3-1 編まれた星々

第三部 編まれた星々


「人間の運命は誕生時の星々の配置によって決定されており、

 それを変えることはできない。

 定められた歴史に逆らうのは無知の蛮勇に他ならず、

 賢きひとはこれをよく知り、備えることによって対処する。」

            ──カルラビエ・ロ・マリウス卿『占星学の神秘』



1 テオン


 長い牢獄生活で学んだことはふたつ。ひとつは孤独とのつきあい方。もうひとつは罪悪感とのつきあい方だった。

 テオン・アッシャービアにとっての罪は、家族を救えなかったこと。そして自分自身を救えなかったこと。波止場に警吏たちが迎えに来たあの日以来、テオンにとっての希望は星と宇宙を巡る計算式のみだった。

 計算だったら、この孤独な監獄でもできるのだから。星ひとつ見えぬこの場所でも、思考することはできる。そう思って、計算式で頭を満たし、耐え難い寒さを追い出した。

 あの日以来、夢は悪夢しか見ない。


 船室特有の性急な揺れに、目を覚ました。強烈な潮の匂いと、古い木の臭気。それに少し墨の香りが混ざる。どうやら出港したらしい。かつての船上生活の名残で、この感覚は身体が憶えている。

 久々の航海のせいか頭が痛む。朦朧とする意識の中で、直前の記憶を漁る。そうだ。カルラビエのやつがポーラを……。

 カルラビエ・ロ・マリウス、あいつはそう名乗った。娑婆に出てからは政治のことなどついぞ興味を向けてこなかったから知らなかったが、あいつこそ噂の「国王を操る奸臣」の張本人だったのか。あの男なら納得もいく。この期に及んで、またもあの男と対峙させられる運命の皮肉に、怒りよりも先に笑いがこみ上げてくる。

 カルラビエはテオンをこの船に放り込んだ。ティエンシャンに国外追放するつもりらしい。殺されなかっただけマシだと云えよう。二度とポーラたちに会えないという点ではそう変わりはないが……。

 テオンは船室の寝台から身を起こす。牢獄よりは良い設備だが、快適とは云い難い場所だ。扉をたしかめたが、鍵がかかっている。当然か。戸を何度か叩くと、外から開かれた。

「どうした」

 武装した兵隊が扉の前に立ち塞がっている。監視役ということだろう。テオンがあと三十年若かったら、こいつを殴ってでも外に出るのだろうが……。

「出してくれ……と云ったら聞いてくれるか?」

「冗談はよせ」

「カルラビエの命令か?」

「ああそうだ。宰相からは帝国に着くまで監禁するようにと仰せつかっている」

 宰相──やつはそんな地位にいたのか。テオンは黙って扉から下がる。再び容赦なく施錠された。

 三十年も経って、まだあいつと縁が切れないというのか……! テオンは地団駄を踏んだ。何がしたくてやつは私とポーラを引き離そうと……

 そうか。それが問題なのか。

 テオンの思考はだんだんといつもの冷静さを取り戻しつつあった。

 カルラビエがテオンとポーラに関することを知ったのは、おそらくポーラがやつに魔法を試したときだ。あのときポーラはカルラビエに天体観測の話題を持ち出したと云っていた。

 テオンとポーラについて知っている者はそう多くない。ポーラの母や家庭教師たち、それにポーラの護衛は把握しているだろうが、ポーラの父やカルラビエを始めとする政府関係者にまでは話が伝わっていないはずだ。ポーラの母親は父親にまで話を広げたくなかったからこそ、それ以上の口外をしなかったのだから。マリウスがポーラの言葉を聞いて初めて天体観測の件に気がついた可能性は高い。

 それが呼び水となってテオンの国外追放に繋がったというわけか……。だがこれも考えてみれば妙な話だ。カルラビエにとってテオンはもはやなんの権力も持たない、人生の敗北者だ。ポーラとの引き離しはたしかにテオンにとって効果的ないやがらせかもしれないが、その手段が国外追放というのも噛み合わない気がする。宰相まで上り詰めたカルラビエがわざわざそんな面倒な手回しをするだろうか。いやむしろ何か他の理由があるように思えてならない……

 テオンの脳内にこの一ヶ月間経験した記憶がありありと浮かんでは消えていった。それらが重なりひとつになり、そしておそるべき像を結ぶ。ひとつの仮説がテオンの頭の中で組み立てられつつあった。

「まさか……それがほんとうなら」

 テオンは目を瞑った。


 かつてカルラビエが云った言葉。

『おれも王家の連中など大嫌いだ』


 そしてあの晩、大家から聞いた言葉。

『帝国と協商だよ。もうすぐにでも戦争が始まるとかなんとか。そうなっちまったらこの国はまっさきに火の海だ』


 船体がぐらりと揺れる。波が荒れているようだ。

 やつが望んでいるのは破滅だ。この国の破滅。

 それまでには一刻の猶予もない。

 最悪の場合は、世界中の人間の命が犠牲になる。

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