3-11
11 ポーラ
蝕が始まろうとしていた。日が陰り、月の大きな影が太陽に差し掛かる。陽光は遮られ、昼間だというのにあたりは急速に光を失っていく。空の青を乱反射させるイストラリアンの海も、真黒の汚泥のように暗くなり、港のひとびとは頭上を見上げた。
太陽に隠されていた星々の世界が姿を現していく。天頂の火球が覆い尽くされていくと同時に、真昼の空に見えないはずの星々が瞬き始める。
もし世界に終わりというものがあるのなら、きっとこんな光景なのだろう。
星空が議事堂の上空に侵食していく。
「どうやってここまで来れた?」
「わたしにもいろいろと仲間がいるのよ」
ポーラはできる限り平静を装って返したが、自分でも虚勢なのはわかっていた。でも魔法さえ使えれば、こんなやつ……
「魔法が使えれば勝てる。本気でそんなふうに思っているのか?」
「……? どうして……」
「どうしてもなにも」マリウスは皮肉に嗤う。「魔法が使えるのはおまえだけじゃないってことさ。それにおれのほうが、魔法の扱いに関してはずっと年季が入っている」
「じゃあ、あなた……まさか、王族の血を引いているの?」
「そうだ。おれの父親はレルラ七世。おれはおまえの叔父だということになるな」
「そんな……」
カルラビエはレルラの息子……じゃあ王家に恨みを持っているのも、それが理由ということだろうか。
「あなたは、戦争を始めるつもりなんでしょう! 帝国の皇太子や、国王陛下を殺して、戦争を始めるつもりなんでしょう!」
「いや……ちょっとちがうな。それじゃあ単純過ぎる」
マリウスはせせら笑う。
「たしかに皇太子を殺すつもりなのは間違いない。だがそのあとで、エヌッラの大使に『自分が皇太子を殺したのだ』と思い込ませる。もちろん周りの連中にもな」
「そんなことに魔法を……」
「協商連合の大使が帝国の皇太子を殺害したとなれば、これはとんでもない騒ぎになる。帝国の開戦感情はこれ以上ないくらいに盛り上がることだろう。もちろん協商もまたしかり。どうだ。最高の演出だといえるだろう……」
「最低……」
「おっと、そろそろ蝕が始まるようじゃないか?」
マリウスは小窓から外を伺う。さっきまで燦々と照らしていた陽光が陰り、室内は急速に暗くなっている。
室内にはマリウスとポーラのふたりだけ。マリウスの目的はポーラの足止めだろうか。マリウスが本気でかかればいくらかれが老人だからといって子供のポーラに負けるはずがない。それなのにマリウスがこうして無駄話をしているということは時間稼ぎか……
いや、そうとも限らない。マリウスはポーラが魔法を使えるということを知っている。ポーラの魔法を畏れているのか、あるいはポーラが秘策を持って来ているということを警戒している? しかしマリウスが魔法を使えるという話がほんとうなら……
突然、視界が歪んだ。
「きゃっ!」
激しい頭痛が襲う。眼の前のマリウスの影が一瞬消えた。
必死に意識を保とうとする。大丈夫、落ち着いて。よく見て。マリウスはそこから消えるはずがないじゃない。
「ほう、持ちこたえたか」
マリウスは悠々と身体を揺らす。
「王族には魔法に対する防御力があり、通常の人間よりも認識制御が効きにくい。だがそれも時間の問題だ。ペリメ国王にしたように、おまえもおれの傀儡にしてくれよう」
マリウスがそう云った途端、再び激しい痛みが眼窩を貫いた。たまらず叫び声を上げる。
意識が混濁する。記憶が入り乱れる。どれがわたしのほんとうの記憶? どれがほんとでどれが嘘なの?
マリウス。ポーラ。ユーア。バラン。ケルロス。
お母様。お父様。お姉さま。
混乱の中で、視界が壊れてゆく。ここは? 議事堂よ。しっかりするのよポーラ。
テオン。そうテオン。わたしはかれを呼んだ。かれのことが必要だから。
テオンがいないと……。
テオンが来るまでは、カルラビエを……。
頭を打つ衝撃で初めて、自分が床に倒れたことに気づく。その痛みが呼び水になり、なんとか意識が現在へと引き戻される。眼の前にはマリウス。まだ戦いは終わっちゃいない。蝕が進んだのか、部屋は真夜中のように暗くなりつつあった。
今度はわたしから攻撃してやるんだ。
マリウスの邪悪な笑い顔を睨んで、想像する。忘れろ。忘れろ。自分の計画も、開戦の陰謀も、何もかも忘れてしまえ! 怒りも憎しみも、すべて見えなくなってしまえ!
強く願えば願うほど、頭痛がすっと弱まっていくのを感じる。一方マリウスの方は、顔を歪ませて恨めしそうにポーラを睨んだ。
「小娘……まさかそれほどまでに魔法を使いこなしていたのか……」
ポーラは口を聞く余裕もない。今はひたすら、マリウスの認識能力を削ぐように想像するだけだ。気を抜けばすぐにまた頭痛がやってくる。双方の力が鍔迫り合い、拮抗しているのが感じられる。
蝕は始めから終わりまで数時間かかる。下手をすればこの状況をずっと続けなくてはならない。それにさっきから痛みと視界の歪みが激しくなっているような気もする。蝕が進めば進むほど空の星は克明になり、夜に近づく。それにしたがって、魔法の力も強まっているのかもしれない。
体力と気力の限界が近づいている。
そしてポーラは、気を失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます