2-10 ポーラ
「おそらく王家の魔法の正体は人間の感覚……それも認識に関わるものだと考えられる」
テオンは慎重な語り口で説明を始めた。
「どういうこと?」
「人間の認識を遮断する……云い変えると、ある事象を認識できなくする能力だ」
バランとポーラは首を傾げた。
「説明するのもまどろっこしいな。まずあの神話を例に考えてみるとするか。あの話の中でレルラ王の魔法がどんな効果を持っていたか憶えているな?」
「たしか、イーストラを他のひとから見えなくしたんでしょう?」
「ああそうだ。云い換えると『イーストラの存在を認識できなくさせた』ということだ」
「イーストラがそこにいるのに……みんながそれに気づかないってことですよね」
バランが拳を顎に当てる。
「そういうことになるな。この場合、サタニアスだけはその魔法から除外されていたようだが、とにかく効果としては同じことだ」
「じゃあ祭のときや、補講の件は?」
「あれも同じように説明できる。祭のとき、バランはポーラの存在を『認識できなくなった』んだろう?」
「あっそうか!」バランは柏手を打った。「たしかにあのときポーラ様を見失ったんですよ。ポーラ様は信じてくれなかったけど。あのときほんとうは眼の前にポーラ様本人がいたのに、私はそれを認識できなかったわけですね」
「なるほどね。そう考えると、仕組みはイーストラが見えなくなったのとほとんど同じってわけね」
ポーラは頷いた。
「その後、ポーラが怒られなかったことや、都合よく大使たちが予定を取りやめたことも説明できる。ポーラの周囲の人間たちは『パラエの祭のときにポーラが予定をすっぽかした』という事実を認識できなくなったんだ」
「そんなことまで魔法でできるの?」
「そんなこと『しか』できないと思ってくれ。補講の件も同じだ。アパラン先生は『補講があった』ということを認識できなくなったのだろう。だがこれら魔法はきわめて短期間で、かつさほど重要ではないことにしか適用できない。それに魔法が使えるのはいつも夜だ。このことから、魔法の力はきわめて微弱で制限されていると考えられるだろう」
テオンは冷静に分析を述べた。
「でもすごいじゃない! だって、直接面と向かっていない相手にも魔法の効力は及ぶわけでしょう?」
「どうだかな。今のところ魔法の効力下にあるのはポーラにとって顔見知りの人間だけだ」
バランやアパラン、それに大使や母などはポーラのよく知る人物だ。
「前にポーラが官邸を抜け出して公園に来たことがあったな」
「わたしたちが出会ったばかりのころでしょう? それがどうしたの」
「あのときポーラは門兵たちを邪魔に思ったはずだ。かれらの眼を欺けば、簡単に官邸を出入りできたはずだからな。そして事実、門兵たちがどこかへ行くことを心の底から願っていなかったか?」
「たしかにそうだったわ」
「もし魔法を使ってポーラの姿を一時的に認識できないようにしたならば、きっと門兵たちの眼を欺いて簡単に外に出れたはずだ。それにあのときは天体観測のために外出しようとしていたのだから、時刻は当然夜だ。条件は整っている。なのにそうはならなかった。なぜか?」
「わたしが門兵たちのことを……知らなかったから?」
「そういうことだ。名前すら知らない相手を操ることはできない。それもこの魔法の条件だと考えることができる。あるいはさらに魔法の能力を応用させれば可能になるかもしれないが、今のポーラの力ではできない、と考えるべきだろう」
テオンの理論はよく練られており隙がなかった。さすがは学者と云ったところだろうか。
魔法の条件はまず夜にしか使えないということ。
相手の「認識」を制限することができる効果がある。
そして、今のポーラの力ではよく知っている相手にしか魔法が使えない。
重要なのはこの三つということだろう。かなり見通しがよくなってきた。あとは実証してみるだけだ。
「じゃあ早速、試してみましょう。今ならきっと上手くいくはず……」
「離れなさい、お嬢様」
暗がりから声が聴こえた。
バランが片手で剣の柄に触れる。
ポーラは天体観測用の赤い提灯を掲げて、闇を照らした。
黒い幕をかき分けるようにして、その人物が闇から姿を現した。その毅然とした表情。壮健な背筋。
「なぜあなたが……」
「それはこちらの台詞です。お嬢様」
男が手を横に払うと、闇からさらに数名の衛士が現れた。あたかも魔術のように劇的な仕草だった。
「その男は政治犯です。かつて王家に牙を剥いた悪党です。今すぐ離れることをおすすめします」
「テオンは犯罪者なんかじゃないわ!」
ポーラは叫んだ。テオンの過去についてはすでに一部始終を聴き終えている。
「テオンは嵌められたのよ。知らないの? 知らないんだったら今ここで私が、テオンの無実を保障するわ!」
「いいえ。お嬢様」男は淡々と反論する。「これは国王陛下の命令です。今すぐあなたとその男を引き離すとのご命令です」
「国王陛下が……?」
いったいどうして?
そう思うポーラに代わって、次に声を上げたのはテオンだった。
「き、貴様……まだ生きとったのか……」
テオンの眼がこれ以上ないほどに開かれる。あたかも地獄で仇敵と再会したかのような苛烈さで。
「こちらこそ、お元気そうで何よりです。テオン・アッシャービア」
「いまさら……この老体から何を奪おうというのだ」
「何も欲しくはありません。小生はただ、内親王殿下についた害虫を駆除するために派遣されたにすぎません」
「この野郎……」
ふたりの衛士がテオンに歩み寄る。その進路に立ちはだかったのはバランだった。
「待ちたまえ。この老人が無害なのはほんとうだ。このバランの名にかけてそれは真実だ」
「気持ちはわかるが、バラン」衛士のひとりが首を振る。「これは正真正銘の勅令だ。君ひとりがどう云ったところで変わるものでもない」
「お、おい……ッ!」
静止する間もなく、テオンは衛士ふたりに囲まれて腕を取られる。かれにとってそれはひどく懐かしく忌まわしい感触だった。衛士たちはそのままテオンを引きずるようにして闇の向こうへと連れ去る。テオンは四肢を振り回したが、所詮やせ細った老人の力でどうにかなるものでもないのは明らかだった。
「待ってよ! どうしてこんなことするの!」
「すべては国王陛下のためです」
「あなたは、佞臣よ! この国をどうするつもりなの?」
「云いがかりはやめていただきたいですな」
この男は一切動揺しない。
三十年前に王立天文台所長テオン・アッシャービアを失脚させて以来、この男を止めることのできる者はもうだれもいなかったのだ。
時の皇太子──今の国王に取り入ってイストラリアンを影で操る奸臣。
マリウス家に入籍し、憧れの爵位まで手に入れた男。
カルラビエ・ロ・マリウス卿は老獪な狗の表情で、ポーラに一礼し、そのままテオンや衛士とともに闇の中に消え去った。
暗がりから悪夢のような笑い声が響き渡った。
──第二部「天体の運行」完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます