3-2
2 カルラビエ
「陛下。間もなく会談のお時間です」
「……そうか。では行こう」
イストラリアン海峡王国第三十五代国王ペリメ二世は重い腰を上げた。軍人気質の弟とは対照的に、もっぱら王宮に籠もってばかりのその体は不健康に太り、歩くだけでもひと苦労といったようすだ。
マリウス卿は内心舌打ちしながらペリメを案内する。かれはこの男を憎んでいた。いや、ペリメ二世だけではない。この国の王族全員を唾棄すべき害虫のように思っていた。だがそんな思いは決して表には出さない。いかに憎むべき相手だろうが、利用できるだけ利用する。それがカルラビエ・ロ・マリウスという男のやり方だった。
ペリメ二世からはすでに正常な判断力を奪っている。今の国王は、もはやカルラビエの言葉に頷きを返すだけの木人形のようなものだ。国王だけじゃない。政権中枢部の目立った連中は大方、傀儡同然になっている。
ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。あのテオン・アッシャービアのように、カルラビエの悲願をあの手この手で阻止しようとする連中を何人も葬り去らなくてはならなかった。先王レルラ七世を毒殺するのにも、それなりの手間がかかったものだ。手間ばかりかかって、何ひとつ達成感のない仕事だった。
自分の七十余年の人生の集大成が今宵達成される。
間もなくティエンシャン帝国皇太子とエヌッラ大使と、そしてペリメ二世による歴史的会談が行われようとしている。海峡で現在進行中の軍事的衝突。それを阻止するための瀬戸際の交渉が始まろうとしているのだ。
まぁ阻止できるはずもないのだが、な。
カルラビエは声を出さずに嗤う。
戦争はもはや避けられない。イストラリアン海峡にはすでに三国の主要艦隊が出揃って、いつでも開戦の砲声を鳴らせる準備が整っている。あとはちょっとした「起爆剤」を用意するだけで良い。戦争を止めるための会合を、戦争を「始める」ための会合に変えてしまう。そんな起爆剤が……。
マリウス卿はペリメ二世を伴って会談場に入った。議事堂の最上階。かつてレルラ七世による伝説の停戦協議が行われた場所と同じ部屋に、その当時とまったく同じ円卓と、そして三脚の椅子が並べられていた。
すでにティエンシャン皇太子とエヌッラ大使は着席して、そのときを待っている。
「会談は国王陛下とお二方のみで行われます。我々は控室の方で待機しておりますので、何かあればお声掛けください」
マリウスは国王に耳打ちする。王はゆっくりと頷いた。
控室に入ると水兵のひとりがカルラビエの姿を認めて駆け寄ってきた。
「前線からの報告が入りました」
「どうだ」
「マリウス閣下の仰せの通り、三国の艦隊は海上を周遊しながら睨み合いを続けております。またエヌッラ協商から帝国の近海へと新たに三隻が接近中という報告も上がっております」
「帝国とイストラリアンの国境付近は?」
「国境巡視隊の報告によれば、帝国の国境駐屯軍に増兵の気配が見られたそうです」
「よし」
すべて順調に進んでいる。七十年前の再現だ。
「あの政治犯の国外追放は済んだか?」
「今朝方、出港したとの連絡が入っています」
「ふん。それと、『例のもの』の用意は済んでいるのだろうな?」
「はい。会談終了とともにすぐ行動に移れるように準備しております」
「いいだろう」
兵士を下がらせる。これだけの時間をかけて条件を整え、準備を重ねてきた計画だ。失敗は許されない。
唯一不安要素を挙げるとすれば王族の連中だ。やつらはマリウスに対抗しうる手段を持っている。特にあのポーラ。あの娘は魔法に関しては度し難い素養を持っている可能性がある。その証拠に昨晩も……。
あの歳ではまだ魔法のことをだれかに教えられているはずもないし、また使いこなせるはずもないのだが……用心に越したことはない。いちおうの手は打ってある。
「失礼ながら、カルラビエ・ロ・マリウス卿ではありませんか?」
見知らぬ男が声をかけてきた。控室で待機していたところを見ると、エヌッラか帝国の交渉人ということだろうか。マリウスは記憶を探る。そうだ。たしかティエンシャン帝国の高官で、皇太子の側近をやっていたやつだろうな。
「お噂は聞いております。天文学にも深い造詣があるとか」
男は頼んでもいないのにぺらぺらと喋りだした。めでたいやつだ。
「元は占星術を研究なさっていたんですよね」
「ええまぁ。昔のことで、お恥ずかしいかぎりですが」
マリウスは得意の愛想笑いを振りまく。暢気に世間話など莫迦莫迦しいことだったが、自分だけがこのあと何が起こるのか知っているのだと思うと愉快だった。
「とはいえ最近はもっぱら国王陛下の下で仕事をさせていただいております。こんな老骨を登用していただいて身に余る光栄と云いますか。あなたも宮仕えの身なのでしょう?」
「そうですね」
男は屈託のない表情で笑った。威勢の良い喋り口に気を取られててっきり年下かと思ったが、よく見れば顔の皺は濃く、髪も白い。ひょっとすると同年輩なのかもしれない。
「私も昔、天文学をかじっていた口ですが……そうだ。イストラリアンで天文学と云えば、テオン・アッシャービアという男をご存知ありませんか?」
テオン? なぜ、今その男の名前が出てくる。カルラビエは心中苦々しく思いながらも、白を切ることにした。
「アッシャービア? はてさてそういう名前も聞いたことがあったようななかったような……」
「かつて王立天文台の所長を務めていた人物ですよ」
「ああ! たしかにいましたね。王家に反逆した罪で一線を退いてしまった、残念な男だった。どうやら先刻、いよいよ国外追放になったそうですよ」
今頃やつは海の上で途方に暮れているだろうよ。
「それはそれは。まったく残念なことですね。帝国では今でも名前の知られているような天才研究者なのですが、ほんとうに惜しいことです」
「いつの時代も有望な若者の悲劇を聞くのはこころが痛みますね」
これはマリウスにとって、本心からの言葉だった。
ああ、テオン・アッシャービア。おれはおまえのことを心底、哀れに思っているよ。
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