第3話偽善者は笑わない
*偽善者
自分で重んじてもいない美徳を然も備えていると吹聴しながら、軽蔑する当の利益を巧いこと手に入れる者┈┈┈A・ビアス
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彼は裕也かもしれない。
その一言で、アタシは親友の沙那をポカンと見てから、今日、編入してきた彼の方へと目をやった。
窓側の席に座る彼の周りには、幾人ものクラスメイトが楽しそうに談笑していた。
すでに、一部の女子の眼鏡に叶ったのだろう、女子比率が高めだった
先程の自己紹介で見た姿と遠巻きながら見る彼と記憶にある沙那の幼馴染、恋人であった裕也を見比べてみたが、少し乖離すぎてるように思えた。
裕也が居なくなって二年と少し。それだけあれば人が変わるには充分過ぎる時間だ。
特に成長期であるなら尚更だろう。
「言われてみれば、何処と無く面影は似ているような…」
記憶の中の裕也はどちらかというと女顔で、今の彼の顔立ちは中性的寄りで優男といった雰囲気。
身長は高く、双子の弟である海衣を多分、超えてそうだ。
「昼にでも声掛けてみる?」
アタシがそう言うと沙那は頷いた。
チャイムが鳴り、自席からチラリと窓側に目を向ける。
一番、後ろの中央になるアタシの席からは、彼の横顔しか窺う事しか出来ない。前を向く彼は授業を、真面目に聞いてるように見える。けど、フリなだけなのは直ぐに分かった。彼は一切、ノートを取っていない。
目だけは前を向いてるが、その実、何も映していないだろう。なんとなくだけど、そう感じた。
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退屈な授業が終わり、ようやく昼休みのチャイムが鳴る。
我先にと購買に向かう者、連れ立って食堂に向かう者、仲の良いグループで集まり弁当を広げる者とに別れる時間。アタシ達も普段なら教室で弁当を食べるのだけど、今日はそうはいかない。
チャイムが鳴って、直ぐ様、彼の方を見るとリュックを手に取り席を立つ所だった。周りに幾人かの女子が居る。
前方の席に居る沙那に目配せし、急ぎ足で彼の方へと向かった。
「八坂くん。良かったらアタシ達と食べない?」
そう声を掛けると、彼と連れ立っていた女子が吃驚したようにしていた。
いつも、一緒に食べているメンバーですら顔を見合わせて、戸惑いを見せている。中でも、沙那への好意を隠そうともしない坂本は彼を睨みつけるように見ている。クラスが、ざわざわしていくのを感じた。
まあ、そうなるか。アタシと沙那が声を掛ける男なんて今まで、無かったのだから。
けれど、彼は興味なさそうに「先約があるんだけど?」と言いのけた。
彼の周りに居る女子に目を向ける。
彼女らは手を横に振り、諦めたように自分の席に戻っていった。
「中庭の方に行こっか。あそこなら静かだし。落ち着いて食べれるよ」
彼は肩を竦める。
沙那は何も言わずに、ただ彼をじっと見て居た。
風薫る季節とはよく言ったもので、猫が居たら微睡み間違いなしの優しい陽だまりに中庭は包まれていた。
学校には中庭は二つある。ひとつは各学年が入る第一棟と視聴覚室や実験、音楽室等がある第二棟の間にある。こちらは広めに作られていて、どちらかというと広場のように憩い場の意味合いが強く、晴れた日はピクニックのように集まる生徒が多い。
第二棟と文化系倶楽部の部室が入る第三棟の間にある中庭は小さく、放課後以外は利用者は少ない。ちなみに告白スポットとして有名だ。沙那ほどではないが、アタシも何回か呼び出されたので此処はよく知っている。
その場所にアタシ達は居る。
沙那と二人、当たり障りのない会話をしながら弁当を食べる。沙那は緊張しているのか口数が少ない。
彼は時折、キョロキョロしながら菓子パンを食べて会話に参加すらしなかった。
「さて、何か用事があるのかな? 昼飯だけの誘いじゃないんだろ」
アタシ達が弁当を食べ終わるのを見計らって、彼は当然の疑問を口にする。これだけで、浮ついた馬鹿じゃない事が分かる。
「話が早くて何より。そう言えば自己紹介してなかったけど」
「知ってるよ。夏目 結衣さんと相川 沙那さんだろ。休憩時間に色んな人が口にしてたよ。要約すると、カースト上位だから気をつけろってね」
被せるように彼が言う。
無表情で淡々と。そこに感情の色は見えない。
沙那と顔を見合わせて苦笑を交わす。
「周りが勝手に言ってるだけで、私と結衣はカーストとか関係ないと思ってるから」
沙那が本当に嫌そうに言う。中学の時もそれで、散々だったからね、本当に。
「そうですか。それで、用件は何かな」
彼は素っ気なく、本当にカーストどころか、アタシと沙那に興味ないのが分かる。
「えっ…と、変な事聞くんだけど八坂くんは、旧姓があったりしないかな?」
沙那が口調こそ遠慮したものだったが、此処が先途というように、目は彼の一挙一投足を見逃さないように捉えている。
少しの間があって、彼は首を僅かに傾げた。
「その質問に答える前に、三つ聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
「いいよ」
「先ず、ひとつめ。何の為にそれを聞いたのかな?」
「行方不明の幼馴染に似ているから」
沙那は何ら迷う事無く言った。
確信に近い何かを持って、質問に答えているように思えた。
「……なるほど。次に二つ目。仮に僕に旧姓があったとしたら、相川さんはどうしたいのかな?」
「それは……そうだね…聞きたい事、話したい事がいっぱいあるかな」
「三つ目。これが最後」
彼が抑揚の無い声で続ける。
「相川さんに、僕に、それを聞く資格はあるのかな?」
彼は何を言ってる? 資格? どういう事?
頭が混乱してくるが、沙那も同じだったようで。
「ごめん。意味が分からないんだけど…」
「言い方を変えるよ。幼馴染が行方不明になった理由に思い当たる節はないのかな? 僕としては話しかけられた今の状況に呆れるばかりなんだけど」
「それって……え?……ユウなの? ホントに……」
沙那が息を飲んだ。
アタシも動揺を隠せない。楔を打たれたように目が、彼から離れる事を許さない。
それと同時にアタシの中で、さっきから鳴り止まない警鐘が一段跳ね上がる。
こんなに暖かい陽だまりなのに、身体が震えて止まらない。
怖い。
純粋にそう思った。最早、彼が記憶にあるアタシ達の前から忽然と姿を消した裕也である事は疑っていない。理屈ではない。心が、記憶がそうである、と言っている。アタシがそう感じるんなら沙那はとっくに分かってたんだろう。でも、でも、待って。
余りに変わり過ぎじゃないか。
姿こそ、記憶にある彼とは違うけれど二年という時間と成長したのを加味すれば、腑に落ちるものはある。声質だって変わったけど、すっと懐かしさを運んでくるものはある。
だけど、人としての有り様が、彼ではないと心が訴えかけてくる。
今にも泣き出しそうな顔の沙那が、彼に触れようと手を伸ばす。
さりとて、彼は立ち上がる事によって拒絶を示した。陽射しのプリズムが彼を刺し、眩しさに表情を顰めるが、それだけではないのは次の言葉からも明らかだった。
「やっぱり、よく分からないな。行方不明の幼馴染に何でそこまで執着するのか。さっさと忘れて、彼氏とアオハルを楽しめばいい。それが正しい在り方だろう」
「な、なにを言ってるの……かれ、彼って」
「そちらの夏目さんの弟と付き合ってるんだろ? クラスメイトが言ってたよ」
「やめて!」
アタシがそれ以上はいけないと口を挟む。
もう、沙那は顔面蒼白になっている。
「やめる理由がないね。何にこだわってるのか知らないけど、相川さんが誰と付き合おうが自由だ。 行方不明の幼馴染を理由にするなよ」
「なんで……そんな事を言うの。ユウなら、ユウなら、そんな事は言わないっ!」
沙那が叫びに近い声を上げると、突然に胸を抑えた。呼吸が激しくなり、座っていられなくなったのか膝から地面へと崩れる。
「沙那っ!」
沙那の背中をさする。何度も何度も。
「過呼吸か」
彼の抑揚の無い声を聞いて、アタシは怒りが込み上げてくるのを抑えられない。
「アンタが! アンタが居なくなって沙那がどれだけ苦しんだか! 過呼吸も出るようになって! それなのにっ!」
ふっと、手に柔らかな感触が触れる。沙那の肩に置いたアタシの手が握られていた。沙那は苦しそうな顔をしながらも首を横に何度も振った。だから、それ以上、言うのを止めてスマホを手に取る。
相手は五コールで出た。
「海衣! 今すぐ、第二、三棟の間にある中庭に来てっ! 沙那が発作をおこしたの!」
直ぐに行く、との返事を聞いてアタシはスマホを切った。視線を上げると彼は歩き始めていた。
「どこに行く気?」
「彼氏が来るなら、僕の出番はないだろ」
「っ!……二度と沙那に近づかないで」
「それは僕からもお願いするよ。じゃ、お大事に」
彼はこちらを一瞥だにせず、立ち去っていく。
沙那は荒い息を吐きながら、地面に涙を落としていた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
めっちゃ修羅場なんですけど?!
