[間奏]壊レタ世界ノ歌[後]
久方ぶりに出た外は秋だった。
何処にも行けなかった亡霊を置いてけぼりに季節は歩みを止めることなく進む。
暮夜の空に薄い雲がたなびき、真ん丸な月が鈍く光っていた。
腕を組んで隣りを歩く彼女は満面の笑みを浮かべて、先程食べた中華料理の感想を口にする。素材の味がとか盛り付け方とか一家言あるような語彙を並べる辺り、彼女の味覚は確かなんだろう。
残念ながら十四歳の俺には美味しかったという感想ぐらいしかない。それも起伏が少なくなった感情からのモノだから怪しいものであるけれど。
大通りをそのまま歩くとスクランブル交差点で、ちょうど赤信号となり足を止める。
「この信号長いから嫌なんだよね」
そう言って肩を竦める彼女はスマホを取り出す。着信があったようだ。
そのまま電話を繋ぐと穏やかな話しぶりから段々と不穏な口調に変わる。
「……分かりました、出先なので二十分後ぐらいに、はい」
電話を切って開口一番に彼女は、ごめん、と言った。彼女の勤め先であるクラブに団体客が来たらしくヘルプ要請がかかり、今から行く事になったようだ。
ヒモの如き生活を享受されている身としては何ら不平不満があるでなく、気にしないでと言っておいた。
だから、彼女とは此処でお別れだ。
街の喧騒に消えていく彼女を見えなくなるまで見送ると、ようやく長い信号が青に変わる。
ぞろぞろ、とスクランブル交差点を歩く群衆は揃いも揃ってカオナシだ。
希死念慮が鎌首をもたげる。
暗く堕ちたアスファルトに刻まれた白い標は街の顎のようだ。牙を剥き全てを呑み込んでしまえばいいのに。
動悸が激しくなる。こめかみが軋む。
歩みの速度が落ちた身体に幾人かが舌打ちともに当たる。
誰かが嗤っている。まるで石を投げられているよう。
誰かが囁く。亡霊に足はないはずだろう、と。
誰かが視る。怜悧な矢で穴だらけになりそうだ。
這う這うの体でどうにか信号を渡り切った頃には脂汗で全身が濡れていた。
覚束無い足は遅々として重く、鉄球が付いた鎖を引き摺る罪人のようだ。
-------------沙那と美桜の泣き顔が交互に浮かぶ。
もう笑顔は思い出せない。
人間なんて血が詰まったズダ袋。
それが真理でありそれ以上でも以下でもない。そんなのは半世紀も前に解明された冷たいコーヒーでしかない。
なのに、何故こんなにも苦しいのか。
軋み、捩れそうな痛みに追い討ちを掛けるように悪意の呪言がタイプライターで打ち出され、視界を埋め尽くす。
『壊れろ、壊れてしまえ』と。
街の喧騒が遠ざかる。
呼吸がままならない、ドーピングされたように心臓が早鐘を打つ。
もう、いいんじゃないか?
甘言が囁く。希望などとうに失われた。
残っているのは、ろくでもない情動だけだ。それでもと浅ましく縋る滑稽で、矮小に恥を晒す道化の姿を誰かが見てくれてる、と信じたかった。
沙那を奪われ逃げた先に出会った美桜の美麗さは手折られ、壊してしまうとは何の因果か。転校先の学校もそうだ。
初めはチヤホヤされていた環境も美桜が居なくなり、その起因が俺に帰結する噂が流れ出すと腫れ物扱い。イジメや嫌がらせがないのは八坂の名前の賜物だろう。
結局のところ、何も変わらない、変わらなかった。
『堕ちろ、堕ちてしまえ』
もう何も無い。この手は何も掴め無かった。
激しい耳鳴りと頭痛に耐えきれず蹲ると視界が暗転し、次いでアスファルトが宙に雷が走るようにひび割れた。
益々、激しくなる耳鳴りと頭痛に飛ばされかけた意識を繋いだのは必死な形相をしたゴシック少女。
何かを言っている。だけど何も聞こえない。その様相から何か大事な事を伝え、いや訴えようとしているのは察せられた。
もう━━━━どうでもいい。
そう思うと地割れが一層と激しくなり、裂け目から真っ暗闇が覗く。光すら届かない深淵が待ち構えている。
━━━━━堕ちる。
━━━━━いや、堕ちよう。
そこに逡巡はない。
だけど、堕ちれなかった。
■■■■
やっと帰れる。
いつもの終わる時間よりも随分と早いものだったが、体感的に長く感じた。
裕也が心配という事もあったが、ヘルプに呼ばれた要因である客が問題だった。
この地域を地盤としていたゼネコンが不祥事を起こした、という半ば公然とした噂は根深いもので仕事が激減し、それに伴い人材が流出している。誰だって沈むであろう船に座して乗ってはいない。今や会社の存続すら危ぶまれているという。
そんな会社の末端である彼らが来た時には既に出来上がっていたらしく、傲岸で横柄な態度だった。
彼らは沈む船から降りれない。行く当てもなく、有りもしない希望的観測に縋るだけ。それでも現実は突き付ける。目に見えて減る仕事に比例して下がる給料は彼らの不平不満を焚べる。それが彼らをこうした態度にし、あちらこちらで問題を起こし、注意喚起の回状が夜の街に回っていた。
それで笑ってしまうのが、彼らの中に私を襲った三人組の一人が居た事だ。すぐさま糾弾し、席について二十分後には逃げるように店を後にした彼らは言うまでもないが出禁認定。新たな回状が回る事になる。もう彼らはここいらで飲む事も出来ないだろう。
ざまあみろ、だ。
今度はスクランブル交差点に捕まる事はなかった。暫く歩みを進めると人集りが遠くに見えた。それに付随してギター音が聞こえてくる。
近付くにつれて耳朶が拾うのはギターが鳴らす音に併せて歌う声。
人垣の間からチラリと見えたのは、肩までの金髪に、手にしたギターがやけに大きく見える程の小柄な体躯の少女だった。
魅入られるとはこんな感じを言うのだろうか━━━歌声は切なく悲愴を誘い、旋律は甘言のように心を溶かしてくる。
紡がれる言葉は容赦のない現実を突き付ける。『それはキャベツ畑やコウノトリを信じている子供に無修正ポルノを突き付ける時を想像する様な下卑た快感さ』と、冷嘲する事にも似て。
不快に顔を歪め、不穏さが胸を衝く。なのに足は止まり少女から歌から目が耳を離せない。臭いものには蓋をする、ではないが見えない振り、見ないようにしている現実の残酷さを醜さを━━━━━少女は詳らかに歌う。
慟哭にも似たギターリフは唐突に幕を切る。
一瞬の静寂の後に街の喧騒が戻る。
ごせいちょーありがとっ。そう言って少女は何の未練も余韻も残さず、一顧だにもせず街角に消えた。
━━━━なんかモヤモヤする。
時の砂に埋もれた後悔が、戸惑いと不穏を誘って胸中を満たす。
早く帰ろう。
きびすを返した先に、裕也が微笑を浮かべて立っていた。小さく手を振りながら。
「お疲れ。あんがい早かったんだね」
思わず駆け寄った私を迎えたのは穏やかな声。
「あ、うん。まあ色々あってさ、聞いてくれる?」
そのまま裕也の腕を取って、内心の怯えを塗り潰して、何事も無かったように歩を進める。
店に来た
そんな裕也に安堵が広がるけれど、相対するように暗鬱も満ちて心はぐちゃぐちゃになりそうだった。
予感がする。
裕也は近い内に居なくなるだろう。
これは確信に近い。
■■■■
カーテンの隙間から夜が白白と明けてゆくのが見えた。
隣で寝息をたてている彼女を起こさないように、静かにベッドを出る。
部屋は狂ったように求めあった情欲の残滓が未だに濃く漂う。
散らばった服を身につけ、洗面所で軽く顔を洗った。
鏡に映る顔は、ここ数日に比べたら幾分かはマシな気がした。希死念慮は今は無い。
これから進めるのか、戻るのか分からないけれど、それでも何処に向かうにしろ扉を開けなければ始まらない。
にゃあ。
足元で猫が鳴いた。
ロデム、あの夜に誘った黒猫が見上げている。
その瞳は『行くのか?』と問うようで。
「一緒に来るか?」
真っ直ぐに見つめ返す。
暫し、交錯していた視線を破るようにロデムが踵を返す。少し先で歩を止め、こちらに向き直り短く鳴いてから寝室へと姿を消した。
外に出て大きく伸びをすると名残の月が空に見えた。
門出としては吉兆な朝じゃないか?
