第15話 これを、見よ!就職説明会の旅は、長かったのだよ!
ゼミ室を、新卒色の空気が、覆っていた。
「なあ、聞こえたか?」
「何が?」
「やっぱり、幻?」
「だから、何が?」
「教授が、何か、ぶつぶつ言っていた」
「オイルが、切れちゃったのかしら…?」
トキオは、学生時代が、懐かしくてならなかった。
「…俺は、最凶の花さ。新卒、だものな」
ある日彼は、企業説明会のため、就職予備校、いや、大学の勉強を欠席した。
「学校の講義を、欠席しまーす」
物わかりの良かった学生たちは、学生課あてに、メールで一斉送信を済ませた。後で、就職課から、特別休暇と特別休講証明書がもらえることになっていた。
企業説明会は、やや遠い場所で、おこなわれることになった。
大学近くの駅から電車に乗って、8駅ほど離れた支店で、おこなわれることとなった。
「さとり支店第2会議室」
もしかしたら、1人きりでの電車旅行は、初めてのことになるのかもしれなかった。
それまでは、どこにいくにも、親が車で送ってくれたものだった。
親は、友達のような存在だった。
大学生になり、教授たちは、新卒学生らにわけのわからないことを、言っていた。
「学生、諸君!親というのは、乗り越えるべき壁だ。目標であって、常なる敵なのである」
そんな伝説は、新卒学生らの心には、届くわけなかった。そういう考え方は、古かったからだ。
「お父さんと、一緒!」
「お母さんと、一緒!」
「だよねー」
「俺ら、新卒だからな!」
そして、事件がはじまった!
いざ大学を卒業して社会へ出てしまうと、ラブラブな親が、近くに見当たらなくなっていた。
それはそれは、大誤算だった。
大学を出る前の就職活動も、想定外。
「え…?1人で、いくの?嫌がらせか?」
まず彼は、大学のゼミでお世話になっていた博識なカムリ先輩に、連絡を入れた。
「トキオ、どうした?電話してきて、さ」
「電車に乗る」
「それで?」
「どうするの?」
「…切符は、どこまで分を買ったんだ?」
「カムリ先輩?切符って、何すか?」
切符について、そしてその買い方について、教えてもらった。
「いくぞ、俺!」
その切符を、自動改札口に、通してみた。
すると、どうだろうか!
「うわ!」
切符が、改札口に吸い込まれ、魔法のように、改札口先から出てきたのだ。
彼は、その様子があまりにも面白くて、何度も試そうとした。が、人が、込んでいた。
彼は、あきらめて、思い切りよく、先に進もうと考えた。そのとき、新たな自分を発見した。
「俺は、思い切りの良い男なのだ。これこそが、新卒の力だったんだ!」
電車に、乗り込んだ。
「宇宙が、見えるぜ!」
乗り込んで、すぐに、何をしたか?
スマホを、開いた。
誰からも、何の着信も、届いていないようだった。
「何?オーバーヒートだと?」
彼がスマホに怒鳴っていると、横で、おじさんが、優しい言葉をかけてきた。
「君、君。何を、怒鳴っているのかね。それにね、君。今そのスマホを出すのは、やめてもらえないかね。これだけ、人がいるわけだし。まわりが迷惑するって、わからないのかね?勘弁してもらえないかね?」
…?
「勘弁してくれないか、か…。謝ってもらったんじゃあ、仕方ないか」
物わかり良く、スマホを閉じた。何人か他の乗客が、彼を、じろじろと見ていた。
オンリーワンとして、注目されるのが当然として育てられてきた彼にとっては、皆の視線が、まぶしすぎていた。
「俺って、やっぱり、注目されちゃうんだな。新卒って、すごいぜ…あれ?」
彼は、スマホを片手に、焦った。新たな事件が、起こされてしまったのだ。
あろうことか、手にしていたはずの乗車切符が、見当たらなかっていたのだ。
「まさか!」
何となくだが、予想がついていた。
「きっと、誰かに盗まれたんだ!俺たち新卒を妬むものが、いるんだな?そうに、違いない。いやもう、マジ、絶対に!」
誰かにとられたという恐怖が、彼の心を、さみしくさみしく、侵食していった。単なる被害妄想とは、感じられなかった。
「俺のことを嫌っている誰かが、いる!」
車内を、くまなく、見渡していた。
そういえば、教授から、言われたものだ。
「社会には、君たちがゆるゆると生活し、難なく社会に出られていることに疑問をもっている人も、多い。君たちのそういう生き方を見て、嫌っている人も、いる。そんなことも考えた上で、いろいろなことに気を付けなければならないよ」
彼は、理解できた気になった。
「なるほど。こういうことだったのか!」
そのとき…。
彼は、変わった存在に気付かされた。
たまたま、彼ら乗客たちが押し合う森の間を、制服姿の怪しい男が、通り抜けようとしたのだ。
彼は、直感を、働かせた。
「この男が、俺の切符を盗んだのか?」
制服姿の男は、割り込みを続けた。
「すみません。通り抜けます。ご乗車、ありがとうございます」
彼は、迷った。
新しいタイプ、人間を超越した直感を、さらに、研ぎ澄ませた。
「…やるしかないのか?」
彼は、決心を固めた。そして、制服姿の男を、じろりと見た。
「この男…。怪しすぎる。切符の行方について、重大証言をもっているに違いない」
しかし、にらんでも、男からは、反応がなかった。
「こいつ…!」
その男には、何も声をかけなかった。
それは、そうだ。
よく考えれば、そうだ。
よく考えなくても、そうだった。
「友達でもない知らない人にたいして、話しかけてはならない」
彼らはそう教育されていた以上、手が、いや、口が出せなかったのだ。
乗客が、さらに、混んできた。
「苦しい…。まわりを、完全に包囲されたか。やってくれるじゃないか!」
制服姿の男が、さらに、割り込んできた。
彼は、仕方なく、服の胸ポケットなどを探っていた。
「これ以上、物を盗られてはならない!」
汗が、流れていた。
すると、その制服姿の男が、汗を出した彼を見かねてか、振り返った。
「お客様、どうなさいました?」
「…何だと?」
「お客様?」
「…こいつ。友達でも、ないのに!俺は、新卒だぞ!わかっているのか?」
が、我慢。
彼らはもう、社会に参入すべき、立派な大人になっていたのだ。
我慢だ。
我慢ができなければ、ならなかった。
それでも彼は、こう思え、それまでにはなかった勇気が出せていた。
「話しかけてきた人に、何か言葉を返してあげなければ、かわいそうだよね」
新卒は、競争のない、優しい世代だった。
「お客様?」
「うん」
「お客様?」
「うん」
「何か、困りごとでも、おありですか?」
「えっと…」
「おっしゃっていただけませんか?」
「えっと、えっと…」
「はい。どのようなことでしょうか?」
「だから。えっと…」
「私、お客様のことが、心配なのです。どうなさいましたか?ほら、お客様。汗を流して、おいでですよ?」
「うん」
「私にできることなら、致しますので。おっしゃってください」
「えっと。じゃあ、あのう…」
「はい」
「…やっぱ、何でもないっす」
彼のスマホを盗んだと思われた制服姿の係員男性にたいして、迷いの目を、向けていた。
彼の目に、気力が備わった。
「できたぞ!知らない人と、話せたぞ!これが、教授の言っていた、世代間交流というものなのだ。どうだ、見たか、皆!教授も、見てくれていますか?俺、しっかりと、コミュニケーションをとれていましたよ!」
ドロドロとした自信が、もてていた。
ついに、係員らしき男に、こう言われた。
「お客様?今日は、どちらまで…?」
新たな感触が、湧いた。
「ついに、きたか!」
彼は、恐れた。
「この男、俺たち新卒の個人情報を聞き出しにきたんじゃないだろうか?」
が、ここは、電車の中。
彼の家では、なかった。
大学でも、なかった。
そこは、電車の係員であるその男にとっては、自分の家も同じ。彼は、気付けば、男のパーソナルスペースに、はめられたわけだ。
「く、やられたか…」
悔しかった。
「新卒と、したことが…!ガッデム!」
仕方なく彼は、おとなしく従った。
「就職説明会の会場まで、いきます」
新卒としての力を保持し、負けないよう装って、教えてしまっていた。
知らない人にたいしてここまで情報を出してしまうのは、新卒の彼にとっては、屈辱といっても良い行為だった。
「しかし…、教えなければならないんだ。俺たち新卒って、優しいよなあ」
男は、それを聞いて、安堵した。
「そうでしたか。それは、大変ですね」
声をかけてもらえ、うれしくなった。
「この男…。なぜこれが大変だと、知っていたのか?」
ちょっとした怖さを、もちながら…。
彼は、思い切りの良い男だった。
「どうせここまでこちらの心を読まれてしまったというのなら、反抗は、無駄。おとなしく、教えてしまうしかない」
腹を、くくっていた。
男には、正直に教えていた。
「大学の就職課の人が、大学は、就職させるための専門学校だと、言っていました。勉強をしている暇があったら、就職できるように動いてくださいと、怒っていました。だから僕は、今日、たった1人で電車に乗って、ここまできたんです」
それを聞くなりその男は、疲れた声を返してきた。新社会では、彼らの世代に関わったたくさんの人の声が、辛そうに聞こえてくるものだった。
「そうですか。就活、応援しますよ」
「うん」
「…ちなみに、どちらまでいかれます?」
「やっぱり…。これを、聞きたかったんだな!」
彼は、身構えた。
「言っては、ならない!」
これは、個人情報の引き出しテクニックなのだと考えていた。それは、大学のゼミ仲間とも、共有できた見解だったはず。
「知らない人に、そう易々と応えては、ならなかったはずだ!…どうするんだ、俺!」
制服姿の男に逆ギレでもされないよう、丁寧に、対応していた。
「あのう!もう、僕のことは、放っておいてください。お父さんやお母さんには頼らないで、1人で、ここまできたんです。それだけで、良いじゃないですか」
強いはずだった彼に似合わず、辛そうな声を出していた。
「お父さんだって、お母さんだって…」
すると、制服姿の、その男。
今度もまた、驚きのことを、言ってきたのだった。
「あのねえ、君。君…。君は、就職説明会に、いくんだよね?君は、大学4年生くらいでは、ないのか?そうすると、成人年齢だよね?少なくもそれでいて、他人にたいして、僕のお父さんは、僕のお母さんは、の言い方はないんじゃないのかな?君は、いつも、そういう言い方をしているのかな?父、母、兄や姉など、常識的な言い方があるはずだよ?うした言い方ができないまま、就職しようっていうのかな?」
これには、困った。
何と返そうか、迷った。
「く…」
そこで、仕方なく、言葉を継いであげた。
「でも、でも、TV番組で、芸能人の人が、僕のお母さんはあ…とか、言ってますけれどお」
すると男は、こう返してきた。
「ああ。TVの影響かね。あれはね、恥ずかしい、言い方なの。あの芸能人さんたちは、それが、わかっていないんだよ。マネージャーさんも、注意していないんだろうね。というよりも、注意できるだけの能力が、ないんだろう。残念だね。とにかくあの言い方は、社会では、恥ずかしい」
2人のそんなやりとりを聞いて、まわりに立っていた乗客のうち、何人かが、ゲラゲラと笑っていた。
しかし、なぜ笑われなければならなかったのか?
