2-6 ポーラ

 大地の王イーストラはトロイメリアーナとの結婚の末に国を作った。その国はかれの住む大陸と、トロイメリアーナの住む海を結ぶため、イーストラが大陸の「縫い目」を解いて伸ばした糸の先に作られた。伸ばした糸が半島になり、糸の先にはイストラリアンが生まれた。

 その後ふたりの間にはレルラが生まれ、レルラに国を任せてイーストラは各地に冒険に出た。夜の王パラエを始めとして、各地を支配する王たちと出会い、友好関係を結んだ。すべては愛すべき国、イストラリアンと世界の平安のために。

 だがその活躍を快く思わぬ者もいた。奸臣サタニアスだ。

 レルラ王の腹心として仕えていたサタニアスは、イーストラがあちこちを飛び回って名声を得ることを不愉快に思っていた。イストラリアンの王はレルラひとり。イーストラはあくまでその影であるべきだ。

 サタニアスはレルラ王をそそのかし、王家に伝わる魔法の力を使わせた。その魔法を使えば、光あるものも影の中に落とすことができるのだ。サタニアスはレルラにこう云った。

「イーストラはその力に溺れ、いまやレルラ王を省みることもない。イーストラをこの国に呼び戻して、レルラ王のその力でしばらくおとなしくしていてもらおう」

 しかしサタニアスはレルラにも云っていないことがあった。レルラは単に、父親を王宮に留めておとなしくさせようとしているだけだった。だがサタニアスは、イーストラを殺害するつもりだったのである。

 レルラ王の誕生を記念する日。王宮にはイーストラやトロイメリアーナのほか、国の重臣たちがひとり残らず集められて宴会が行われた。イーストラの食事には、サタニアスが毒を盛っていた。レルラ王には「ねむり薬」と称していたが、それは間違いなくイーストラの命をも奪い取れるだけの劇薬だった。

 イーストラ王がその食事に手を付けようとした直前、レルラ王は魔法を使った。

 この魔法では光を影に変えることができる。魔法の力によって、まさに太陽のごとき存在感を放っていたはずのイーストラの姿がだれの目にも見えなくなった。だれもイーストラが消えたことにも気が付かなかった。イーストラ自身さえ気が付かなかった。そしてそのままイーストラは食事を口にして、すぐに痛みを感じて悶え苦しんだが、やはりだれひとりとしてイーストラの姿には気が付かなかった。妻であるトロイメリアーナですら。かれらは隣でイーストラが死に瀕していることにも気が付かず、ただ歓談と食事を続けていたのだ。

 サタニアスはそうっとイーストラの椅子を引き、そしてそこに座っている不可視のイーストラごと、それを川へと投げ込んだ。そしてレルラ王にはこう報告した。

「イーストラ様は無事、王宮の私室へと帰られました。これからはあなたさまの時代です」

 レルラ王はイーストラの身に起こったことなど露知らず、サタニアスに褒章を与えた。

 イーストラの遺体は海峡の湾まで流れ着き、そこで海底まで沈んだ。

 天には真黒な太陽が昇っていたという。


「魔法……」

 テオンとポーラは新たに大口径を改造する作業を施していた。ユーアとバランは手持ち無沙汰なのか、広場の長椅子に腰掛けて雑談をしている。

「イーストラの死は叙事詩の中でももっとも示唆的な部分だ」

「しさてき?」

「気になるところがたくさんあるってことだ。実際、帝国の民俗学研究においてはこの部分についてさかんに議論がされている」

「たしかに奇妙な物語だけど……故意はなかったとは云ってもレルラ王が自分の父親を殺してしまったというのは残酷な話だし」

「『父殺し』の主題自体は珍しいものじゃない。サタニアスのような奸臣も、実在したとしてもおかしくないだろうな。現に今だって……」

「今だって、何?」

「いや、なんでもない」

 テオンはそっぽを向いた。

「なんでもないってことはないでしょう?」

「いや、その……くだらん噂話だから」

 テオンは珍しく遠慮しているようなようすだった。どうしてそんなようすなのか、ポーラにも少しは想像がつく。

「きっと国王陛下の話でしょう。遠慮しないでいいわよ。わたしだってそれくらい知ってる。今の国王陛下は政治に関してはてんで駄目で、官僚たちに任せきりだって話でしょう?」

「……知ってたのか」

「家族のことなんだから、それくらいいやでも分かっちゃうのよ。でもどうしてこんな話をするの?」

「そのことだが」テオンは大口径の先端に手製の布を巻いた。「私の計算が正しければ、来週の午後に皆既日食が起こるはずだ」

「日食って……月と太陽が重なるっていう? じゃあわざわざ大口径に太陽観測用の改造を準備しているのも、それを観測するためなのね?」

「ああそうだ。日食はさっきの話にも出てきただろう?」

 ポーラは神話の最後の一節を思い出す。

『天には真黒な太陽が昇っていた』

 真黒の太陽。それが皆既日食のことを指しているということか。

「昔から日食や月食は信仰と切っても切れない関係にある。日食周期は計算によって割り出せるが、かつて帝国の天文学科が大規模計算を試みたところ、イストラリアン王暦十七年に皆既日食が起こっていることが算出できた。イーストリア叙事詩の記述と大部分合致する」

「それがほんとうなら……イーストラとレルラの話も、もしかしたら実際に起こったことなのかもしれないってこと?」

「そういうことになるな。だがわからんのは魔法のくだりだ。光を影に変える魔法というやつがどうにも解釈に困る……」

 魔法。

 おそらくレルラが使ったというその魔法は王家に伝わるものだろう。使い方を誤れば、取り返しのつかないことになるという大魔術。その警句は、まさに初代レルラ王が魔法によって父親を殺してしまったからこそ生まれたものだったのかもしれない。

