第17話 「あなたに、センキュウ」

 「懐かしいなあ…」

 大学時代の楽しい思い出から現実に戻った彼は、リー社員を、相変わらず、憐れんで見ていた。

 「暗くなってきた。俺、帰ります!」

 「まだ、退社時間じゃないじゃないか」

 「俺、明るいうちに帰るタイプなんで」

 「わかったよ。じゃあ、早く帰りなさい」

 「勝った!」

 「…」

 彼は、会社からの帰り道、夜遅くまで開いていた、ある花屋の前を、通りかかった。

 以前、ラックス教授からオダマキの花が贈られたときに、相談しようかと迷った店だ。

 そのときは、この花屋ではなく、リー社員が、いろいろと教えてくれたものだった。だが、考え直していた。

 「やはり、花のことなら、花屋に聞いてみるべきだったよね」

 優しそうな雰囲気の明かりをもっていたその店が、気になっていた。

 その後も彼は、毎日のように、その店に寄った。

 店のカウンターにいた女性は、優しく、いろいろな花を勧めてきてくれたものだった。

 優しく、花に詳しく、大きな救いだった。

 リー社員と違って、バカなことを言ってしまったとしても、絶対に、怒ってこなかった。

 「くすくす」

 それが、微妙に、心地良かった。

 何度も、彼女のもとに通った。

 「花には、いろいろな意味が、あるんですよ?」

 いろいろと、教えてもらえた。

 「花は、やっぱり、花屋ですよね?」

 翌日、会社で、リー社員の方を見て、またも憐れんで見ていた。

 すると、リー社員は、発憤。

 「あたしだって、知っているんですから」

 彼女は、カーネーションを引き合いに出して、説明をはじめてきた。

 「いいですか?」

 「な、何だよ?」

 「花は、多様。そうですよね?」

 「何が?」

 「赤いカーネーションには、母への愛っていう意味が、あるんです。ですから、母の日には、赤いカーネーションを贈るのが良いとされるわけです」

 「はあ」

 「ピンクのカーネーションには、女性の愛とか、熱愛などといった意味があるんですよね。他にも、美しいしぐさっていう意味も、ありましたっけね。花の世界も、多様なんですよ」

 「はい、はい」

 「あ、そうそう、黄色のカーネーションには、軽蔑っていう意味がありましたね。カーネーションを贈るときには、気を付けてください。間違えても、私に、ピンクのカーネーションなんか贈ってこないでくださいね?」

 「俺、あんたには、黄色のカーネーションしか贈りませんから」

 「黙れ」

 「ふん。新卒でも、ないくせに」

 「それって、関係ないじゃないですか!」

 「花のことなら、良く、知っているな」

 「ええ。私、エレガントですからね」

 「エレガント・B・B・A」

 「黙れ」

 「泣きながら、走れ。氷河期で泣いたとかいう、意味不明の教養野郎」

 「黙れ」

 彼には、彼女の気持ちがわからなかった。余計なことを、言ってしまっていた。

 「さすがだね!俺らとは違って、土曜日も学校にいって勉強させられていたかわいそうな人だけあって、良く、知っていたな」

 こういうつもりで、言ったことだった。

 「さすが。勉強されていたんですね」

 新卒流の、ほめ言葉のつもりだった。

 が、逆効果だったか。

 リー社員はそれを聞くなり、刑場に向かう人のように、肩を落としていたのだった。

 「大先輩たちの思いも、受け取れ!」

 蹴りを入れてやろうかとも、思っていた。

 が、やめた。

 蹴りを入れたとしても、リー社員のほうの体力の、無駄。楽しく社会に出られなかった彼女らの痛みが彼に理解できるとは、思えなかったからだ。

 ある日、変化が起こった。

 彼の花屋通いが通じたのか、花屋のカウンター女性は、良い顔をしてきた。

 「これを、どうぞ。他に、お客さんもいないみたいですし」

 彼に、白い花を渡してきたのだった。

 彼は、ドキドキした。

 うれしくて、その花を写真に撮って、リー社員の緊急メールに、写メール形式で、送りつけた。

 また、怒られた。

 「何ですか、これ!」

 「花」

 「そんなの、わかるわよ」

 「きれいな、花」

 「…」

 「新卒からの、花だよー!」

 「ですから、その花を誰にもらってとか、これで何をしたいだとか、経緯が、あるでしょう。それが、私には、まるっきり、わかりません。勝手に、緊急メールで送ってきたわけですし…もう!何を、聞きたいわけなんですか?」

