第8話 スキル【転移】

 騎士団宿舎の敷地内には幹部専用にそれぞれ立派な一軒家が与えられていた。4LDKで庭がついている。クロエは騎士団長なので、そこに住んでいた。個別の浴槽もあり、水道からは魔石によってお湯が出るようになっている。

 今日一日の疲れを癒やすように、クロエはゆったりと湯船に浸かっていた。

 クロエは自ら勇者の教育係を志願した。本来は騎士団長がやる仕事ではない。

 だが、クロエは騎士団長を辞任しても構わないとまで言ってその役を手に入れたのだ。その為、現在は騎士団を取りまとめる仕事を全て副団長が行っている。そうまでして勇者のサポートをしたかったのである。

 十二年前クロエが八歳の時に見た勇者達の姿に感動して、それ以来今日という日を夢見て来たのだ。

 まだ勇者と出会って二日しか経っていないが、アラタの事が印象深い。そして何故か彼の事が気になっていた。

「全然タイプじゃないのになぁ」

 顔半分を湯船に沈めてブクブクと息を吐く。剛剣のクロエとして男にも恐れられる彼女は、ウブなところがあるのだ。


 目の前に埃がパラパラと落ちる。

「ん?」とクロエは上を見上げる。

 天井を突き破って何かが―


 ◆◆◆


 夕暮れ時。

 学校の裏山に展望台がある。

 ここは隠れスポットとして地元の穴場であまり人も来ない。

「うわぁ、こんなトコあったんだ」

 自分達の住んでいる街が一望出来た。制服姿の琴子とアラタ。これは二人が高校生の頃の記憶なんだろう。

 展望台まで二十分位歩く必要があるが、お金のない高校生としては、それなりにアイデアを絞ったプランだ。

「やるじゃない。女の子を喜ばせるなんて」

 琴子はアラタの胸にボスっと拳を当てた。

「登らないといけないから、どうかな? って思ったんだけど」

「全然大丈夫。私歩くの好きだし」

 屈託なく笑う琴子。手すりに身体を預けて景色を楽しんでいる。

 アラタは、琴子の横顔を見て、やっぱり可愛いなぁと思った。

 暫く二人で会話を楽しんでいる間に、日は沈みあたりは暗くなった。夜景が良い雰囲気だ。

「それで―」

 琴子がいたずらっ子の顔をしてアラタを見る。

「君は次どーするのかな?」

 ちょっと困らせようとしているのだ。

 アラタはたまらなくなって―

 琴子の後ろに回って、琴子の肩を抱き自分の方に向かせる。

 笑っていた琴子が、アラタを潤んだ瞳で見上げる。

「どうすると思う?」

 琴子はそれに答えない。

 アラタは少し顔を琴子に近づける。

 琴子は瞳を閉じる。


 アラタと琴子のファーストキスの思い出である。



 ◆◆◆


 なぜ、こんな思い出を見たのか。きっとアツシと琴子がキスしていたのを目撃したからなんだろう。琴子との楽しい思い出が全て嫌な思い出に塗り潰されていく気がした。

 転移したアラタは落下して、天井を突き破って、温かいお湯の中に落ちた。完全にパニック状態になったアラタはバシャバシャと湯を掻き、藁をも掴む思いで何かを掴んだ。

 マシュマロの様に柔らかい感触が掌にあった。

 その柔らかさに何となく落ち着いて。ムニムニと揉んでから、顔を上げた。

 クロエの引きつった顔と自分の手に余る豊かな乳房があった。

 アラタの顔面に強力なパンチが見舞われた。


 ◆◆◆


「……! ……! ……アラタ!」

 自分を呼ぶ声がする。クロエの声だ。

 頬をペチペチと軽く叩いている。

 先程の状況を考えれば、これは起きない方が良いのではないだろうか。

 そう思ったアラタは、気絶した振りを続ける。

「アラタ!」ベシ!

「アラタ!」ベシ!!

「アラタ!」ベシ!!!

