3-12
12 ケルロス
ケルロスは一段飛ばしに階段を駆け上がり、最上階の部屋に飛び込んだ。
間に合うかどうか……
そこに広がっていたのは異様な光景だった。
十数名の人間たちが床に転がっている。血は流していないが気を失っているようだ。正装をしているところを見ると、おそらく会談に出席していた外交官や政治家たちだろう。
かれらをそのようにした張本人たちは、黒装束を纏ってひとりの男に鋭利な刃を向けていた。今まさに刺し殺そうという気迫があった。
「やめろッ!」
ケルロスの声に男たちが振り向く。殺されそうになっていた男は目を瞑ったまま動かない。眠らされているのだろう。
こちらはひとり。武器といえば、懐にある十徳刀のみ。一方相手は、目に見える範囲だけで五人。全員が武装しており、人質も取られている。
「……こいつは打つ手なしかもな」
刃先を突きつけられている男は、金糸で縫われた冠を頭に載せている。おそらく帝国の皇太子だろう。昏倒している者たちの中にはケルロスの顔見知りであるエヌッラの大使もいる。下手に動けば命はないが、しかし何もしなくても殺されるだけだ。
さぁどうする。
「知らないのか? 今、下の階で何が置きているのか」
とにかく今は時間を稼がなくてはならない。はったりでも良い。
ケルロスは倒置法を会話に織り交ぜて、相手の気を引きながら話し始める。
「見たとこ、おまえさんがたの親分はいないようだが……肝心なことを部下に任せきりだなんて、上司失格だな。私だったらちゃんと最後まで見届けるだろうが……」
「おい待て、そこを動くな」
いちばん近い場所にいた男がケルロスに大剣を向ける。
「まぁ落ち着けよ。こんな大事な局面に首謀者がいないっていうことは、可能性はふたつだ。おまえたちの親玉が表に顔も出せないような弱虫で怖気づいて出てこれなくなったのか、あるいは不測の事態に対処しなくてはならなくなったのか」
「我々はだれの下にもつかない。マリウス卿とは一時的な協力関係にあるだけだ」
ほう。自ら口を滑らせてきたか。
おそらくこいつらは国内の開戦過激派政治集団といったところだろう。マリウスに騙されて連れてこられたと考えるべきだ。つまりこいつらは魔法の力を持っていない。
暗殺の実行をこいつらにやらせて、あとでマリウスが証拠隠滅をするといった役回りだろうか……。
ケルロスはこの推理を瞬時に終わらせてにやりと嗤う。
「親分だか協力関係だか知らないが、その張本人は逃げちまったぜ」
「……なんだと?」
ほら、乗ってきた。おそらく金で雇われているだけのこいつらにとって、マリウスの裏切りは常に警戒していることのはずだ。そこをつけば上手く騙せる。
騙し通してここを乗り切る。
口八丁は政治家だけの専売特許じゃない。本物の商売法ってやつを見せてやろうじゃないか。
「マリウスは今さっきこの議事堂から出ていったよ。おおかた『武装集団に議事堂を占拠された!』とかなんとか云って本物の衛士たちに応援を呼びに行ったんだろうな」
黒装束の男たちは何も云わずに聞き入っている。よし良い兆候じゃないか。
「マリウス卿の目的は開戦だ。そのためにはべつに自分の手を汚す必要もない。おまえたち逆賊が勝手に皇太子を暗殺したことにして、それを自ら制圧する。そのあとで、反乱者の背後に協商連合のはたらきがあったことにすれば、開戦の云い訳は成立するだろう? おまえたちは最初からマリウスに利用されるためだけにここに呼ばれたってことだよ」
この推理は明確に間違っている。マリウスの行動の根本にあるのは王族に対する憎悪だ。だからその復讐の場から逃げ出すなどということは考えられない。事実、今もこの議事堂のどこかにいるだろう。
だがおそらくこの連中は金で雇われただけ。マリウスの真の目的など知らない。そんなかれらにマリウスへの不信感さえ植え付ければ……
「……おまえ、何を云っているんだ」
「あ?」
「マリウス卿がおれたちを裏切るはずがないだろう」
その言葉を聞いたとき、ケルロスはとっさに自分の誤算を悟った。
そうか。マリウスがこの弱点に気がついていないはずがない。
マリウスが裏切る可能性があるということは、同時にこの連中もマリウスを裏切る可能性があるということ。そしてその可能性をあの策士カルラビエ・マリウスが潰しておかないはずがない。
マリウスは予め、魔法を使ってこいつらから「裏切り」という概念の認識を削除していたのだ。
したがって自分たちが裏切るという発想も、マリウスに裏切られるという考えもこいつらにはぜったいに認識できなくなっている。
ケルロスの誘導は根本的に破綻してしまった。
「おまえが何をしたかったのかは知らんが、結論から云うと皇太子は死ぬ」
男は皇太子の喉元に刃を当てる。わずかにその手が横に動けば、それだけでかれは殺されてしまう。
「そしておまえもそのあとで死ぬわけだ」
万策尽きた。これではポーラにもテオンにも見せる顔がない。
どうする? どうしたらいい?
