第13話 病床で夢を見る①

 また、昔の記憶を夢で見ていた。機械のモーター音が響く。機械油の臭い。

 これは町工場でアラタが仕事をしていた時の記憶だ。

「今月ももうすぐ終わりだ。納期の近い物は優先して作業してくれ」

 アラタは上司にそう指示された。自分にもたらされた仕事量はかなり多く、残りの日数を考えれば、残業せざるを得なかった。

 くたくたになって、帰るとアパートには電気が点いていた。

「ただいま」

「おかえりー」

 待っているのは琴子だ。彼女には合い鍵を渡していたので、何時でも出入り自由である。

 夜に琴子が訪れた時は彼女は大抵アラタの部屋に泊まっていく。

 アラタはすぐシャワーを浴びた。身体に付いた工場の油などの臭いは、働いていない者にとっては臭いからだ。

 琴子は料理が苦手だが、家庭科の授業で習った程度の事は出来るので、ご飯を炊いて味噌汁は作ってくれていた。アラタも仕事に疲れて料理をするのがしんどかったので、これだけでも準備してくれているのは有り難かった。

 魚を焼いて、サラダを作って一人で食べる。アラタの横で琴子はゲームをしている。琴子は大学の講義が終わった後、友達と出掛けて、食事をしてきたという。バイトもしていて、自由になる時間と小遣いは大学生の琴子の方があるのではなかろうか。

 琴子はアラタのアパートの部屋でテレビゲームをする事が多くなっていた。これはアラタが平日は仕事で時間が取れないせいである。琴子はアクション系のゲームよりはRPGを好んでやっていた。コツコツと経験値を貯めてクリアするのが好きらしい。それで、琴子はアラタが買って途中で飽きてクリアしていないRPGもクリアしていた。

 琴子を一人にしている時間が多いことの表れであり、アラタは申し訳なく思っていた。日曜日しか外で遊べない二人なので休日は大事にしていた。

「アラタ、次の日曜日どこ行く?」

「水族館は?」

「おー、デートの定番だね」

「いや?」

「いいよ。その後映画でも行く?」

「そうしよう」

 琴子は大学でも人気者で誘いが多かった。

 それは分かっていたアラタだったので、デートは手を抜かず積極的に二人で出掛けていたのだ。ホントに何気ないアラタと琴子の日常の風景だ。


 また、場面は変わる。

 あの日の記憶だ。

 いつもは暖色系のメイクである琴子が、一度も見た事のないメイクのカラーになっていた。寒色系のクールなメイクに変わっていたのだ。

「他に好きな人が出来た」

 琴子の目はアラタを見ていなかった。

 ―何故だ? 俺が幸せにするのに。そんな簡単に終わるのかよ。アラタの前にやって来たアツシという男は頼りがいのある雰囲気だった。日に焼けて、トラックに乗って、次期社長。―妬み、嫉み、怒り、殺意。そんな負の感情がアラタの心を埋める。だが、そのどの感情も悟られたくなかった。殺意なんかあっても実行出来るわけなかった。仮に殴りあっても自分は返り討ちにあうだろう。

 ただ自分は泣いて諦めるしかないのだ。惨めな自分を知られたくなかった。

 だから、淡々と訓練を積んで、普通な自分を装う。

 勇者になる為じゃない。この世界で生きていくために。


 ◆◆◆


 アラタは頭が痛くて目が覚めた。窓の外は暗くなっていた。

 体調は良くなっておらず、むしろ寝る前より酷くなっていた。頭が痛くて声も出ない。薬はもう無い。回復薬は飲んでしまった。よだれや、鼻水がだらだらと流れる。涙も流れる。

 何か無いかとステータス画面を見ると、光属性に【治癒】の魔法が追加されていた。だが、治癒魔法は自分には使えない。人は治せても自分は治せない。今欲しい魔法はそれじゃない。自分を治せる魔法かスキルが欲しいのだ。

