第二話 最初の試練

「これを使いな」


 そう言ってベゴニアが投げてきたのは小さな短刀だった。

 小さいといえど、ウィルにとっては大きい。とくに体力が落ち切っている今では重すぎると言っても過言ではない代物だ。


「俺の剣を貸してやってもよかったが。持てないだろうし、それで我慢してくれ」

「……うん」

「うんって。……怖くないのか?」


 ウィルは短刀を抜いた。綺麗に研がれたそれは、容易に人の命を奪うだろう。

 ウィルはその刃をじっと見つめてベゴニアに返答した。


「僕はあそこで死んだから。……怖くは、ない」

「へぇ」


 ウィルの言葉にベゴニアはただそう呟く。


「まあ手加減はしよう」

「それは助かる」


 実際手加減の十や二十しないと勝負にもならないだろう。

 彼らには、大きな壁がある。

 大人と子供という壁。

 しかも健康で鍛えられた大人と、不健康でやせ細った子供だ。勝負になんてなるわけがない。

 倒すなんて不可能だ。


 なのにベゴニアはなぜかワクワクした。

 ただの不健康な子供相手に、理由もなく胸が高鳴る。


「さあ、始めようか」

「分かった」


 そうして二人は対峙する――。

 ベゴニアが弾いたコインが地に落ちた瞬間に、勝負は始まった。


 合図と同時にウィルは走る。ウィルにとっては全速力。

 しかしベゴニアにとっては亀の歩みだ。


「やあっ」


 あまりにのろい攻撃。一秒以下の世界で戦うベゴニアにとって、ウィルの攻撃はどうとでもできるものだ。

 避ける事もできたが、防御を選択。向かってきた短刀の刃を、そっと摘まむ事によってウィルの攻撃を凌いだ。


「っ!?」

「……なぜだろうな。俺はお前に、ちょっと期待したんだ」


 ウィルは掴まれた短刀を引き抜こうと力をこめるが、びくともしない。


「本当にお前のことを考えるなら、孤児院にでも放り込んだほうが良いと思う」


 ベゴニアは思う。ウィルは傭兵団というものを理解していないと。

 子供が入っていい組織ではなく、危険なことに巻き込まれるに違いない。

 ウィルを助けるなら、傭兵団に勧誘するより適当な孤児院に放り込んだほうが何倍も良いだろう。

 でもそうしなかった理由は単純だ。


「お前の目を見たとき、いずれ…………なんてな」


 ベゴニアは短刀を放す。そして、腰に差している剣の柄に手をおいた。

 ウィルは慌てて距離を取り、しかしそれ以後一歩も動く事ができなかった。


「今から、お前を殺す。……怖く、ないんだよな」


 剣を今にも抜こうと構えるベゴニアから放たれるのは、殺気。


「ぁ……っ、」


 ウィルは、その時初めて本物の殺気を知った。五年。それは長いようで短い。そんな人生の中で感じた初めての本物の殺気。

 動悸が激しい。呼吸が荒れる。否応なしにぶつけられる圧倒的強者からの威嚇。


 それを感じたウィルの心に芽生えたのは恐れでも、諦めでもない。


「生きたい」


 もうとっくに諦めていたと思っていたが、それは間違いだった。死にたくない。死ねない。そんな思いが体中を駆け巡る。

 気づいたら動悸も、呼吸も、正常に戻っていた。


 瞳に宿るのは驚異的な生存本能。短刀を握ったウィルは、生きるために走った。


「良い瞳だ。さっきよりな」


 ベゴニアの声が聞こえる。だが足は止めない。不気味なまでに落ち着いている心で、一気に足を踏みしめた。


「あああああああああっ!!」


 ウィルは、腹の底から声をあげた。大声を出せるような体でないのに、敵を威嚇するかの如く咆哮を放つ。

 なぜか力が湧き出てきた。死ねない理由があるから。すべての力を求めて、ベゴニアに突撃した。


 ――だが。


「あっ」


 ウィルはベゴニアの足元で、急に力が抜ける。意識が朦朧とする。なぜだろう。だがピンチであるとは分かる。

 死ぬかもしれない。しかたのない事だ。でも、死にたくない。死んではいけない。

 その思いだけはさっきと違う。苦しくて、つらいだけの人生だったはずなのに、死にたくないという思いが溢れ出る。


 それでもウィルの意識が闇へと消えた。




「あ~。無理しすぎたな。病み上がりなのに」


 ウィルはさっきまで死にかけていた。それをベゴニアが強引に治して叩き起こしたのが現状だ。

 そんな体で戦闘を行えば倒れる事は必至。意識を消したまま動かないウィルを見て頭をかくと、ベゴニアはウィルを担いだ。


「合格にしといてやる。お前の生きたいという思いを汲んで」


 生きたい。そう願った時のウィルの覇気は、歴戦の剣士であるベゴニアの心を揺らした。

 これほど心を揺さぶられて、不合格なんてありえない。

 その結果が考えなしの突撃だったとはいえ、あの時ベゴニアは見た気がした。

 ウィルの可能性を――。


「ほんと、お前は何なんだろうな。ただの死にかけの孤児なんて俺は思えねえよ」


 ウィルと名乗った子供を、ベゴニアは普通の孤児とは思えなかった。

 その身には何かがある気がした。


「……まあ、帰るか」


 いろいろ考えるも、ベゴニアの頭では結論が出せない。

