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「この大地の果てに何があるのか、わかるか」

 視界を覆い尽くす星空の下で、数日ぶりに顔を合わせたテオンは開口一番そう云った。

「この地面の先には崖があって海の水が滝のように溢れ落ちていく。そんなふうに考えた者もいた。あるいはこの大地はストレイヤという大男が両腕で支えている盆のようなものだと云った者もおる」

「テオンもそれを信じているの?」

「いいや。真実はもはや疑う余地がないほどに自明だ。大地は丸い。船乗りならだれでも知っていることだ」

「テオンも船に乗ったことがあるの?」

「それくらいあるに決まっておろう」

 わたしはないけどね。ポーラはこころの中で云った。

「そんなことはどうでもいい。船に乗れば、大地が、水平線が丸くなっていることはすぐに見てわかる。遠く離れていった船はやがて水平線の向こう側に消えてしまうが、それは決して滝壺に落ちていったわけでも、盆から落下したわけでもない。ちゃんと水平線の向こうに消えた船もまた戻ってくる。あの月や、赤星が丸いように、この大地も丸く、そして海の中の浮島のように浮かんでいるというわけだ」

 ポーラは想像する。空の星。惑星。太陽。この公園から見える空の形も、そして大地も月も、星々の運行もすべてが丸い。丸いかたちが世界を埋め尽くしている。

「じゃあこの世界も丸い形をしているのかしら」

「世界? 宇宙のことか?」

「そうよ。この地球や星たちがある場所も、丸い世界に覆われているのかしら。シューマ神話の『籠』の話みたいに」

 神々が作った籠。その中に世界のすべてが入っている。ポーラたちはその籠の中の小さな星で暮している小人なのだ。

「どうだかな。それについちゃあ云いたいこともあるが、今説明すると混乱するだろう。その前に星の運行について説明せにゃならない」

 星の運行……天体の運行……。

 ポーラはあの禁書のことを忘れられずにいる。表紙に書かれていたテオンの名前。ポーラはテオンの名字を知らなかったが、テオンというのはありふれた名前ではない。それにあの古びた本は、ちょうどこの皺だらけの老人と他人のようには思えなかった。

 きっとテオンは何かを隠しているのだろう。けっして話すつもりのない過去を背負って。こうして慰霊公園に毎日来て星を眺めている。そのことにもきっとかれにとって重要な、しかしポーラには決してわからない意味があるに違いないのだ。

「太陽の明るさにも長期的な変動がある。それを見つけたのは二百年も前の帝国の学者だ。かれは百人もの食客を雇って大陸中に観測地点を置き、太陽光の観測を行ってその規則性を発見したと云われている。私らもそのうち、昼間に来て太陽観測をしてみるとするか」

 テオンはポーラに望遠鏡の使い方を教えながら、天文学の歴史を語った。相変わらず無愛想な語り口だったが、今のポーラにはテオンの気持ちがはっきりと分かった。かれは楽しんでいるのだ。こうして星をともに見る同好の士を得たこと。自分の知っていることを講釈する機会を得たこと。とめどなく喋るそのようすを見れば、自然とその喜びが伝わってくる。

 そしてポーラ自身も、この時間を愛おしく感じていた。

 ポーラだってテオンに隠していることがある。自分の立場について。

 テオンだってポーラに云うつもりのないことがあるのだろう。

 それでいいのかもしれない。秘密を明かさないことによって、この日々を守ることができるのなら。

「ねぇこの前、エヌッラに知り合いがいるって云ったでしょう?」

 ポーラはテオンに向き合った。テオンはしゃがんでポーラと視線を合わせている。皺の刻まれた鷲のような顔が、月明かりに照らされてよく見えた。

「あのね、反射鏡が手に入るかもしれないんですって。そのひと、ケルロスって云うんだけど……今度私とテオンとケルロスで、市場に行って望遠鏡を組み立てる準備をしない? ケルロスもあなたと直接話してみたいって」

「……その男は商人なのか?」

 テオンは怪訝そうに眉をひそめた。

「そうよ。それに船乗りでもあるの。テオンも船に乗ったことがあるんでしょう? ならきっと話が合うわよ」

 テオンは髭を触りながらしばらく黙っていた。テオンはとっつきにくい男だが、対照的にケルロスは人当たりも良く、親切な人物だ。きっとケルロスならテオンと仲良くなれるんじゃないかな。ポーラはそんな思惑を持っていた。あとはテオン次第だ。テオンが頷いてくれれば、万事上手くいく。

「ケルロスっていう男はほんとうに信頼できるんだな?」

 テオンの念押しに、ポーラは自信を持って頷く。

 老人は彼女の表情を見たあと、根負けしたように頷いた。

「じゃあ今度の週末にでも、国際交流と洒落込もうかね」

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