第3話帰郷

1日、2日、1週間、1ヶ月と手紙もメールも、着信履歴さえ残されない日々が続いた。

木下は始め、冗談だろうと疑い背筋にうすら寒いものが這い回る感覚をおぼえていた。やがて、時間が経つにつれ、徐々にその警戒心は解けていった。


ああ、自分にもやっと普通の人生がやって来たんだ! 木下は歓喜した。


木下は会社に笑顔で休日申請を提出した。同僚たちが彼に彼女ができたのではないか、プロポーズが成功したのではないか。そのようなことを噂するほど、木下は目に見えて浮かれていた。


週末の定休日と合わせて数日間の連休が木下を待っていた。

部屋には大きめのトランクケースに荷物が詰め込まれ始め、それと一緒にたくさんの土産やプレゼントも丁寧に入れられた。

家から離れた間の時間に、彼が大切な人たちに贈りたかった、しかし沙流という存在が送ることを躊躇させた品々であった。




木下は、この連休、初めて実家へと帰宅したのである。




帰郷する当日の朝、新幹線を待つホームで木下は父親へ連絡を入れた。それは、何度も何度も繰り返し彼が聞いた内容であった。


「沙流はまだ町にいるのか」


いつだって返事はYes.であった。

幼い頃から息子を心配していた両親とは、木下はこまめに連絡を取り合っていた。

それは、再び沙流が自分の目の前に現れるのではないかという不安からであった。同時にそれは、木下の心の中には友人らが待つ故郷へ、家族が待つ家へと帰りたいという願いの表れでもあった。帰ってこいと言うことが安易にできない両親ではあったが、それでも木下の想いは伝わっていたのだろう。

しかし、状況が変わり沙流からの交流が途絶えたことを知った父親は、電話口で嬉しそうにいつでも帰って来いと言うことができたのである。


迎えた帰郷の当日となり、逸る気持ちとは裏腹に木下の腹の奥では長年の古傷が疑念を訴えてはいた。本当にあの場所には沙流はいないのだろうか。

いるなら自分は帰れない。かつて殴られた体の部分が、傷つけられた心の部分がじくじく痛んだ。


新幹線がホームへ到着するほんの少し前に、父親からメールが届いた。その内容を見て、木下は肩の力を抜いた。


「沙流くんはいない。ご家族の方が話したいことがあるそうだ」


沙流の家族が自分に言うこと。それは何だろうか。


ぶわりと風を舞い上がらせて新幹線が停車する。これから自分を故郷へと運んでくれる容れ物へと、木下は足をかけた。




木下は懐かしい家族にただいまと挨拶をした。沙流という存在で台無しにされた生活がそこにはあった。

母親も、父親も、笑っておかえりと言って木下を受け入れた。そのことが、より幸せに感じられた。


木下は実家にいられる時間のほとんどを誰かと過ごした。家族と、友人と、あるいはわざわざ足を運んで頭を下げた沙流の両親たちと、木下はただひたすら言葉を交わし続けた。

そして、その中で沙流の両親はこう言った。何故ここまであの子が君に数着するのか、理由がわからない。

謝罪を受けた木下は彼らに言った。


「あなた方が悪いわけじゃない。自分は、止めなかった人たちや助けてくれなかった人たちを憎んでいない」


ただ


沙流だけは一生許さない。


木下は、休暇の最後の日に尋ねた。

沙流はどうしたのか。

ある日突然姿を消した沙流の行方を、誰も知らなかった。


もしかしたら、誰かから聞いてお前のところへ行くかもしれない。

絶対に来て欲しくないけどね。

父親と息子は帰りの駅のホームで話をした。


何かわかったら連絡する。また来てくれ。そう言って父親と親しかった友人は手を振った。


帰りの新幹線が発車した。

明日から、また働こう。しっかり生きて、また帰ってこよう。


これから、「日常」がやってくる。


そう思いながら木下は帰路についた。







アパートの部屋の前で誰かが屈み込んでいる。


「よう、木下」


沙流であった。

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