 故にそう呟くと、ウィルを担いで歩き出した。



 ◇



「……ん。ここ……は」


 ウィルが目を覚ましたのは、知らない場所であった。綺麗な木の天井が視界に映り、清潔な毛布がその身を包む。

 よくよく考えてみても、ここがどこかわからない。


 もしや天国というやつかとそう思いつつ、一旦周囲を確かめようと強引に己を覚醒させる。

 二、三度瞬きしたら、思い切って上半身を跳ね起こした。

 そして辺りを見渡せば――。


「起きた」

「うわっ。……びっくりした」


 ウィルをじっと見つめる一人の少女がいた。蒼い瞳がウィルを観察してくる。負けじとウィルも少女を観察した。

 背は低い方だろう。ウィルよりはさすがに高いが、まだ子供といえる。しかし長い耳をみればエルフだと分かり、子供という説は覆る事になる。エルフというのは長寿であり、見た目相応の年齢をしていない。


 黒い髪をショートカットにしている華憐な少女は、手に持っていた本を横に机に置いた。

 しばらく見つめ合うも、ウィルが最初に口火をきる。


「だれ?」

「この傭兵団の召喚士」

「傭兵団。……僕はウィル。ただのウィル」

「ベゴニアから聞いた。私はシルク・ロートネック」


 少女はそう自己紹介する。シルクの特徴としては表情の変化が乏しい事だろうか。

 ウィルもそういう傾向があるが、それ以上だ。

 眠たそうな瞳で、じっとウィルを見つめていた。


「よろしく。僕もここにおいてもらう事になった」

「知ってる。ベゴニアが変なの拾ってきたと思ったけど……。私よりチビだから良い」

「チビだから?」


 確かにウィルはチビであろう。それはまだ五歳という年齢と、栄養を十分に取れなかったのが原因だ。成長すればもっと高くなるだろう。


「私は他の団員からチビって馬鹿にされる。チビじゃないのに。……まだ成長するのに」

「……そっか。頑張って。僕も頑張る」

「ウィルは頑張らなくて良い。私だけが頑張る」


 自分より小さくあってほしいと願っているのだろうが、それも叶わない願いだろう。さすがに成長すればシルクよりは大きくなる。それが人間の男の子だ。


「ところで、ここはどこ?」

「ここ? ただの宿。この町に来たのは仕事だから」

「そっか。傭兵団って……他にも人がいるの?」

「当たり前。二人だけって事はない。うちは八人しかいないけど」

「それって多い?」

「少ない」


 数字というものを知らないウィルにとって、八人が多いのかは判断がつかなかった。そもそも傭兵団が何をするのかすらわからないウィルは、頭にクエスチョンマークを沢山浮かべる。


「八人しかいないけど。最強。うちはね」

「へー。それは凄い」


 学がないウィルでも、最強が凄いことだと知っている。故に凄いことだと頷けば、シルクはジト目でウィルを見た。


「理解してない」

「うん」

「うんって……」


 じと目で見てくるシルク。負けじとウィルも見つめ返した。

 互いに見つめ合っているとぎぃっと扉が開く音が聞こえる。


「お。なんだなんだ。仲良くなってるな」

「あ、ベゴニア」

「べゴニア、ウィルがなんか失礼」


 扉を開けて入ってきたベゴニアを、二人は同時に見る。

 シルクはウィルを指さすと、文句を言った。


「まあまあこれから成長していくのさ。と、シルクにウィル。突然だが、帰る事になった」

「帰る?」

「ああ。俺達の本拠地はまた別の所にあるんだ。ここには仕事で来ただけで、それもたった今終わったから帰る。副団長が報酬を受け取っているからもう行くぞ」

「仕事終わったからってすぐ帰る。少しは観光もすべき」

「そう言ってもなあ。副団長はそういう事を好まない。団長がいれば別だったんだが」

「はぁ……」


 シルクは仕事だけという事に不満があるのだろう。だがそれ以上文句をいう事なく、隅に纏めてあった荷物を手に取った。


「ウィル。復活したばかりで悪いが、馬車に乗れるか?」

「馬車? 多分」


 馬車という物をウィルは遠目で一度見た切りだ。なんか凄いとは知っていてもよく知らない。


「まあ出発前に飯は食う。ウィルはお腹にやさしい物からだな」

「ありがとう」

「よしよし。じゃあ行くぞ。さっさと荷物をまとめてチェックアウトしておけと副団長に言われてるんだ」


 ベゴニアも背に大荷物を背負っていた。部屋を出るベゴニアとシルクに、ウィルも続く。自分の持ち物など持っていないウィルは手持ち無沙汰だった。

 しかし手伝おうにもウィルのガリガリの腕では足手まといにしかならないだろう。というわけで二人の後はついていくだけだった。


「ああ、ウィル。覚悟しておけよ」

「覚悟?」

「副団長はお前の事を認めちゃいない。まだちょっと話しただけだが、難色を示している。だから、何があってもいいようにな」

「……覚悟」


 その単語を、己の中の反芻した。これから会う事になるという副団長を想像しながら。

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