になるにつれて、不自由になっていくばかり。だから最近は、悲しくって、悲しくって…」

 深刻に、応えていた。

 「セシルさん…」

 「え?」

 「いや、あの…。今日は、店長さん、いないのかなあと、思ったんだ」

 そっと、店の奥を覗いていた。

 が、奥には、何も、見えなかった。

 「じゃあ、またくる」

 彼独自の花屋通いスタイルが、続いていった。

 「いらっしゃいませ」

 「ああ、また、あんたか」

 「あんたじゃなくって、リンドですよ?」

 「わかったよ」

 毎日のように、リンドと会うようになっていった。

 「今日も、私に、会いにきてくれたんですね?」

 「ねえ」

 「はい?」

 「店長の、セシルさんは?」

 「…」

 「店長の、セシルさん…。今日も、いないのかなあ?」

 「…」

 「俺、会いにきたのに」

 「…!」

 「会いに、きたのにな」

 「え?」

 「え、じゃなくって、セシルさんは、いないの?」

 「…」

 花の思いは、勘違いの元、だったのか?

 その日、アパートに帰ってから彼は、ようやく、勘違いに気付いた。

 「あ、しまったな。たしか、店長のセシルさんによろしくと言ってブレスレットを渡したのは良かったけれども…。そういえば、セシルさんに渡してくださいって言うの、忘れていたかもしれないなあ。しまったな…。間違えて、食べられちゃったりでもしたら、どうしよう。あれって、食べ物じゃあ、ないんだよね」

 それこそ、勘違いだった。

 そのころ、例の花屋では…。

 リンドが、ブレスレットをもてあそんで、ハッピー気分に浸っているところだった。

 「トキオさんは、私の、花だったんだ。新卒も、素敵じゃないの。余裕のある男っていう、感じかなそうだったんだ…。私、うれしいかも」

 翌日、会社帰りに、いつものように花屋に寄った彼は、無邪気だった。

 「あの。俺、言い忘れちゃったと思うんですけれど…」

 緊張感のない幸せそう顔が、彼女には、素敵に見えていた。

 「ええ。わかっていますわ」

 「そうなの?」

 「ええ」

 「あ、そうなの?」

 「ええ」

 「おお。やっぱり、新卒は、最高だ。何も言わなくても、わかってもらえるんだものなあ」

 「それでは、また後で」

 「うん。また、くるからね」

 「私、いつまででも、お待ちしておりますわ」

 彼女の口から、可憐な花のような言葉が、添えられた。

 「まあ、いいや。じゃあね」

 彼には、何のことなのかが、さっぱり、理解できず。とりあえず、アパートに帰ることにしたのだった。

「きたよー!」

 病的習慣のようになって、翌日も、例の花屋に寄っていた。

 「きてくれたんですね」

 リンドは、いつものようにカウンターに張り付いてきた彼に、手招きを入れた。

 「この花を、どうぞ」

 「ポケー」

 幸せに口を開けていた彼に、ある花を、渡した。

 「どうか、受け取ってください」

 「はい?」

 ますますわけがわからなくなってきてしまった彼は、帰宅後、その花動画を送って、聞いてみることにした。

 被害者、いや、送り先は、いつもと同じ、リー社員だった。

 「ねえ、これ、何?」

 「これは…花ですよね?」

 「そんなの、わかってるよ」

 「それは、ごめんなさいね」

 「俺、新卒だよ?中途っていうのとは、身分が違うんだよ?わかってるの?」

 「はい、はい」

 「で…これ何?」

 「これは、ネモフィラの花ですね」

 「ネモフィラ?」

 「ええ」

 「ネモ…。ノーチラス号の…」

 「違います」

 「量産型の…」

 「違います」

 「ちぇっ」

 「そういうの、どこで、覚えるのかしら?あっ…、そうか。会社のパソコンか。そうだったわね。定年退職世代のおじさんとか新卒は、業務用のパソコンでネットサーフィンをしても、許される身分なんでしたね…。良いなあ」

 「何、ぶつぶつ言ってるの?」

 「ごめんなさい」

 「俺、新卒だよ?」

 「ええ、わかっています」

 「ちゃんと、教えろよな…。あんたは、中途採用…」

 プチ。

 会話が、強制終了された。

 ちなみに、会話が続かなかった以上、彼の知るところではなかったが、ネモフィラという花には、興味深い伝説が、付くのだそうだった。

 リー社員は、こんなことを思っていた。

 「あいつに、ネモフィラか。それって、あの伝説のことを、伝えたかったからなのかしら?」

 彼女の知っていたネモフィラ伝説とは、こういうものだった。

 「ネモフィラ伝説の花、ネモフィラは、人の名前…。あるとき、ある男が、ネモフィラという名の美しい少女に、恋をしてしまいます。恋に落ちた彼は、彼女と結婚できるというのなら、何でもします、死んでも良いですと、言ってしまう。彼女と一緒になれるのなら、この命を、捧げますから!そう、神様に誓ってしまう」

 これを聞けば、彼なら、何を思えただろうか?

 「それを聞いた神様は、男を憐れんだか、願いを叶えてあげることにしました。男は、恋するその少女と、結ばれることになったのです。めでたし、めでたし…。ではありません」

 大きく、息を吸い込んだ。

 「話は、これからなのよねえ…」

 自分自身の心の整理が、楽しくなってきていた。

 「…でも。彼女と一緒になれるのなら死んでも良いという神への誓い通り、彼は、命を落としてしまうっていう話だったはず」  

 個人的な謎解きパズルのように、なってきた。

 「男が死んで、1人になってしまった、ネモフィラ。悲しんで悲しんで、冥界まで、会いにいくことにしたのよねえ。何て、ファンタジーなんでしょう?って、私が言うな。みたいな」

 楽しくて、ならなかった。

 「冥界は、大きな門で、閉ざされていました。冥界までの扉は、開きません。それで、ネモフィラは、いつまでも、夫を待ち続けることになってしまいます。神様は、そんな彼女を、気の毒に感じます…。こんな、話だったわよねえ」

 バカトキオが、近くにいなくて良かったなと、思えていた。

 「そこで神様は、待ち続けるかわいそうなネモフィラを、花の姿に変えてあげました。その花が、ネモフィラという花と、いうわけで…。こんな、感じだったわね。私に、ご褒美」

 ちょうど、その頃…。

 「ういっす」

 彼は、アパートの部屋で、楽しい楽しい、ラックスゼミ時代の夢を、見ていた。

 「あれ?」

 するとすぐに、胸が苦しくなってきてしまった。

 「何だろう。この、モヤモヤ…」

 なぜなのか、さっぱり、わからなかった。

 わからないことは、他にも、起きてしまった。どうしたことか、その日を境に、セシルとリンドのあの花屋が、閉店してしまったのだ!店には、大きな門がされて閉ざされ、貼り紙が、されていた。

 「長らくのご愛顧、ありがとうございました。これからも、花の気持ちを思って生きていきましょう!」

 門の前に、立ち尽くしていた。

 「なぜ?どうして?」

 そう彼が思ったとき、店に、ある変化が起こった。

 「あれ?」

 店の裏側にあった扉から光が漏れていたことに、気付かされたのだ。







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