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「ケルロス! ちょっと聞いて欲しいことがあるの」
水軍本部を訪ねてきたケルロスを捕まえて、ポーラは話しかけた。ケルロスは前回の正装とは対照的に、袖のない水兵風の格好をしてその太い腕を晒している。
「メルバンの鏡って知ってる?」
「ああもちろんだとも。メルバンと云やあ、エヌッラで一番の工藝都市だ。南海で最高の職人たちが集まっている。帝国やイストラリアンじゃめったに見ないような鏡職人や硝子職人もわんさといますよ」
「じゃあそのメルバンの鏡って買ってくることはできる?」
「買う? そりゃあもちろん輸入することはできっけど……だれが買うっていうんです? まさかポーラ様が?」
「だめ?」
「だめじゃないですけど、とてもお高い代物ですよ? それになんに使うっていうんですか」
ポーラは黙った。鏡が必要なのは望遠鏡を作るためだ。でもそのことを説明するのなら、きっとテオンのことまでぜんぶ説明しなくてはいけなくなるだろう。
でもケルロスになら……。打ち明けても良いかもしれない。ケルロスは王家からもっとも信頼されているエヌッラ人だ。そしてそれ以上にポーラにとっても家族以外でもっとも頼りになる助っ人でもある。今ここで説明してしまえば、今後は色々と協力してくれるかもしれない。それに宮廷に出入りする者たちの中ではいちばん、肩肘張らずに喋れる相手でもある。マリウスやユーアを相手にはこうはいかない。
よし。決めた。
「実はね、私にはテオンっていう知り合いがいるの……」
ポーラは適度に要点だけ抜き出して話した。テオンと出会った経緯や会話の内容は省いて、ただテオンという天文好きの老人とともに望遠鏡を作ろうとしているのだ、と簡単に説明した。そしてこのことは父母にも先生たちにも内緒のことだ、と。
「なるほど。秘密の作戦ってわけか……」
ケルロスは腕を組んで顎を撫でた。
「わかった。できる限り協力しよう。なんて云ったって我がポーラお嬢様が星空に興味を抱いたっていうんだから、おれも船乗りとして手伝わないわけにはいかん。夜空と船乗りは切っても切れない仲ってやつですからね」
「いいの?」
「ああ。とにかく今度そのテオンっていう爺さんと会ってみないとな。街の職人や鏡以外の材料も市場で探した方が良いだろう。それに……」
ケルロスはてきぱきと段取りを決めていく。その手際の良さはさすが、大海一の商売人といったようすだった。話して良かった。ポーラはほっと胸をなでおろした。
ケルロスをはじめとして王家には外国出身の協力者が何人もいる。かれらはケルロスのような交渉役であったり、あるいは官僚や政府庁舎の幹部として重要な役割を担っている。
「そういった経緯もあって、議事堂の議員は大きくふたつの派閥に分かれています。何と何だか、わかりますか?」
「親帝国派と親協商派でしょう?」
ポーラは図書室でユーアの講義を受けていた。ユーアは棚から巻物をひとつ取り出して丁寧に広げる。
「大正解です。両大国それぞれの支持者が、我が国の議会で日々論戦を繰り広げているわけですね。帝国に協力すべきだ、とか、いやいや協商と経済協定を結ぶべきだ、とか」
ユーアは続けて議会の歴史について語る。六十年前の戦時中は協商派と帝国派で議会が二分し、政権が立ち行かなくなったこと。その反省を活かし、王権が強化されたということ。現在は国王陛下と宰相を始めとする官僚によって政治が行われ、議会はその補助的な立ち位置にあるということなど。
「ここには議員名簿がありますから、実際にどれだけの議員が派閥に分かれているのか、見てみることにしましょう」
「この図書室にはずいぶんたくさんの本があるのね」
「ええ。ここはデメトール陛下の書庫ですから。王国で発行された書物のほぼすべてがここに収蔵されています。せっかく引っ越してこの書庫が使えるようになったのですから、講義に活用しないのももったいありません。なんていってもここにはあの上製版『イーストラ叙事詩』や、『今世歌人集成』、それにティエンシャン皇帝から賜わったという『書林大全』の写本まであるんですよ! 見ないわけにはいかないじゃないですか……」
ユーアはひとり、自分の世界に入っているようだった。きっと物の価値がわかるひとにとっては、ここは宝の山なのだろう。歴史を専門にしている彼女が興味を抱かないはずがない。
「……星の本もあるかしら」
「星? 天文学ですか。でしたらきっとこの棚でしょうね。『天体図会』『占星術事始』『レルラ王と赤星の物語』……」
「この本は? ずいぶん汚れてるけれど」
ポーラは書棚から一帖の紐綴じされた冊子を取り出した。『天体学概論一 天体の運行』と墨で書かれたその分厚い本は、表紙がほとんど擦り切れてぼろぼろになっている。そのうえ真赤な「禁書」という印まで押されていた。
「あっ! それは禁書本じゃないですか。困りましたね……」
「禁書?」
「国王陛下や議会の命令で発行が差止めされた書物のことです。公序良俗に反するような書物や、罪人が書いた文書などですね。禁書に指定されると市民の目に触れぬように写本は回収され、原本は焼却されるはずなのですが……とにかく、ポーラ様もめったなことではこういう本を開かないようにしてくださいね。さぁ授業に戻りますよ」
ユーアは『天体の運行』を棚の上──ポーラの背では届かない場所に置き、仕切り直して議員名簿の解説を再開した。だが、ポーラの眼には禁書の表紙が焼き付いて離れなかった。
天体の運行。
その著者の名前として書かれていた文字列。
そこにはたしかに見間違いようもなく、『テオン・アッシャービア』という名前が書かれていた。
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