傭兵団の愛し子~死にかけ孤児は最強師匠たちに育てられる~

天野雪人

第一章 幻獣姫の弟子

第一話 路地裏での邂逅

 薄暗い路地裏に少年が一人倒れていた。

 その赤い瞳に映るのは絶望であり、少年が好き好んで倒れているわけではない証明だ。


 体は栄養失調から骨と皮ばかりになり、美しかったはずの白髪は泥汚れで灰色に染まる。虚空を見上げた少年は、カサカサの唇でつぶやいた。


「も……い、や」


 すでに少年は生を諦めていた。こんな苦しみが続くのであれば、もう生きていたくはない。

 かつては、生きねばならない理由があったはずだ。死んではいけない呪縛があった。だがもう終わりだ。


「いた、い……」


 かすれた喉から声が漏れる。まだ声を出す余裕があったらしい。ならばもう少し生きるだろう。

 だがもう、いいではないか。少年はそう願う。

 死は救済だ。この苦しみから逃れられる唯一の道だ。


 そもそも産まれたときから地獄だったし、それが地獄だとすら認識できないほどに日常だった。

 親などという存在は当然のごとくおらず、暴力ばかりの酒飲み老人が親代わりだ。愛された記憶はなく、貰ったものは拳と罵声だけ。


 ここが弱肉強食の、下らない世界だと少年は知っている。

 そんな世界で、何の力も持たない少年の末路など決まっているのだ。苦しみながらの野垂れ死にしか結末はない。


 だが賞賛するべきだろう。孤児の身で、五歳まで生き延びた少年のことを。

 親代わりだった老人の暴力に耐え、老人が運悪く死んだ後も、一人で必死に生き続けた。


 泥をすすっても、靴を舐めても。何をしてでも生き延びた。

 運は良かったのだろう。でなければ生き延びられない。

 だが空腹に耐えかねて、道端に生えていた草を食ってしまったのが運の尽き。それが猛毒と有名な『ガラガラ草』だと気づいたのは、恐ろしい腹痛でのたうち回ることになってからだ。


 空っぽの胃で三日三晩も吐き続け、高熱も出た。五歳の少年がそれに耐えきれるはずがない。

 徹底的に苦しんだ後、待っているのは永眠だけだった。


「おか……さん」


 死を目前にして、最後に見たのは母の顔だった。

 顔も名前も知らないが、ずっとそれを求め続けていた。親は子を愛するものらしい。故に少年をここから連れ出してくれるのは、親と呼ばれる存在だけだ。

 死に逝く時の中で、親の像を夢想した少年はただ一つを願っていた。

 どうかこの苦しみから解放されますように。そう思い、目を閉じた。




「――なんだこいつ?」


 それは男の声だった。無骨な手が少年のほおを触る感触がする。だが少年にとってはどうでもいいことだ。

 どうせロクな存在ではない。追い剥ぎか何かだろう。少年から奪う物など何もないと思うが、別の者であろうと良い存在であるはずがない。

 だから期待も絶望もせず、死と向き合っていた。


「……あ~、ガラガラ草か。猛毒だと教わらなかったか少年?」


 もうろうとした意識の中であろうと、急に体が持ち上がったのは理解できた。

 男は少しばかり少年の顔を弄くると、苦笑しながらそう言う。


「手持ちあったかな……。おっ、幸運だなお前は」


 少年を再度寝かせた男は、ゴソゴソと懐を探り何かを取り出した。


「ほら食え、すぐに元気になるぞ」


 そうして突然、口の中に何かを放り込まれる。


「っ! ――んんん! ごほっ、ごほっ!」


 そして体が燃えるように熱くなり、ばっと少年は飛び起きた。

 苦しみが全て消え去るような感覚と、溢れんばかりの力が湧いてくる。

 これほど元気なはずがなく、何をしたのかと笑う男を見つめた。


「おはよう。元気になったか?」

「あ、う……だれ? なに、したの?」

「ガラガラ草の毒を一発で消して肉体を活性化させる丸薬だ。副団長が持たせてくれた超高い薬だぜ」


 それは間違いなく高価なものだろう。

 だが少年はわからない。そんなものを使われるほどに、己の価値があるなんて思っていなかった。

 一体どんなロクでもない企みを保っているのか。そう考え、男を見つめる。


「なん、で。僕を、助けたの?」

「そりゃ子供が倒れてたら助ける。当たり前だろ?」

「ちがう。助けてくれたの、あなただけ」

「それは……」


 男は少年の歩んできた人生を悟り、悲しげな顔をした。間違いなく良い人生ではなかっただろう。

 少年はボロボロだ。ガリガリの上に、洗うことすらされていない体。そんな状態になる人生を想像して、男自身も苦しくなる。


「はあ。暗い話は止めよう。よし、自己紹介だ」

「じこ、しょう、かい?」

「ああ。俺の名前はベゴニア。とある傭兵団に所属している剣士だ。よろしく!」


 そう言って微笑む男、ベゴニアは無論のこと知らぬ名だ。この世界の偉い人、手を出してはいけない人。そういった者達のことは覚えているが、この男はその類いではなさそうだ。


 橙色の短髪に、鍛えられた肉体。腰に帯剣された二本の剣は、学がない少年であっても高価な物だとすぐわかる。

 ここらでは見ることのない、着流しという東の国に伝わる服を身に纏ったベゴニアは、ウィルに問いかけた。


「で、お前の名前は何だ?」

「……名前」


 ふと少年は考える。思い返せば、『おい』か『お前』以外で呼ばれた記憶はない。

 だが何かあったはずだ。誰かが昔、呼んでくれた名が。少年は記憶をたどり、無理矢理吐き出すように言った。


「ウィル……」

「なるほど。良い名前だなウィル!」


 ベゴニアはサムズアップしてそう言う。そして上半身を起こして座り込んでいたウィルを、引っ張り上げて立たせてくれた。


「じゃあ飯を食って安静にしてろ。薬で一時的に起きてるだけだし、気をつけて帰れよ」


 ベゴニアはウィルにそう笑いかけ、この場から立ち去ろうとする。

 その背を見ながらウィルは……ついて行くことにした。


 鼻歌混じりに薄暗い路地裏を歩くベゴニアの背を追う。恐らくここから出ようとしているのだろうが、そこはウィルの知らない世界だ。

 この貧民街だけがウィルの世界で、その外を見たことはない。外に出れば酷いことになると言ったのは親代わりの老人だったか。今でも恐怖はあるが、ウィルは勇気を出してベゴニアを追っていた。


「…………」

「…………」

「なあ……」

「なに?」


 ウィルのことを気にせず歩いていたベゴニアであったが、ついに痺れを切らしたのか振り向いてそう言う。


「何でついてくるんだ?」

「……ごはん、ない。寝る場所も、ない」

「えっ? いや、そうか。そうじゃなきゃあんな場所で倒れてないよな……」


そんな物があれば死にかけているはずがなかった。その事実に気づかなかった己に溜め息をつき、しかたないとばかりにベゴニアは言う。


「そうだな。何か美味い飯を奢ろう」

「ありがとう……。寝るのは?」

「あー。寝床は……」


 そこでベゴニアは押し黙る。まさか一生分の宿屋を取ってあげるわけにもいかず、どうすればよいかと思案した。


「……このままだと、またぼくは死にかける。また苦しんで、やがてほんとに死ぬ。生き返らせたなら、それには大きな……せきにん?をともなう、はず」

「難しい言葉、知ってんな。わかったよ。面倒見る」


 このままウィルを放置するのは、ベゴニアにとってなしだ。

 力なき五歳児の末路は決まっており、また同じ地獄を味わうことになるだろう。本来一度だけでよかったものを、二度も味わわされるウィルのことを考えれば放置などできまい。


「そうだな……俺達の家に来るか?」

「ベゴニアのところ?」

「ああ。うちは傭兵団をやっているんだ」

「よーへーだん?」


 それはウィルを知らないものだ。ただ生きるのに必死だったウィルには知らないことが多すぎる。


「まあ金で雇われて、戦う野蛮な組織さ」

「それは凄い」


 自嘲気味に笑うベゴニアの言葉はよくわからないが、凄そうだということだけはわかった。

 そんな凄い組織の一員になれれば生き延びることができるだろう。優しく親切にしてくれたベゴニアの元であれば、幸せになれるのではないだろうか。


「だがうちの傭兵団は厳しい。団長……は反対しないかもだが副団長が怖いな」

「怖い?」

「ああ。眼鏡をクイクイしながら、ぐちぐち嫌味を言って反対してくる」

「ぐちぐち。それは怖い」


 よくわからないが、怖いことなのだろう。無知なウィルはブルブルと震える。


「それでも良いのかウィル?」

「うん」

「うちは危険だぜ。荒事によく巻き込まれる。死ぬ可能性だってあるだろう」

「うん。わかった」

「本当にわかってんのか?」


 ベゴニアは呆れるが、そもそもここにいたら確実に死ぬだろう。いくら危険であろうとベゴニアについて行った方が良い。ウィルは幼くも、必死にそう判断して頷いた。


「……わかった。じゃあ入団テストを始めよう」


 そして――ベゴニアの雰囲気が急に変わった。


「本当に俺達の、《激獣傭兵団げきじゆうようへいだん》に入る資格があるのか確かめてやる」

「う、うん……」

「俺を倒してみろ。そうしたら入団を認めてやるよ」


 ベゴニアはそう言って、不可能をたたきつけてきた。

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