 駄目だ。もう身体を起こす事も出来ない。アラタはもう自分はこのまま死ぬんだと覚悟した。何もないまま死んでいく。

 ベッドの下に手を伸ばすと何かを手に掴んだ。それは回復薬を作る時に余った薬草だった。何も加工してない野山に生えていたそのままの薬草だ。薬草と言うからには、何らかの効用くらいはあるだろうと。それを口に含み、クチャクチャと噛む。

 目は虚ろになっていく。最後に見た光景はクロエとスズの姿。占い師も言っていたが、自分は何て事のない男なんだと。

 最後にあんな美少女達に出会えたのは、良かったな。―などと思いながら気を失った。


 ◆◆◆


 最初、その異変に気付いたのはスズだった。別に約束している訳ではないが、朝の六時に食堂にやってくる人が今朝はいない。

 使用人のカイルが食堂の掃除にやって来たとき、スズはアラタの様子を見てきて欲しいと頼んだ。女性は男子寮に入る事が出来ないからだ。

 状況を良く分かってなかったカイルであったが、昨日の剣の訓練でアラタが怪我をした話を聞くと、「しかし治癒師の治療を受けたんですよね?」と首を傾げた。

「お願いします」

 グッと真剣な眼差しで訴えるスズだ。

 カイルはスズの迫力に圧倒され、少し慌てて男子寮へ向かう。

 廊下は静まりかえっていて、まだ皆寝ているようだった。アラタの部屋のドアをノックしたカイルだが、返事はなかった。

 一度深呼吸して、ドアノブを回すと鍵はかかっていない。

「アラタさん、入りますよ?」とドアを開けてカイルは覗いた。

 床に回復薬の調合セットが転がっているのが見える。「ほお」とカイルは感心した。アラタは勤勉だと思ったのだ。

 ベッドを見るとアラタはいた。だが、寝ているというよりはベッドにぐったりと横たわり、口の周りは緑色の液体がベットリ貼り付いていて普通ではない様子だった。

「アラタさん!」

 駆け寄ったカイルはアラタを少し揺すったが目を覚まさない。すぐに部屋から廊下に出る。この宿舎に治癒師はいないので、カイルは、別室で眠っている騎士を起こして治療院まで運んでもらうことにした。

 宿舎の一階、ロビーで気を揉んで待っているスズである。西館が騒がしいなと思っていると、そこから騎士がアラタを担いで階段を下りてきた。

「カイルさん。アラタはどうしたんです?」

 スズは青ざめた顔で尋ねる。

「部屋でぐったりしてたんですよ。今から大聖堂に向かいますが、スズさんはどうしますか?」

「私も行きます」

 即答すると、スズも後に続いた。


 ◆◆◆


 クロエは宿舎中庭で、朝稽古をしていた。昨日アラタに、また自分と剣を交えたいと言われ嬉しくなって、剣を振っていたのだ。剣の型を一通り終え、汗をかいたクロエは、タオルで顔を拭いていた。

 学生時代は剣の強さが全てだと思い込んでいたので、学園一の強さを誇っていたクロエは、男子からの交際の申し込みを全て断っていた。

 諦められない者は、剣で勝負を挑んで、勝ったら付き合って欲しいと交際を申し込む者もいた。だが、剣を交えると二度と関わってくる事はなかった。

 そこへ来て、アラタの昨日の発言である。また、初めて会った日、図書館で俺の彼女になってくれ的な発言もあったので、余計に意識してしまっていた。

「いやいや、あれはアラタが琴子に振られて自暴自棄になっていたのであって……ゴニョゴニョ……」

 独り言が止まらないクロエだ。

 そこへ部下の騎士が、走って来た。

「団長! 大変です! 勇者アラタ様が部屋で意識不明の状態で発見されました。今しがた大聖堂に運び込まれたようです」

 話を聞いた途端にクロエは血相を変えて、大聖堂へ走っていった。それは部下の騎士では全く追い付けない速さだったという。それでも、こんな時にスキル【鬼神】が発動してくれれば、二割増しの能力を発揮できたのに、と思わずにいられないクロエであった。

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