1-7


 あの晩の奇妙な出来事。その真実を確かめるためには、慰霊公園で出会ったあの老人に会うよりほかない。

 ではどうやったらあの老人に会えるだろう。

 ポーラの答えは実に単純で帰納論理的で、経験論的な発想だった。

 もう一度、夜中に公園に行けば良いんだ。


 しかし実際にやろうとすると、これは難しいことだった。課題は複数あるが、もっとも根本的な問題は「真夜中にポーラが公園に行かせてもらえるはずがない」ということだ。

 ひとりで行くなんて論外だろう。ではだれか付添がいればどうにかなるだろうか。たとえばユーアかバランに頼んで……。バランはこの件については信用できない。前の晩のようなことが繰り返されないとも限らない。どちらかといえば、ユーアに頼む方が成功の可能性があった。

「ねえ、ユーア。慰霊公園に連れて行ってくれないかしら」

「構いませんよ」

 あまりにあっさりとした返事。呆気にとられたまま、ポーラはユーアと連れ立って裏手の慰霊公園に行くことになる。

 真っ昼間に。

 考えてみれば当たり前だ。ふつう公園というのは昼間に行くものだ。いくらこの近辺の治安が良いからといって真夜中に公園に行くのは、何か後ろ暗いことがある人間だと思われても仕方ない。公園の豊かな草木も、明るい日差しがあってこそ楽しいものだが、夜に見ると隠微で不気味なばかりだ。

 ユーアは意気揚々として慰霊公園がつくられた経緯や、この界隈の歴史について説明した。広場には身なりの良いひとたちがまばらにいて四阿で食事をしたり、歓談に興じたりしていたが、あいにくその中にあの老人の姿はなかった。

「この酒樽の銅像はですね、停戦後に起こった酒樽事件という……」

 ユーアの解説を聞きながら、ポーラはこっそり溜息をついた。計画第一弾は失敗だ。


 第二案を考えなくてはならない。だれかに連れて行ってもらえないのならば、自分で屋敷を抜け出すしかないじゃない?

 とはいえ官邸の警備は離宮と同じかそれ以上に厳しいものだった。一階の玄関と裏口には昼夜問わず常に警備兵が立っている。そのうえこの一帯は警邏の重点地域らしく、表通りにも高い頻度で兵士が巡回していた。というか、そもそもこの屋敷こそが水軍の中枢なのだから、兵士の眼があって当然だ。

 そのうえ、下手に動けば使用人たちや父母に遭遇してしまう危険もある。夜中にポーラがうろついていればすぐに目につく。なんといってもこの屋敷で子供と呼べるのはポーラただひとりなのだ。裏を返せば、彼女以外全員が大人であり、ポーラにとっての保護者ということになる。

 寝室の窓から脱出できないことは初日に確かめた通り。もちろん物語のように、木を伝って下に降りるなんていう手法は通用しない。

 距離にしてみればほんのわずかのところに公園があるのに、そこに辿り着くまでにあまりに多くの障壁があった。


 特に解決策も思いつかないまま、けっきょくポーラは寝室で悶々としていた。いちおう衣服は動きやすいものに着替えて、いつでも外に出られる準備はしてある。

 いちかばちか外に出られるか試してみようか。もしかしたら裏口の兵士が居眠りでもしているかもしれない。それに見つかったとしてもせいぜい部屋に戻されるくらいだろう。きっといくらでも云いわけできる。天秤は次第に作戦決行の方へと傾きつつあった。

 だってあの老人のことが気になる。あの晩なにがあったのか。それを突き止めないわけにはいかない。

 必要なのは論理だ。お姉さまも云っていた。偏見の眼を捨てて、先入観を打ち破って頭を使う。

 そのためにもわたしは調査をしなくてはならない。

 ポーラは音を立てないようにしながら廊下へと滑り出た。

 この数日間、部屋の間取りはしっかりと頭に入っている。

 消灯していても多少眼が馴れれば歩くのに不自由はない。ポーラは階段を下へ下へと進んでいく。

 二階までは順調に進んだ。物音ひとつしない夜だ。父も母も使用人たちも寝静まっていることだろう。

 だが一階に降りる一段を踏みしめたとき、下から物音が聴こえた。囁くような話し声。玄関の方からだ。おそらく見張りの兵士。それも見張りの交代の時間になったのだろう。

 交代してすぐに居眠りするなんて、さすがにそんな見張り番がいたとしたらお笑いものだ。ポーラの計画は早くも挫折しそうであった。

 そのとき背後から物音が聴こえた。

「……!」

 だれかが上から降りてくるような物音だ。ぎっ、ぎっ、と規則的に階段を踏みしめる重量感ある音が聴こえてくる。お父様? こんな時間にいったいなぜ……。

 迷っている猶予はない。ポーラの逃げ道はもう前方にしかない。すみやかに階段を降りて、そして階段脇の部屋に入る。物置のようになっている小部屋だ。ここで相手が通り過ぎるのを待とう。

 手洗場のように手狭な空間で、ポーラはじっと待ち、廊下の音に神経を尖らせる。扉越しということもあって音は聴こえにくい。もう通り過ぎたのか? それともまだ……?

 そう思ったときだった。

 コン、コン……

 だれかが戸を叩いている……? ポーラがそこに隠れていることがばれているとでもいうのか?

 その音に続いて、声が聴こえた。

『おい、交代だぜ。居眠りでもしてんじゃねえだろうな』

『莫迦いえ。そんなことしたら司令官閣下から大目玉だ』

 どうやらあの音は兵士たちが交代の合図代わりに鳴らしたものだったらしい。ポーラは胸をなでおろす。落ち着いてみれば扉の外の気配は消えていた。

 しかしこれからどうしようか。

 ポーラは部屋の一角に小窓が開いていることに気づいた。

 それと部屋の隅に積み上げられたがらくたの山。その上に載っている丸いもの。毬のようだった。小窓に近づいて開けてみる。庭に面していて、ちょうど裏口から角を曲がった死角にあたる場所だ。

 これは……使えるかも。

 片腕が出るくらいしかない狭い窓だったが、ポーラはすでにそれを利用する方法を思いついていた。駄目で元々だ。やるだけやってみよう。

 ポーラは毬を手にとって、その感触をたしかめたうえで思いっきり庭の向こう側へと投げた。

 がさっ……からん、からん、からん………。

 毬の中に入った鈴が小気味良い音を立てる。続いて兵士たちの声が聴こえた。

「なんだ? だれかいるのか?」

 計画通りだ。

 ポーラは素早く廊下に出て、裏口へと走る。

 扉の向こうには……見張りはいない!

 今頃は毬を追いかけて庭を探っていることだろう。

 ポーラはそのまま庭を抜け、裏木戸から公園へと駆け出した。

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