 「花屋の女性に、もらった」

 「ああ、そうですか」

 「うん」

 「女性ですか」

 「うん」

 「良かったですねえ」

 「きれいな、花」

 「ええ。そうですね」

 「これ、何の花かなって…」

 「いつも、いつも、もらっているわけですか?」

 「ううん」

 「たまたま、もらったんですね?」

 「うん」

 「いつ、もらったんですか?」

 「今日」

 「じゃあ、夜ですか?」

 「会社帰り」

 「ふうん…、良かったですね」

 「え?」

 リー社員の話が、一瞬、止まった。何かの説明が始まる予感が、した。その説明を、彼は、待っていたのだ。

 誰かがやってくれるまで待てる状況でなければ、彼は、動けなくなっていた。

 「まあ…。良かったじゃないですか」

 「だから、何で?」

 「クローバーには、私を思って、とか、幸運、約束、などの意味があるんですよ」

 「いや、だから、何で?」

 「良かったですねえ。そんな花を、贈られちゃって。隅に、置けないんですねえ」

 「そうなの?」

 「…そうですよ」

 「それで、これ、何?」

 「シロツメクサ、ですよ」

 「シロツメクサ?それで?」

 「これは、シロツメクサの、祝いですね」

 「シロツメクサの祝い?何、それ?」

 「それ、真っ白なクローバーですよね?」

 「うん。でもさっき、シロツメクサだって言うから、混乱した」

 「白いクローバーは、シロツメクサともいうんです。シロツメクサに、祝ってもらえたようなものじゃないですか。だから、シロツメクサのお祝いなんです」

 「ふーん…。良く、わからないや。白の、クローバー?」

 世の中のクローバーというのは、すべて白いものだと思っていたから、混乱してしまっていた。

 「まったく。何にも、知らないんですね」

 呆れながら、クローバーには白いものや赤いものがあると、教えていた。

 「どうして、花屋に通っていたんです?」

 赤いクローバーは、アカツメクサともいうのだとか。

 もちろん彼は、知らなかった。

「教授のこととかで、いろいろあって」

 「教授?あの、オダマキを贈ってくれた、教授のことですか?」

 「イエス」

 「…」

 「カウンターの優しい女性が、くれた」

 「良かったですね」

 「うん」

 「へー。あなたに、花を贈ってくれる女性が、存在したとは」

 「何すか。その言い方」

 「失礼。良かったですねえ…。クローバーは、今ころにとれますからね。縁起物でも、ありますよね?」

 「そうなんですか」

 「そうですよ。クローバーの咲く季節は、春から秋。夏も終わって秋にかかる今ころの季節が、一番良い時期かも、しれません」

 「なるほど」

 「素敵な言葉もかけてもらえて、良かったですね」

 「え?言葉っすか?」

 「花言葉、ですよ。素敵じゃあ、ないですか。クローバーには、私を思って、とか、幸運、約束、とかっていう意味があるんです」

 「うひ。そうなんすか」

 「隅に、置けないですねえ」

 「OK新卒!そうなんすか2!」

 「シロツメクサの、祝いじゃないですか」

 「シロツメクサの祝い…」

 「まったく。何にも、知らないんですね」

 リー社員は、呆れていた。

 「クローバーには、白いものの他にも、赤いものがあるんです」

 赤いクローバーは、アカツメクサという。もちろん彼は、そのときに、はじめて知ったわけだが。

 花の気持ちは多くて、花言葉には、いろいろな意味があるそうだった。

 リー社員は、カーネーションを引き合いに出して、彼に、はっきりと言ってやった。

 「いいですか?赤いカーネーションには、母への愛っていう意味が、あるんです。ですから、母の日には、赤いカーネーションを贈るのが良いとされるわけです。ピンクのカーネーションには、女性の愛とか、熱愛などといった意味があるんです。他にも、美しいしぐさっていう意味も、ありましたっけね。花の世界も、多様なんですよ。あ…。でも、黄色のカーネーションには、軽蔑っていう意味がありましたね。カーネーションを贈るときには、気を付けてくださいね。間違えても、私に、ピンクのカーネーションなんかは贈ってこないでくださいね?」

