第百三十話 人攫い

 ウィル達の今の住処は、魔都にて中堅どころの宿である。

 そこにウィル、シュナ、シルク、ニャルコ、団長が滞在している。しかし五人が揃うことは珍しい。


 ニャルコがあまり帰ってこないのが大きな原因だろう。普段は四人で過ごすのが日常だ。

 しかし今日はさらに一人欠き、三人で食堂のテーブルを囲んでいた。


「なんや。寂しいかんじやな」


 テーブルの上に寝転がり、ゴロゴロしていた団長は寂しげな食卓にそう呟く。


「そうだね。ニャルコは帰ってこないし、シュナちゃんもまだかな」

「ん。ユキカゼとシスカとまだ、一緒?」

「うん。そのはずだけど……」


 この場にいないのは、いつも通りニャルコ。そしてシュナだ。

 シュナの不在は、魔闘技大会の観戦後、少女達三人で遊びに行ったから。

 ウィルはそろそろ副団長達が帰ってくるという報を貰ったので、魔闘技大会が終わればすぐ出立するための準備で先に帰った。


 しかし夕ご飯の時間になっても帰ってこないシュナに少し不安にもなる。

 夜ご飯までシスカ達と食べるとは聞いておらず、そろそろ帰って来てもおかしくない時間だ。


「迷子……はないか。危ないこと……も魔都は治安良いし……魔薬騒ぎはあるけど」

「まあそこらの暴漢程度なら、ボコボコにするし、楽しく遊んどるんやろ。あの年頃の子は、夜遊びをするもんやで」

「確かに。私も、家に帰らず夜遊びしてた」

「せやろ! ワイはしとらんかったけど。家出しとったから!」


 大人達はそう言い合って納得していた。シュナの強さを考えれば何かあったとは考えづらく、同年代の子との遊びが盛り上がっているのだろうと考えるのが自然だ。


「でも、心配だぞ。ぷるー」

「そうだね。ご飯食べたら迎えに行くよ」

「私も行く」


 食事が終わっても帰ってこなければ迎えに行くことを決めたウィル達。

 この胸騒ぎを考えると、迎えに行った方が良いだろう。杞憂だったらそれで良い。ウィルはそう思い、急いでご飯をかきこんだ。



 ◇



 食事が終われば、一端部屋に戻る。置いてあるバッグを持って、シュナを迎えに行くためだ。


「ぷる?」


 しかしウィルがバッグに荷物を詰める横で、イムが首を傾げていた。

 それに不思議に思いつつも、気にすることなく準備する。だが窓辺でゴソゴソしていたイムは、ぷるぷる言いながら首を傾げていた。


「ぷるるるるる」

「財布よし。鍵よし。準備完了。イム、シュナちゃん迎えに行くよ」

「ぷるう!! ごしゅじん、これこれ!」


 イムは立ち上がり、部屋から出ようとしたウィルに飛びつくと、一枚の紙を突きつけてくる。

 何事かと思っていれば、よじ登ってきたイムによって紙を顔に押しつけられた。


「ちょ、ちょっと。なに?」

「これこれこれ!! 読んで!」


 イムは冷静になる気配がせず、大慌て。それにウィルも嫌な予感を覚えながら紙を受け取った。


「手紙! ヤバイこと書いてる!」

「どれど…………えっ?」


 それは非常に簡素な手紙だった。文章は数行だけ。文字も汚い。しかしウィルの目を驚愕で見開かせるに十分だった。


「『シュナ・G・ヌーデリアは預かった、返して欲しくば明日の試合で惨めに敗北しろ』……はっ?」


 文章を読み上げ、ウィルは全身から冷や汗を吹き出す。

 この手紙にはシュナが攫われたと書いてあった。

 誰が、何のために、なぜ今なのか。ウィルの脳は混乱に突き落とされる。


「窓辺においてあったぞ。かぎ、掛かってるのに」

「……誰かが侵入した? ここ三階なのに」


 魔都はどの建物もセキュリティがしっかりしている。防犯用魔道具が至る所にあるらしい。とくにこの宿は強固だと聞いた。


 それを掻い潜って、ウィルの部屋に手紙を置く。難しいことだ。しかしそれをできる者なら、シュナを攫うことも可能だろう。


「シュナちゃんが危ない!」

「シ、シルクにそーだんだ!」

「待ってイム!」


 シルクの元に走り出そうとしたイムを、ウィルは慌てて抱きとめる。


「な、なにすんだごしゅじん?」

「手紙をよく読んで。『お前のことは見ている。他の者にこれをバラせば、命はない』とも書いてある」

「ぷる……今も、見てるのか?」

「多分。さっきから、嫌な感じだもん」


 確証はない。しかし監視されているだろう。

 シュナがシルクの仲間というのは周知の事実であり、それに手を出すなら何かしらの手段を講じていると考えるのが自然だ。


「師匠に話したら、その瞬間シュナちゃんが殺されるかもしれない。最悪の話だけど、慎重に行動しないと」

「ぷる……なんで、こんなこと」


 イムは顔を伏せて、そう呟く。

 その言葉通り、シュナを攫った動機がわからなかった。


「明日の決勝戦で僕に負けることを指定している。順当に考えれば対戦相手。テロン君だけど、そんなことする子じゃないね」

「じゃあ、あの悪いししょーだ!」

「テロン君を勝たせるために、こういうことをした? まさかそんな馬鹿なこと」


 たとえ優勝できたとしても、それに見合ったものがあるとは思えない。優勝賞品も美味しいお菓子だ。

 あるいは名声を得られるが、それだけのためにこんな馬鹿なことをするとウィルは考えられなかった。


「でもあいつ、すごい馬鹿そうだぞ」

「そうだけど、良い大人がいくら馬鹿だって、こんな馬鹿なことしないでしょ」


 確かにゼンデルクは頭がおかしそうだが、冷静に考えればこんなことをするはずがない。シルクを怒らせ、魔導国の法律を犯し、どんな末路を辿ってもおかしくない愚行だ。


 まともな思考を持っていれば、実行なんてするはずがなかった。

 積み上げた全ての地位をドブに捨て、恐ろしい末路を迎えることになる。


 もしするとすれば、完全に頭がイっているとしか考えられない。


「取りあえず、今はシュナちゃんの安全が最優先」

「でもどうするのだ? 助けに行くか?」


 シュナの救出。できればそれをしたいが、場所がわからない。

 そして探し出すようなことをすれば、シュナに危害が及ぶ可能性が高い。


「要求を飲む……」

「ぷる!?」

「別に僕は優勝なんてどうでも良いし」


 シュナと天秤にかけるまでもなく、優勝なんてどうでもいい。シュナの命と引き換えられるものなど存在しないのだから。


「明日僕が負ければ、シュナちゃんは帰ってくる……はず」

「でもこいつどんな奴かわからない。嘘ついてるかも」

「…………うん」


 問題は、要求を飲んだとしてもシュナが帰ってこない可能性が大いにあることだ。

 こんな頭のおかしいことをしでかす馬鹿は、何をしても不思議でなかった。

 だが要求を飲まないわけにもいかない。


「……ニャルコがいればな」

「ぷる」


 もしニャルコがいれば、ウィルの様子から全てを察してシュナを探してくれるだろう。それぐらい優秀な猫だ。

 だが今は不在。どこにいるかわからない。


「どうすれば。何が、最善なんだ――」


 急にこんな状況になれば、冷静な思考はどこかへ消える。

 何をするのが正解なのかわからない。そんな中でウィルは必死に考えていた。


「僕のせいだ。僕がちゃんと気づけていればこんなことにならなかった」

「ぷる!? そんなことないぞ! 前兆なんてなかった! とつぜんのこと!」

「嫌な予感はしてたよ。でも自分のことばかりだった。他にもっと目を向けていればよかった!」


 何かがおこる嫌な予感はしていたのだ。それに対する対策は、自分のことだけ。まさか仲間に危険が及ぶなんて考えなかった。いや、そこまでの余裕がなかった。

 その結果がこれだ。


 もっとウィルが凄ければ。もっと賢ければ、もっと完全無欠であればよかった。

 だが所詮、ウィルは人間の子供だった。完璧にはなれなかった。


「ごしゅじん! 悪いのはシュナをさらった奴! 自分、責めちゃだめ!」

「イム……」


 ウィルは己を悔やみ、イムはそれを諫める。しかしそれも、長くは続かない――。


「ウィル――? まだ準備終わらないの?」

「し、師匠!?」


 共にシュナを迎えに行くシルクが、一向にやってこないウィルを不思議に思ったのか扉越しに声をかけてきた。


「ど、どうするのだごしゅじん?」

「っえっと」


 シルクにバレるわけにはいかない。シュナのことがバレたら監視者によって伝わり、シュナは死ぬ。

 脳をフル回転させたウィルは、慌てて扉を開けながら言葉を紡いだ。


「し、師匠。シュナちゃんの迎えは僕とイムで行ってくるよ」

「えっ? でももう夜遅いし」


 急にそんなことを言いだしたウィルに、シルクは至極まっとうな正論を言う。

 いくら魔都が治安が良いと言えど、もう夜。大人がちゃんとついていくべきだろう。


「イムがいるから大丈夫。師匠は休んでて」

「でも」

「えっと。シュナちゃんと二人っきりになりたいから」

「えっ?」


 シルクに悟られまいと口から出任せ言ってれば、シルクはビシっと固まった。


「今日はシュナちゃんと外で泊まってくる!」

「お泊まり!!!???」

「だから気にしないで。と、とりあえず。行ってきます!」

「あ、うん。ふ、二人きり。夜に……お泊まり。ぶつぶつ」


 目を回しながら深く考え込んでいるシルクを置いて、ウィルは慌てるように走り出した。

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