「何だ?この新卒が、まぶしすぎたか?」
彼には、ちっとも、理解できず。わけがわからないまま、だった。
「俺たち新卒のまわりは、皆が、友達のはずだったのに。そんな皆に、笑われてしまった。どうして?」
社会は、難しいのだった。
彼は、わけがわからないままで、つぶやいた。
「あのう、あのう…」
その声が、運良く、隣りに立っていたおじさんに拾われた。
「何だよ、君?」
して、やったり!
「やった!助かった。応えてくれた。やっぱりまわりは、友達で一杯だったんだ」
安心できた彼は、おじさんにも、声を出せていた。
「切符が、消えた」
おじさんに、訴えた。
「それで?」
「切符が、消えた」
「君は、どこまでいきたいんだ?」
「出た!」
「何だよ?」
またもや、個人情報の引き出しに、違いなかった。彼は、偉大な世代らしく、振る舞った。
「わからない」
「君、わからないのか?」
「わからない」
「君?どこまでいきたいのか、わからなくなっちゃったのか?」
「うん」
「君は、今どきの学生か?」
「うん、新卒」
「新卒、か…。なら、仕方ないな」
「そうさ。新卒さ!」
「…君、スマホをもっているじゃないか。どこにいきたいのか、知りたいんだろう?そのスマホを、開いてみれば良いんじゃないのか?」
彼は、庶民のアドバイスを優しく聞き入れてあげ、スマホを開いた。
「今日のスケジュール」
さっそうと、確認。
すると、おじさんの言う通り。
いくべき場所や降りるべき駅名が、わかったのだ。
「おお…」
プチプチっと、感動していた。
素晴らしい解決策を伝授してくれたおじさんに、感謝したくもなっていた。
「礼を、しちゃうぞ!知らない人であったとしても、ここは…!」
が、気付けばそのおじさんは、彼のもとから去ってしまった後だった。
それでも彼は、うれしかった。
やっぱり、社会の人は、彼の友達ばかりだったのだ。
「…ああ。優しかったな」
スマホを、さすっていた。
スマホも、友達。
これがなければ、今日は、何もできなくなるところだったのだ。
「スマホは、良いよな。生身の人間みたいに、うるさいことを、言わないし」
大変な、冒険日だった。
制服姿の男との攻防などで、いつの間にか時間は過ぎ去り、駅は、5つも6つも、いやそれ以上に、過ぎていたようだった。
もうすぐ、降車予定の駅に、着きそうになっていた。
社会勉強が、続いていった。
彼は、スマホの画面を、見続けていた。
「立ちながらスマホ画面を見るのは、危ないですから、おやめください」
そのような車内放送が入っていたが、新卒が最高身分だと信じていた皇帝陛下の彼に、聞こえるはずもなかった。
すると…。
「まだ、何かあったのか!」
またまた、声がしてきた。
「お客様。もう、問題ございませんか?」
制服男の声は、終わっていなかったのだ。
「お客様。いかがなさいましたか?あの、お客様?」
目の前には、2人の人物が、立っていた。
男性と、女性だ。
「2人とも、制服姿だと?」
怖くて、ならなかった。
そのうちの1人、男性が語りかけてきた。
「お客様…?私は、先ほどの者でございます。1人、増員いたしました。今度こそ、何なりと、おっしゃってくださいませんか?何か、心配事が、おありなのですよね?まわりも空いて参りましたし、お困りのことがございましたら、何なりと…」
もう、どうでも良かった。
「あ。もう、いいっす」
2人に、自分自身のオーラの元から、消えてもらうことにした。
もう、2人には、興味をもたなかった。
彼の目は、スマホの画面にこそ、吸い込まれていってしまったの。彼は、ラインを飛ばした。
「驚け!ニュータイプとなった俺は、今、1人きりで電車に乗って、遠くに向かっている」
ゼミ仲間に、報告していた。
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