 「俺、あんたには、黄色のカーネーションしか贈りませんから」

 「黙れ」

 「じゃあ、これは?」

 「新卒って、何なの…?」

 「おっと…。ちょっと、待っててよ」

 「何です?」

 「だから、さあ。待っててよ、エレガント・B・B・A」

 プチ。

 通話が強制終了され、彼女のスマホに、また、それとは違う画像が送られてきた。

 「…新卒って、皆、こうなのかしら?」

 「何?」

 「何でも、ありません」

 「ねえ、届いた?」

 「はい、はい」

 「それも、もらったんだけど…。今日の白クローバーの下に、潜り込んでた」

 「あら、そうでしたか」

 「それで、これは何?」

 「…」

 「ねえ、何?」

 「…」

 「教えてくれよー」

 「…これですか」

 「だから、そう言ってんじゃん」

 「…!」

 彼女は、我慢の子だった。

 「これ、何―?」

 「…」

 「ねえ?俺、新卒だよ?新卒には、優しく教えるもんだろう?会社に入ってからも、手取り足取り、教えてもらえるんでしょう?えっと…。ほら。新入社員教育っていうので、さあ」

 「…わかりましたよ」

 「勝った!」

 「あなたの社会は、すべて、勝ち負けのゲームなのですか?」

 「だって、そうじゃん」

 「…」

 「内定ゲットも入社の拒否も、あれもこれも、ゲームみたいなもんじゃん」

 「…良いなあ、新卒」

 「ねえ?うらやましいの?そちらは、努力をしても、泣いちゃったんだっけ?新卒一括採用も、受けられなかったんだっけ?大学院出ても、仕事無しで…」

 「…」

 「うらやましい?俺たち新卒が、うらやましい?」

 「…」

 「えっと、たしか…。就職氷河…」

 「もう、その先は、言わないでください」

 「何で?」

 「…う」

 「何で?」

 「…うう」

 「それでこれ、何の花なの?」

 「…小さい…ですね」

 「見れば、わかるじゃん?」

 「…こ、…これは、リンドウの花です!」

 「そうか。リンドウ」

 「あなただって、聞いたことのある花じゃあ、ないんですか?」

 「ウイ。聞いたこと、あるっす」

 「ほら」

 「俺たち新卒は、勉強家ですもんねー」

 「いや、それはちょっと…」

 「聞いたこと、あるっぽい。ぽい」

 「…リンドウ、です。ちょっと、変わっているんですね」

 「何が?」

 「その人、何で、リンドウを贈ってきたのかしら?」

 「花屋だから、じゃないの?」

 「…ちょっと、メンヘラ人間」

 「え?」

 「メンタルヘラヘラ。危険ですよ」

 「何で?」

 「…リンドウは、素敵な死の言葉ももっているからですよ」

 「素敵な死の言葉?」

 「花言葉ってね、1つとも、限らないんですよ。いろいろ、種類があるんです」

 「へえ」

 「同じ花でも、もっている顔は、1つじゃないのです。人の心だって、同じようなものじゃないですか」

 「マニュアル通りじゃないって、こと?」

 「当たり前です」

 「へえ。へえ」

 「あんたたち新卒の仕込まれた就職マニュアルなんか、役に立たないんですから」

 「面倒くせえ」

 「社会は、そういうものなんですよ」

 「ふん。教授みたいなことを言って…」

 「だから、社会勉強ができていないって、教授にも花にも、言われていたんじゃないのですか?」

 「生意気だなあ」

 「それは、あなたのことでしょう?」

 「マニュアルだけじゃ、やばいっすかね」

 「それが、わからなかったんですか?」

 「すまんくす」

 「あのう…、どんな、学生生活だったんですか?」

 「新卒」

 「花だって、同じです。社会は、多様。物事は、皆、多様なんです。花だって…」

 「たとえば?」

 「たとえば、カーネーション」

 「うん」

 「カーネーションには、花の色によっていろいろな意味があるって、教えましたよね?それ、覚えていますよね?」

 「ぽけー」

 それからも彼は、花屋に通い、カウンターにいた女性のことを、見ていた。花屋通いをはじめてから、3週間近くが、経った。

 花屋のカウンター女性は、毎日のように、どこかに電話をかけていたようだった。

 「…うん。そう?あの男に、クローバーについて、聞かれたの?そうなんだ。シロツメクサの祝いの話も、したの?それで?うん、うん。そう。クローバーには、復讐っていう意味も、あるんだよね?それは、教えていないわよねえ?うん。私だって、教えていないわ。センキュウ!」

 その日も彼は、何かに吸い寄せられてか、花屋のカウンター女性に、話しかけた。

 すると、どうだろうか?

 「あれれー?」

 その日カウンターにいた人は、彼がいつも挨拶をしていた人とは違う女性だったのだ。

 ちなみに、はじめて見る人に戸惑うのは、彼の世代の、十八番だった。




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