 そうだ。テオンだったら、もしかしたらこの魔法の仕組みを解明してくれるかもしれない。ポーラの頭に浮かんでいたのは、テオンと最初に会った晩のあの奇妙な出来事だった。なぜかポーラから離れて行ったバラン。中止になった大使との会合。それに母がポーラを叱らなかったこと。

「実はね、テオン……」

 ポーラは魔法について知っていることを話した。自分が経験したことも、トーランお姉さまから聞いたことも。

 テオンは興味深くそれを聞いていた。

「どうにも情報が足りないな。もし王家に伝わる魔法がほんとうならば、ポーラがそれを使えないはずがない」

「でもあの日以来、そんなことは一度も起こってないのよ」

「きっと『発生条件』があるのだろう」

「条件?」

「現象というものは、必ずある条件が揃ったときに結果が生じる。原因と結果。因果律というものだ。ポーラが魔法を使うという結果が生じるためには、必ずその原因を考えなくてはならない」

「でもその原因がわからないのよ」

「わからないならば……」

 テオンはポーラに問いかける。答えはわかってる。

「実験してみるしかないわね」


 実験は単純なところから始めなくてはならない。

 まずはあの夜の出来事とできる限り近い状況を作ることから始める必要があった。

「その状況を再現して、もしそれで上手くいったならばあとは少しずつ条件を変えていけば良い。そうすることで原因が絞れてくる。科学の基本だな」

 テオンはポーラに講義した。あの夜の再現。バランと外出し、かれとはぐれるということだった。あのときポーラは「バランなんかどこかへ行ってしまえばいいのに!」と思った。心の中で願えばそうなるのだろうか。

 だが日中に試しても上手く行った試しはない。現にこうしてバランやユーアと公園に来ているわけだが、ポーラがいくら心の中で願っても、ふたりは四阿の長椅子に座って歓談しているだけだ。なんの変化もない。

「心から強く願望しないと上手く行かないのか……あるいは時間帯の問題かもしれんな」

「時間帯って?」

「今は昼だろう。だが最初に魔法が使えたのは夜だったはずだ。夜中に試さないと効果が出ないのかもしれない」

「でも思い出してよ。イーストラ王が殺されたのは日食のときだったわけでしょう? つまり太陽が昇っていたとき。昼間だったってことよ」

「それもそうか」テオンは納得したように頷いた。「わからんな。あるいは一度魔法を使った相手には、もう利かないということもあるかもしれない。試しに他の人間でやってみるとするか」


「マリウス。ちょっといい?」

「これはこれはお嬢様。なんでしょうか」

 マリウス卿は愛想よく振り返った。

「実はちょっと聞きたいことがあるのだけど……」ポーラは適当な話題を考える。「マリウスはお父様がなんの仕事で留守にしているのか、知っているのよね」

「ええ。ですがたとえお嬢様であっても、お教えすることはできませんよ。この国の最高機密ですからね」

 さすがの忠誠心だ。この抜け目なくて優秀な老犬がそうそう口を滑らすはずがない。とはいえポーラとしても会話を続けなくてはいけない。折を見て魔法を仕掛けてみないと。

「ええっと……じゃあマリウスは? マリウスはどういうお仕事をしているの?」

「小生ですか。そうですね。噛み砕いて云うなれば……国王陛下の相談相手といったところでしょうか。小生の非才ではとても政治などできませんが、ここまで生きてきた経験から、陛下に何か役立つことをお伝えすることくらいはできますので……」

 マリウスが話を続ける間、ポーラは心の中で祈った。

 マリウス、あっちに行って! わたしのことなんか無視して向こうに行って!

 どんなふうに願えば上手く魔法が成立するのかはわからない。ただなんとなく、この前の祭のときのような感情を思い出して当て勘でやってみるしかない。できるかぎり集中して、心の中でマリウスに命ずる。願う内容はあのときにバランにやったのと同じだ。相手がマリウスに代わっただけ。実験条件としてはかなり良いはずだけど……。

「……といったところですが。これで満足いただけましたか?」

 駄目だったようだ。やはり、緊急性のない願いだと上手く行かないのだろうか。それともやり方が間違っているのかもしれない。ポーラは溜息をついた。

「ええ。ありがとう。勉強になったわ」

「それなら良かった……ときにポーラ様」

 マリウスが何かを思い出したように声を上げる。

「最近はよく慰霊公園に出かけてらっしゃるそうですね。何か気になることでもあるのですか?」

「ああ。あれは天体観測よ」

「ほう……」

「公園からは星がとても綺麗に見えるのよ。マリウスもいちど来てみたら?」

「はてさて、そう仰るのであればいつかぜひご一緒したいですな」

 そのころまでに魔法の秘密が明らかになっていれば良いけど。

 ポーラは肩を落とす。

「ああそれと、アパラン先生がお嬢様を探しておいででしたよ」

「先生が? いったいどうして……」

 あっ! そうだ。今晩は先生の補講があったのをすっかり忘れていた。魔法にかまけていたせいで、意識の外に抜け落ちていたのだろう。まずい。今から行ってもこってり叱られることはうけあいだ。それならいっそ……。

「わっ、わたしに会ったことは内緒にして……ね?」

「お嬢様? お嬢様、そんなに急いでどこへ……」

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