第五話 獅子の威圧

 巨大な壁が迫っていた。馬車の窓から外をみれば、天を貫くかと錯覚するほどの壁が、刻々と迫る。


「あれが。私たちの本拠地のある都。王都ウィレサンスです」

「へー。ながい名前」


 最初にでた感想はそれだった。そんなウィルをジト目で見た副団長は、こほんと咳払いをしつつ解説する。


「昔、この王国と隣の帝国との大戦争で活躍した私たちに、国王陛下が下さった屋敷が私たちの本拠地です」

「大きいの?」

「大きいですよ」


 馬車は王都の大門へと進み、そこを潜る。フェンリルが一緒にいることに驚いている者もいるが大半はいつもの事の様に気にしていなかった。


 大通りをカラカラと馬車は走る。しばらく走れば大きな門にたどり着き、そこは厳重な警戒がなされている。だがベゴニアが一言二言門番に伝えればすぐに門は開いた。


 そこからは豪奢な通りが続く。歩く人の身なりも綺麗で、使用人らしき人も歩いている。


「ここは貴族街。その一等地に私たちの本拠地はあります」

「へー。それはすごい」


 貴族。というものに対してウィルは知識がない。でもなんか凄いとは分かった。そんな凄い所の一番凄い所に住んでいるのだ。多分とっても凄いのだろう。ウィルはそう考えた。


 貴族街も進み、見えてくるのは巨大な屋敷。門を潜れば、その巨大さがよく分かる。庭も広く、訓練場の様な物が見える。

 そんな庭の一画に、馬車は止まった。


「さ、帰ってきたぞ」

「わー。……大きい」

「八人で使うには広すぎるくらいですよ。もっと小さいので良かったのですが、国王陛下が一番大きいのをと」

「へー」

「あのおじさん、結構良い人。ウィルも後で連れて行ってあげる」

「それは嬉しい」

「それはやめてください!」


 シルクの突然の提案を副団長は慌てて阻止する。王様というのがどれほど凄いのかよく分からなかったが、副団長の反応から結構凄いと思った。


「ウィル。あなたは問題児にならないと思っていたのに」

「ごめんなさい。そんなすごい人だとは思わなかった」

「……あなたにはいろいろ教える事があるみたいです。シルク、ウィルに変な事吹き込まないでくださいね」

「分かってる。後で街を案内するぐらい」

「……そうですか」


 疑り深い目で副団長はシルクを見る。しかしシルクの無表情を突破する事はできなかった。


「おいおい。駄弁るのは良いけど、まず団長に仕事終わったって報告に行かねえと」


 馬を馬小屋まで連れて行っていたベゴニアの言葉に、はっとする副団長。


「そうでした。後はウィル君の事もですね」

「ああ。さっそく行くぞ」


 ベゴニアと副団長が先んじて屋敷に入っていく。

 ウィルとシルクは、その後に続いた。


「……あれ。フェンリルは?」

「リルは帰した。眷属は召喚しているだけで魔力を消費する。節約は大事」

「なるほど」


 将来は召喚士になりたいウィルは、心の中にメモをした。

 早速屋敷に入る。屋敷の中は、綺麗ではあるがガランとしていた。

 物が少なく、何もない。そんな感想を抱かせる。


「私は部屋に戻る。報告しといて」

「分かりました。おとなしくしといてくださいね」

「分かってる。またねウィル。頑張って」

「がんばる」


 そう言うと、シルクは廊下の奥へと消える。これから会うであろう団長という人を想像しながら、ウィルはぐっと気合をいれた。

 団長は二階にいるらしく、階段を上る。


 前を歩く二人の後を付いていけば、大きな扉の前にたどり着いた。


「ここだ。じゃ、ついてきな。お前は凄まじい魔力を持っている。その将来性だけで、置いてくれるかもしれない」

「うん」


 ベゴニアの言葉に、小さく頷く。ウィルは、じっと扉を見つめた。何か、凄まじい力を感じる。ピリピリする力を感じながら、扉を開けた二人の後に続いた。


 中は薄暗い部屋だった。ガランとしていて物がなにもない。そんな部屋の中心に、獅子の獣人が一人。瞑想をしていた。


「団長、ただいま帰りました」


 副団長の言葉に、団長と呼ばれた男はゆっくりと瞳をあける。それと同時に溢れる覇気。

 ウィルは目を見開いて身震いする。


「……くっくっく。よう、戻ってきた」


 しかし溢れる覇気とは対照的に、団長はやさしげに笑った。



 ◇



「なんや、おもろいもん拾ってきたなあ」


 身長二メートルはある団長は、獅子獣人らしく豪快に笑うとウィルの頭をわしゃわっしゃと撫でる。

 ウィルはたてがみを触りたくて見つめる。


「こんにちはです」

「おお。こんにちは」


 馬車の中で副団長に教えてもらった敬語という物を使ってみる。


「団長、ここに置いてやっても良いか? 面倒も責任も俺が持つ」

「ああ。かまわん」

「団長ならそう言うと思ってましたよ」

「だっておもろいやんけ。こんな魔力多い奴シルクぐらいしか知らんし」


 団長も、ウィルの頭を撫でた次いでにその魔力量を感じ取っていた。

 それは百戦錬磨の団長でも類を見ない魔力量。将来化ける可能性が非常に高い。


「よし。これで団長の許可も取った。ウィル、ここにいられるぜ」

「うん。ありがとう」


 ウィルはぐっと拳を上げる。何とか命を繋いだ。そう感じながら。


「では適当に空いている部屋を与えてもよろしいですか団長」

「そうせえ。空室が多すぎるからなあ」


 この屋敷はとにかく大きい。八人で使うには広すぎるほど。部屋の半分はからっぽで使いきれず、掃除すら一苦労だ。ウィルに宛がう部屋など腐るほどある。


「よし。じゃあウィルついてきな」

「はい」


 副団長は打ち合わせがあると残り、ウィルはベゴニアと一緒に部屋を出た。

 廊下に出て、ほっと一息つく。


「で、どうだった団長は」

「すごい、力。なんかすごかった」

「抽象的だな。まあしかたないんだ。団長は無意識に魔力を放出してるからな」

「魔力を?」

「ああ。こんな感じにな」


 その瞬間、ウィルの体中から冷や汗が噴き出た。

 気さくで優しいベゴニアが、急に怖くなる。今すぐ逃げ出したい。そう心が警報を鳴らす。実際に、一歩後ずさった。

 その瞬間ベゴニアから威圧感が消える。


「魔法の基本技能だ。自分の中にある魔力をただ放出するだけ。意外と高等技術だが、敵を威圧するのに持って来いな技だ」

「ほー。……とっても怖かった。これは凄い」

「ウィルもいずれ使えるだろう」

「だったら良い」


 ウィルは考える。ベゴニアが発した威圧感。あれを出すのに一体どれほどの技術がいるのだろう。今はまだどうやれば良いのか見当もつかなかった。


「んー。まあここでいいだろう」


 いろいろ考えこんでいると、ベゴニアが一つの部屋の前で立ち止まる。


「昔一度、客が泊まった時に使って以来だ。ベッドが一応あるから、それを使ってくれ」

「分かった」


 ぎいっと扉が開く。中は小さな部屋だった。ベッドが隅っこにポツンとあるだけ。しかしウィルにとっては広すぎるといっても良い。外敵がいない安全な空間というだけでどれほど貴重かウィルは理解していた。


「じゃ、そろそろ夕食だと思うしそれまで休んどいてくれ」

「うん……ベゴニア。ありがとう」


 部屋の中に入ったウィルは、じっとベゴニアを見つめながらぺこっと頭を下げる。


「どうしたんだよ急に」

「ごめんね。ついてきて。めいわくだった?」


 生きるため。とはいえ変な事を言って無理やり付いてきた自覚はある。ベゴニアは善意で助けてくれた。それなのにさらに助けを求めるとは、強欲。なのだろう。


「……あー。別に気にするな。最初は変なの拾ったと思ったけど、今は拾って良かったと思う。子供なんだからさ、存分にわがまま言ってみろよ」

「うん。……ありがとう」


 優しさ。それはウィルの記憶の中にはない。こんなに親切にしてくれた人をウィルは知らない。初めての感情のウィルは戸惑いながら、小さくまたお礼を言った。




 ベゴニアが出ていき、ウィルは一人部屋に残った。


「何すれば良いんだろう」


 ポツンと独り言を言ってみる。だが呟きも小さな部屋に消えていくだけで、誰も返してはくれない。

 夕食の時間になればだれかくるのだろうか。窓から外を見れば日は陰ってきている。だがいつ夕食になるのか分からない。ウィルはそれまで何をすれば良いのだろうか。

 寝ていれば良いのか。しかし眠気はない。


「……分かった。探検です」


 いろいろ考えて、ウィルはそう結論をだした。

 それは子供ながらの好奇心。大人しい子供であるウィルだが、やはり子供だ。好奇心には打ち勝てない。

 という事で、何とか扉をあけて外に出てみる。


「広いろうか」


 掃除されてはいるが、物は何もないガランとした廊下。とても広く、どこに行けば良いのかウィルには分からなかった。

 なので適当に進む事にした。


 広い廊下を慎重に進む。しかし人には会わなかった。当たり前だろう、この百人と住めそうな広大な屋敷に今は数人しかいないのだから。


「ん……良い匂い」


 適当に進んでいると、ふと鼻腔をくすぐる美味しそうな匂いがした。

 ふらふらと、それに惹かれる様にウィルは歩く。

 すると、一つの部屋にたどり着いた。


「キッチン?」


 そこは綺麗に整頓されたキッチンだった。そのキッチンのコンロには、コトコトとスープが煮えている。

 しかし人がいなかった。


「誰もいない。……だいじょうぶかな」


 ウィルはコンロの前に移動した。

 弱火でコトコト煮られているスープ。火を消しておくべきだろうか。と思案する。かつて鍋を火にかけっぱなしであわや大火事になるところだった経験を持つウィルには少し不安だ。


 だが勝手に消すのも良くはない。何か考えがあっての事かもしれない。コンロの前でじっと考えこむ。だから、背後から近づいてくる存在に気付かなかった。


「坊主――」


 そんな声と共に、首筋に冷たい物がそっと置かれる。

 ゆっくり視線を下にすれば、それは包丁だった。

 包丁が、ウィルの命を刈り取ろうと首筋に当てられている。


「盗みか。関心しねえな。ここが激獣傭兵団の本拠地としっての狼藉ならば、いささか無知だな」


 ウィルは、ゆっくりと振り向いた。そこにいたのは一人の男。包丁を握った男は、冷たい瞳でウィルを見下ろしていた。


「罰は与えにゃあなるまい。……子供とて、容赦はしねえぞ」


 男は強烈な殺気を、ウィルに飛ばしてきた。

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