3-3
3 ポーラ
テオンを載せた船が出港した頃、ポーラもまた囚われの身であった。もっともポーラの場合、閉じ込められていたのは居心地の悪い最低水準の船室ではなくて、赤燕の離宮であったし、そのまま国外に連れ去られるという危急の事態にもなってはいなかったが。
バランやユーアたちはどこへ行ったのだろう。ポーラ同様に幽閉状態にされているのだろうか。いや、そんなことがあれば母が黙っていないはずなのだが……。今のポーラにはとにかく情報が足りなかった。部屋の外には衛士たちが見張りをしており、脱出は不可能な状況だ。
あのマリウスがまさか、テオンにあんなことをするなんて……。
にわかには受け容れがたいことだった。ポーラにとってマリウスは愛想の良い老紳士であって、父や国王陛下にも信頼されている重臣のはずだった。そのマリウスがなぜ……。
テオンを陥れたのがカルラビエという占星術師であることは、かれ自身の口から聞いていた。だがその占星術師こそマリウスの正体だったとは。思えば、ポーラはマリウスの名前などいっさい知らなかったのである。それどころかマリウスがどういう生い立ちで、どういう役割で今の地位にいるのかということなど考えたこともなかった。
マリウスは何を企んでいるのだろう。ポーラとテオンの仲を割く、それだけのためにこんな手の混んだことを? いやでも……
「テオン……どうしたらいいの?」
そう問いかけても、答えてくれる者はいない。がらんとして無駄に広いばかりの自室に、ポーラの声がこだました。
苦しいときは、いつもひとりだった。
上の兄姉たちは皆、留学をしたり結婚をしたりしてポーラの前から消えていった。イストラリアンの王族にはそれがふつうのことだと云われて育った。ポーラにとって最愛の存在であったお姉さまもまた、例外ではなかった。
ポーラは末娘だ。何をするにつけてもいつも最後。そして最後に残されて、ひとりぼっちになってしまうのだ。
思えば、この一ヶ月はそんな気持ちも忘れていた。いつもだれかがそばにいた。ポーラやバランや、そしてテオン。かれらと星のことを語り合っていれば時間が過ぎるのも忘れていた。かれらと星を眺めていれば、沈黙も心細くなかった。
あの無愛想な老人が、ポーラの世界を変えたのだ。
それをこんなふうに失うなんてことは……ぜったいに認めたくない。
『眼の前のことから逃げ出すことを、〈自由〉とは呼ばないの』
お姉さま……。
わたしは逃げないわ。
何か策があるはずだ。ポーラは頭に手を当てて考える。魔法を使うのは……まだ日が昇っているからだめだ。それに見張りの衛士たちの名前を知らないから、かれらには魔法が利かない……
「そうか……名前を知らない相手には魔法が利かないんだ……」
ポーラは不意に気がついた。マリウスに魔法を試したのに、効果がなかった理由。それはマリウスのほんとうの名前や本性を知らなかったからではないのか。だとすれば辻褄が合う。
裏を返せば、かれの正体がわかった今だったら魔法が効くということではないか。そのときが来たら……。
いやしかし、それにしてもまずこの場から出て状況を確認しないことにはどうしようもない。いったいどうする?
そのとき、頭上から金属をこするような妙な音がした。思わず上を見て息を潜める。だれかが潜んでいるのか?
続いて天井からぱらぱらと埃が落ちてきて、羽目板のひとつがガタリと音を立てて動く。その隙間から顔を出したのは……
「ケルロス! ケルロスなの?」
「……やぁ、お嬢さん」
陽気な商人は滑らかに身体を宙へ踊らせて床に降り立った。
「アカラッチアーナ様から頼まれてね。お迎えに上がった次第です」
「お母様が? 今はどうしてるの?」
「あの方は議事堂で行われている三カ国会談に列席しておられるそうです。どうもマリウス卿が足止めをしているようでして、代わりに私が参りましたとさ」
「やっぱりマリウスが……」
母の足止めまでしていったい何をやらかすつもりなのだろう。
「細かいことはこの手紙をご覧になってください」
ケルロスはポーラに便箋を手渡す。それはケルロスがいつも持ってくる、あの見馴れた紙だった。
「どうして……」
ポーラは慌てて目を通す。並んでいるのは見馴れた筆跡。ふだんだったらひとりでゆっくりと読むところだが、今回そこに書かれていた内容はあまりに急を要するものだった。
「あいにくですが、時間があまりありません。さっさと離宮を出ましょう」
「でもわたしは監視されているのよ。それにあなたみたいな曲芸もできないわ」
「お任せください」ケルロスは笑った。「私はお嬢様を背中に乗せた状態で、同じ曲芸ができますから」
「ちょっと待って、だったら……」
ポーラは部屋の窓枠に載せていた『宝箱』を手に取り、そこからあるものを取り出して掴んだ。
「さぁ行きましょう」
そしてふたりは屋敷から飛び出した。
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