第2話木の下とサル
木下という青年は二つ目の話であるこれらほとんどに該当していた。
幼い頃、実家の近所に住んでいた子どもに目をつけられ、小学生、中学生、高校生、大学生、そして社会人となる今に至るまで「下僕」として扱われているのである。
木下少年自身はどこにでもいるような「普通の」少年であった。
もちろん、彼の他にもいじめられやすそうな所謂なよなよした弱虫の子どもは近所にも学校にもいた。しかし、木下少年は運悪く目をつけられてしまったのである。
そのような扱いを木下に課したのは後にも先にもこのいじめっこだけであった。
このいじめっこ、沙流という変わった名前を持っているのだが、中学校を卒業した後、離れた高校に進学したと思ったら数ヵ月で退学処分を与えられ数年間自宅周辺をうろうろしていた。もしかしたら夜間に定時制の高校へ行っていたのかもしれないし、通信教育でちゃっかりと卒業資格だけは得ていたのかもしれない。
しかし、木下にとっては沙流のことなど知らなくてもいい、知りたくもない情報であったのだからどうでもいいことである。
ただ、木下は沙流の居場所の把握と連絡先のブロックは欠かさずに行った。沙流と遭遇しない為に事情を知っている知人の協力を得て最新の情報を入手した。時には友人の力を借りて妨害まで行った。
携帯電話は2台以上用意した。もちろん、両方とも沙流の番号を拒否した上で所持する。SNSは使用しない。メールは沙流が言いそうな内容であるとすぐに消去した。出会い系などもってのほかである。
木下少年がまだ中学生の頃、クラスの女子から手紙を受け取ったことがあった。
知り合いから頼まれたのだとその少女は言って、可愛らしい封筒に入った手紙を手渡してきた。中には一言、連絡をください。そして、メールアドレスだけが書かれていた。
名前は、書かれていなかった。
木下少年はてっきり他のクラスの女子からの手紙だと思った。
沙流とのことだけを抜けば一般的な学生であった木下少年。優等生とも言えそうな真面目な性格。クラス委員長も務め、クラスメイトからの信頼も厚い。スポーツも勉強もでき、かと言えば話しやすい気軽さも持っていた。だから、ラブレターをもらうことも多々あったのである。
だからこそ、この時は油断してしまったのである。
木下少年はそのメールアドレスに返信をしてしまった。実はそのアドレスは沙流のもの。沙流はおとなしい女子の振りをして木下少年とメールのやり取りをし、ある程度経った頃にそのやり取りを拡散したのである。その内容の中には、もちろんプライベートなことも含まれた。そして、その内容を種に沙流は木下少年を馬鹿にして大声で笑うのである。それも決まって大勢がいる前で。
こうした手口は沙流の得意なものであった。
騙して、引っ掻けて、弱味を握って、自分の思うままに踊らせる。思い通りに進まなければ殴る蹴る。言うことを聞かなければわめきたてる。
彼らが子どもの頃はまだ子どもの悪戯として周囲には認識されていた。沙流が木下以外は目もくれていなかったからである。きっと、小さな時にお友だちになりたいという欲が変な方向に向いてしまったのだろう。誰もがそう思っていた。
しかし、成長と共に沙流の木下に対する執着は一層異常なものとなっていた。
高校生となったとき、木下は心底安心した。遠い土地にある学校を受験し、合格し、寮に入ったからである。
しかし、沙流はどこから入手した情報なのか、頻繁に、頻繁に、それはもう頻繁に連絡を寄越したのである。住所も携帯番号も教えるはずがない。それなのになぜか知っている。
毎日毎日届く封筒。毎日毎時間入っているメールの通知。木下は気が狂いそうであった。
せめてもの助けであったのは直接会わないということ位であった。
大学進学とともに木下は更に沙流から距離を置こうとした。むしろ、縁を切りたかった。ただひたすら縁を切ろうとする木下とは真逆に、沙流はいかにして距離を縮めようか模索しているようであった。
そうこうしているうちに木下は大学を卒業し、就職した。
結局、彼は成人式にも里帰りすることはできなかった。
沙流がそっちにいる限り、自分は帰れない。木下は両親へそう伝えていた。
その事は両親から沙流の家族へと伝わっていたようであった。だから、彼らも沙流を出来る限り遠くへ行かせないようにしていた。実際、沙流は市外へは出なかった。
「どんなに遠くへ行っても、すぐに自分のところへ戻って来るに決まっている。だって、木下は自分の子分なんだから」
沙流はいつだって自信たっぷりにそう言ってのけた。しかし、その実、木下が何処で何をしているのか知りたくてたまらないのである。
いつ自分から離れて行ってしまうのか。いじめっこはいじめられっこに執着し、依存していた。
しかし、そんな関係にも転機が訪れた。
木下が社会人となり、実家を離れてアパートで一人暮らしをするようになって数年が経ったころ。
ある日突然、沙流からの一方通行であった便りがプツンと途絶えたのである。
嵐の前の静けさであった。
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