余りに良い天気だから、部室で食べるのは勿体ないと中庭に来たものの、何やら揉めてるので思わず隠れてしまった。
でも、あの女の子達って一年生で可愛いって評判の二人よね? チラ見しただけど、間違いないよね。男の子は初めて見たけど、イケメンっぽかった。眼鏡がクソダサいのがマイナス点だけど。でも、なんだろ? どっかで見たような………よし! もっかい見ようっ。
ボクはそっと壁伝いに顔を出そうと┈┈┈┈┈衝撃がきた。比喩ではない。固い物にぶつかったような衝撃だ。ボクは短い悲鳴を上げて、その場に尻もちをついた。
「痛ったー」
ふっと影がかかる。見上げると、やたらに背が高い男の子がこちらを見ていた。
「覗きとは感心しませんね。それとパンツ見えてますよ」
「きゃああああ!!」
慌てて、捲れ上がったスカートを治す。顔が羞恥に赤くなっていくのを感じた。
「大丈夫ですか?」
目の前の彼が手を出してくる。ボクはその時、初めて彼をちゃんと見た。
誘われるように自然に彼の手を握り、立ち上がる。さっきの羞恥は何処へやら、口角が上がるのを止められない。
なんと言う偶然か、はたまた神の悪戯か。
だって、目の前の彼をボクは知っている。あの日から、ずっと会いたくて会いたくて震えた、彼だ。
「ユーヤ」
ボクは彼の名前を呟く。彼は怪訝な顔をした。
「キミは………いや、この匂いは」
そうだ。この香水を嗅げ。流行った歌じゃないけど、思い出せ。あの時とは髪の色も化粧も違うけど、香水だけは同じだ。だって、他ならぬキミがくれた香水。ボクを彩ってくれる舞踏会へのドレス。
「香水をつけない女性に未来はない」
呟くように彼が言う。
「By・ココ・シャネル」
それに、ボクが言葉を足す。
覚えてくれたんだ、嬉しいな。二ヒヒと笑う。でも、彼は凄く嫌そうな顔をして「……彩花か」と、ボクの名前を呪詛であるかのように呟いた。
そりゃそうだよね。
かってのボクは……ユーヤを選ばなかったんだから。
♢♢♢♢♢
意識が浮上する。
ゴシックドレスの少女がニタリ、と三日月を視せるものだから、暗鬱な気分になった。
「お目覚めかしら。余程、お気に召さなかったとみえるわね。相川 沙那と彩花との再会は。辛気臭い顔から苦虫を潰した顔になってるわよ。どちらも酷い顔には変わりないけども」
最悪だ。いや、違うな。何も変わっていない。変わらないんだ。彼女らとまた再会した所で現状は変わらないし、何も変えれない。少し風が凪いだぐらいでは、汚泥の船は進みはしないよ。
「五感の中で嗅覚は特に長く、それこそ何十年と記憶に残るそうよ。良かったわね。何もかも捨ててしまった貴方にも残ったモノがあって。それが忌々しい記憶だろうと、こうして鉄面皮が歪むのが見れたのだもの、僥倖よ」
忌々しい記憶か。そういう意味では、彩花に感謝すべきなのかもしれない。だって彼女は期待する事の無駄を、信じ合う事の幻想さを教えてくれたのだから。
「何一つとて進歩しない言葉を繰り返して、面白いかしら? 結局、堂々巡りで自己完結に帰結する。そんなものに固執したところで何も変わりはしないというのに」
その言いぶりだと、俺が変化を望んでるみたいに聞こえるのは気の所為だろうか?
いや、変化は望んだ。けれど、どうにもならなかった。挙句、俺が壊れただけだ。
「それが自己陶酔のナルキッソスの気持ち悪い所よね。彼らがやることといえば、己を擁護し、他者に因果を押し付けて逃避という理の枠外に身を隠しながら、さも雄弁に語るだけよ。ところで、相川沙那の事はどう思った?
可哀想に過呼吸まで起こしてたけど、愚鈍な貴方は何も感じなかったのかしら ? ああ、答えなくてもいいわよ。然る可く言葉を、逃げを張るだけの言葉に、何ら価値はないのだから」
俺の言葉は誰にも届かない。響かない。
それは誰よりも、俺が知っている。
虚無と偶像。諦観と無価値な存在が何を為せるというのか。だから、俺は┈┈
「愚論する気は皆目ないけれど、価値というのは爾来、視点を推移していけば性質が真逆に変容するもの。それは歴史が証明している。愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶというわ。ここで、喩え話をしましょう。
車椅子に乗った人が店から出ようとしているけれど、扉は開き戸で開けられない。
ここで、それを見た彼、彼女らは代わりに開けてあげるの。それは正しく善意から出た行為。
車椅子に乗った人は笑顔でこう言ったの。
この偽善者が。
彼、彼女らは高い確率で気分を害する。その瞬間、善意は偽善にすり替わる。
貴方が抱えているものなんて、一夜明ければひっくり返る、その程度しかないものよ。詭弁だと言うかしら? どうせ、言葉が届かないなら、好き勝手に喚けばいい。どうせ誰も聞いていない。そうでしょう? 周囲の雑音に傾聴する暇があるなら、眠りなさい。フランスの諺に夜は助言を運ぶってあるわ。幸いにして此処は音のない部屋で、光射さぬ深淵。好きなだけ、苦悩しなさいな。それが、貴方の贖いよ、
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フォロー及び♡、★、ありがとうございます。この場を借りて御礼を申し上げます。
長いし、重い展開が続きますが、よしなに。
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