 だんだんと頬を叩く強さが上がってきた。

 これ以上叩かれ続けたら、もう一度ほんとうに気絶しそうなので「うっ!……」と、たった今、気が付いた感じでうっすらと目を開けた。

 目の前には心配そうな顔をしたクロエの顔があった。

 どうやら脱衣場のようだ。

 クロエは濡れ髪で、バスタオル一枚の姿だ。こぼれそうな胸の谷間に滴が落ちる。上から下までじっくり観察してしまうのは男としての性か。

「ちょっと、どこ見てるの?」

「あんまり魅力的だから」と素直に感想を言った。

「バカ」

 クロエはスッと立ち上がる。

「私の訓練用の胴着があるから、その濡れた服脱いでそれ着て。後で話があるから」

 そう言ってバスタオル一枚巻いた状態で、脱衣場を後にする。

 後ろから見ると鍛え上げられた肉体のシルエットがよく分かる。それでいて女性らしいラインも失っていない。

 魅力的な後ろ姿を見送りつつ「話か……」とアラタは呟いた。

 さて、どうしようか。

 話すか、話さざるか。


 クロエは寝室で、部屋着に着替える。冷静に見えて内心はかなり焦っていた。この家に男性を入れた事がないのだ。おまけに裸も見られた。

「出会って二日目で……そんな事あるの?」

 普通はないだろうと思うクロエであった。


 ◆◆◆


 クロエの胴着に着替えたアラタは、何をどう話すか考えをまとめていた。

 まず全属性を持っている事や、いくつかの取得したスキルについては話す必要はないだろう。

 問題は、スキル【転移】について話すかどうかだ。これがレアなスキルであった場合、アルフスナーダ国で自分が、どのような扱いになるのか想像がつかない。危険人物として処分。研究の対象。またはそのスキルを使って利用される日々が待っているかもしれない。

 また、スキルの事を黙っていた場合は、クロエの風呂場の天井から落ちた自分は、わざわざ忍び込んで、クロエの入浴シーンを拝もうとした、ただの変態覗き野郎となる。覗きがこの国の法律で、どれ程の罪になるかは別としても、この国での自分の立場はないだろう。

 では転移について話すべきか。話せば取り敢えず、訳もわからずクロエの風呂場の天井に転移したと説明出来るし、事実そうなのである。

 スキルの事を話したとして、クロエはどの様に自分を扱うか?

 だが、悩んでも結論など出るわけはなかった。出会って二日程度の女性を信用出来るか? いや、愚問だ。自分は出会って数年経つ女に裏切られたではないか。過ごした時間が関係ないなら、自分がクロエにどう思われたいか?

 覗き野郎か?

 ……それはないな。

 どうやら結論が出たようだ。信用出来る出来ないよりも、クロエを信用したい。誰かに依存したい。甘えたい。異世界に来て二日目ではあるが、やはり孤独なのは嫌だった。


 アラタは転移した経緯を話した。

 隠密については話さず、偶然に琴子とアツシのキスシーンを目撃し、その場から逃げ出したいと願ったら転移スキルが取得出来たと説明した。

 クロエはかなり驚いていた。

「転移のスキルなんて聞いた事ないわ」

 やはり、レアなスキルだったようだ。スキルではなく、転移魔法ならあるという。だが高度な技術が必要らしく、この国でも一人しか使えないそうだ。

「大魔法使いゲイリー・オズワルド。ただ一人しか使えないわ」

「……誰?」

 新キャラが出てきた。

「あなた達が召喚された日、大聖堂にいたんだけど」

 魔法使いっぽい人……いたような、いなかったような。

「覚えてないのね。まぁ、いいわ。いずれまた会う機会があるわ。さっきの事は不可抗力だと言うアラタの話も納得……納得? うん、納得したわ。それよりも……」

 クロエがジロリと、アラタを睨む。「うっ」とアラタは蛇に睨まれたカエルの様に硬直する。

「み、見た?」

 クロエはかなり赤い顔になっていた。

「見た……というか見えた……上から下まで全部」

「正直に答えないでよ。デリカシーないわね」

「正直に答えないと信用されないだろ?」

「うーん」

 複雑な心境のクロエである。


 二人で夜深い時間まで話し合った結果、スキル【転移】については、ひとまず二人だけの秘密とする事になった。これはアラタが、まだ異世界のこの国を信じていない点が大きい。クロエとしてもアラタが慎重に事を運ぼうとしているのは理解できた。

 そして、アラタの一言。「俺は今はクロエしか信じていない。というか、クロエを信じたい」と真剣な目で訴えたのだ。芝居じみたクサイ台詞だと自分でも思う。

 だが、それを言われたクロエの瞳は潤んでいた。それでほだされるのも騎士団長としてどうかというのもあるが、男性に対する免疫があまりないクロエであるから仕方のない事でもある。

 アラタとしては、秘密にすると決まったものの、クロエは騎士団長になる位だから裏では報告する程度の腹芸は持ち合わせているだろうとも考えていた。

 今後、国から何かしらの動きもあるだろうと。

 しかし、そうなったとしても構わないと思っていた。別にどうでもいい。それなりに自分は対処したし、結果そうなってしまうなら受け入れるしかないだろう。

 だが、クロエは上層部に報告する事はなかった。彼女は勇者に憧れもあり盲信していた。

 要は純粋なのである。


「はあ……」

 アラタは宿舎に戻る道すがら、ため息をついた。琴子とアツシのキスシーンは衝撃的だった。

 クロエといた時は忘れていたが、一人になった途端に、あのシーンが思い出される。今更ながらあの時、スキル【隠密】なんて試すんじゃなかったと、アラタは後悔するのだった。

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