ケルロスの思いも虚しく、刃物が宙に舞い白い肌をなんの抵抗もなく切り裂いて、血しぶきを吹かす。そして男はそのまま倒れ込んだ。
死んでいる。皇太子ではなく、黒装束の男の方が。
「何が……?」
ケルロスと男たちは動揺する。しかし次の瞬間、遺体に駆け寄ろうとした男たちも次々と自分の首を大剣で撥ねて自害していく。瞬く間に五人の屍が転がり、血の海の中にケルロスだけが立っている。皇太子は気絶したままだが、もちろん無傷だ。
物陰からひとりの男が現れた。山のように太りかえったその身体を重そうに引きずり、そしてケルロスを見る。その顔は死地を見てきたかのように苦しげだったが、ケルロスにはそれがだれなのかはっきり分かった。
「ペリメ国王……!」
ケルロスは国王の身体を抱き起こす。その四肢にすでに力はなく、疲れ切ったような眼だけが潤んでいた。
「余は……やつに勝てなかった……ずっとやつの傀儡のように……」
「しっかりなさってください!」
「この数十年、余がまともに自分自身でいられた時間がどれだけあったことだろうか……だが、今この瞬間、死ぬ前にこうして一矢報いることができたことだけがせめてもの償いだ……」
そうか。ケルロスは瞬時に理解した。ペリメの魔法が、五人の命を奪ったのだ。かれらの殺意を利用し、そして「彼我の認識」を奪ったのだ。相手を殺そうという意識だけが残ったかれらは、ペリメの魔法を受けて自分と相手の区別ができなくなり、自害せざるをえなくなる。
ケルロスは魔法についてポーラから軽く説明を受けただけだ。実際に眼にしたのはこれが初めて──しょうじき疑っていたが、これほどまでの力を見せられてはもう云うことがない。
相手の生命すら奪ってしまう。おそるべき魔法だ。しかもそれを続けざまに五人も。おそらくペリメ二世は相手の名前も素性も知らなかったはず。だというのに魔法を講師するとは、ポーラにはまだできない高等技術だ。
ずっとカルラビエに操られていたこの老人が、そんなことをやってみせたというのか。いや、カルラビエがこの男を上回る途轍もない能力を持っているということに驚くべきなのだろうか。
あるいはこの老人は、ずっとこの瞬間を待っていたのかもしれない。マリウスの陰謀を間近で見ながら、やつに一矢報いることのできる隙の瞬間を。
「おぬしが時間を稼いでくれたから……できたことだ。例を云う……」
「陛下。どうかお気を確かに!」
「余にできるのはここまでだ……やつを……止めろ」
国王はそのままがくりと首を倒して、力尽きた。愚王と呼ばれた男の、その生命の最後に見せた英雄として時間。そのあまりにも短い一幕に、こうして終止符が打たれた。最後の大魔法。レルラ七世のように鮮やかにはいかなかったが、この男はこの男なりのやり方で戦争を回避せんと命を賭したのである。
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