特に根拠はないけども。
目端に黒塗りの車が一台、停っているのが映る。
助手席から一人の女性が降り、深々と腰を折るのに微苦笑がでた。
やれやれだぜ。どのみち時間の問題だったって事かな。
「旦那様と奥様が心配してますよ」
そう言って、進藤さんは完爾と微笑んだ。
■■■■
「やっぱり居る訳ないよねえ」
嘆息ともに独り言が零れる。
裕也が居なくなって今日で四日が経った。
恋人の関係だった訳じゃない。
いずれ居なくなるのは分かってた。
それでも数日とはいえ一緒に暮らしてたんだから寂しくないなんて強がりは出ない。
積極的に探すつもりはないけど、買い物ついでにこうして裕也ぐらいの十代が集まる所を覗いてみたりするぐらいは許されるはず。
そんな理由でゲーセンに来てみたものの、矢張というか完全な無駄足だった。
「うおぅえー」
個室から呻き声が聞こえる。
断続的に聞こえる所を推測するに吐いてる感じだった。
夕方から飲んでたのかしら。
どちらにせよ、関係ないか。
時計は出勤時間に対して猶予がない時刻をさしている。
今日はこのまま仕事に向うとしよう。
中断していたメイクを開始しようとアイシャドウを引いた所、個室から少女が出てくるのが洗面台の鏡に映った。
黒髪の少女だ。かなり若い、十代のようだ。高校生、いや中学生かも。
少女は確かな足取りで、私に目もくれず隣に立つ。
刹那にふっと香ったのは酸っぱい匂いに混じった青臭さ。
少女はカバンからコップを取り出し、フルーツミント味でお馴染みのうがい薬で執拗に口を濯ぐ。
ああ…うん。分かる、ぶっちゃけ喉に絡むし不味いだけだから。あんなもん、好きな人のもんじゃないと飲めないよね。
かって自分が通った道を少女と重ねる。
だからなんだって話。
気が済んだのか少女はタオルで口を拭うと、無造作に黒髪を外した。
眩いばかりの金髪が躍動するように肩まで流れる。呆然と見ていると少女は人差し指を唇に当て「内緒だよ」と言う風に口角を上げた。
特に会話をするでもなく少女は去った。
驚きはしたものの、咳唾珠を成す如しの詩を歌う背景の一端が窺い知れ、すとんと腑に落ちる。
多分、あの少女は何かと戦ってるんだろう。
根拠は無いけど、そう思った。
━━━━潮時かもしれない。
いつまでも夜の世界に居れる訳じゃない。
蝶で居られる時間は儚く短い。
「今日で辞めるか」
そう声に出すことで活力が沸くような気持ちになる。
「よし!辞めよう」
「え?」
弾かれた声に、目を向けると黒髪が流麗な、目もあやなな美少女が目を丸くしていた。
「ああーごめんなさい! 独り言というか、決意。そう、決意表明してたの」
「そ、そうですか。大事ですよね、決意表明」
そう言って曖昧に微笑む美少女。
ああ…絶対に引かれてるよ。
それにしても綺麗な子だな、こんな子がキャストに居たら引く手数多だろうな。
手を洗ってるだけで淑やかに見えるって凄くない?
「良いですよね、決意表明。諦めかけてましたけど、うん、なんか私も頑張ろうって思いました」
勝気そうな眦がふにゃと垂れる様は、こっちも笑壺に入ってしまう。
トイレから出た先にある自動販売機の前で、先程の美少女と同じ年ぐらいの男女が立っていた。顔立ちが似ているので双子なのかもしれない。
どちらも美男美女で、さぞかし学校ではモテそうだ。
ただ、スレてそうな感じは否めないけど。
店を出るとビルの谷間に薄暮がかかっていた。
時計はいよいよ猶予が無い時刻を指している。
早歩きで行けばどうにか間に合うかな。
何気に後ろを振り向くと、トイレで会った美少女が自販機前に居た二人と話しこんでいた。店内の騒がしさに負けない声が聞こえてくる。
「ちょっと下を向きかけてたけど、これを飲んでファイト!一発っ!だね」
手にしているのは自販機で買ったのであろうオロナミンC。
「ファイト一発てきょうび聞かねえな」
「商品違いだし」
双子と思わしき二人の呆れた声を背中越しに聞きながら
「ファイト一発」
と呟いてみる。思いの外、悪くないぞ。
通りへ進む足取りは軽い。
━━━━━━━━━━━━━━━
フフ……下手だなぁ、黒畜くん、下手っぴさ。構成の分け方が下手。
と、大槻班長の声が聞こえるようです(´・ω・`)
前回もそうでしたが後編が長い、長すぎる。
次回からはナンバリングにします。その方が更新頻度が上がるかもしれません。多分、きっとメイビー。
作品フォロー及び♡★有難うございます!
モチベ上がりますので餌は与えてくだしあ。
米も解放しておりますので( ๑•̀ω•́๑)
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