ハウルの動く城のようなベーコンエッグを食べる

九詰文登

ハウルの動く城のようなベーコンエッグを食べる

 温まったフライパンに少量のオリーブオイルを垂らし、とろとろの油が、水っぽくさらさらとフライパンの上を滑り始めたら、準備は万端だ。

 地元のスーパーで買ったブロックベーコンを今日は贅沢に一センチくらいの厚さに切って、二枚フライパンに乗せる。するとベーコンについていた水分が油に反応してぱちぱちと弾ける。それと同時にジュウと肉の焼ける音と、起き掛けの身体には少し脂っこいベーコンの香りが私を駆け抜ける。木べらでちょいちょいとフライパンにくっつかないように動かしていれば、だんだんとその香りに身体も慣れてきて、ぐーっと今日の腹一番が鳴った。

 表面がこんがりと焼け、少し焦げ目がつくくらいに裏返し、裏面も焼いていく。するとまたジュウと先ほどよりは大きくないが、肉が焼ける音がする。じわじわとベーコンからはてらてらとした香り高い豚肉の脂がフライパンに溶けて流れ出してきていた。

 ハウルの動く城で見たベーコンエッグが美味しそうなのはその見た目もそうなのだが、この分厚いベーコンから出た脂で焼いた目玉焼きが食欲をそそらせるからだ。一センチもの分厚いベーコンから出る脂はかなりの量で、底面が埋まるくらいには脂が張っている。

 そこに不器用が故に両手で割った生卵をぽとんと、これまた二つ落とした。すると生卵の水分と白身が熱々の脂に反応してぱちぱちと弾けるが、だんだんとその音を沈めていき、白身が白身たる姿に変化していく。目玉焼きの裏面をまるで揚げ焼きのように、豚の脂がコーティングしていく。目玉焼きをこういった形で揚げ焼きにすると、上がとろとろ、下はパリッといった目玉焼きになる。もちろんぱさぱさな目玉焼きやゆで卵が好きな人もいるだろうが、半熟が売り文句になる世の中で考えると、とろとろ目玉焼きが好きな人の方がマジョリティなのだろう。

 しかし今回作っている目玉焼きはハウルの動く城で見たベーコンエッグなので、マジョリティとかマイノリティとかグローバルでダイバーシティなSDGs的なポリティカルコレクトネスをおざなりにして、マイノリティには黙っててもらおう。

 目玉焼きの裏面が焦げないように火力を調整すれば、後は目玉焼きの黄身にじんわりと火が通るのを待つだけだ。


 出来上がったベーコンエッグを皿に移して、食卓へ運ぶ。今すぐにでも齧り付きたいのを我慢し、私は熱々のフライパンを洗い始める。自粛期間でバイトが無くなり料理が出来なくなった私は鉄フライパンを購入し、その鉄フライパンを育てるのに勤しんでいた。鉄フライパンは繊細な調理器具であり、焦げ目などを放置すると、今までの育成が無駄になってしまうため、水道から熱湯を出し、それとたわしでごしごしとフライパンを洗った。それからよく水気を切って薄く油を引いてコーティングしたら、鉄フライパンの処置は完了だ。


 一息ついた私は食卓につきその黄金に輝く目玉焼きの前に、ベーコンを食べることにした。ここまでの分厚さだともうベーコンステーキであり、ナイフなどでカットしてから食べるべきなのだろうが、ここはマルクルのようにフォーク一本でぶっ刺し、そのまま口へ運び、齧り付いてやろうと思った。

 そして噛み締めたベーコンからはじゅわっと肉汁があふれ、ベーコン独特の塩味と、豚の旨味でまさに口の中が満たされる。あれだけ脂が出ていたというのにまだ枯れていなかったのかと、湧き続ける肉汁はまるで砂漠のオアシスで、私の空腹を心の底から潤していく。

 退屈な現実。でも今だけ私の目の前にはハウルと、ソフィーと、マルクルと、カルシファーがいた。ジブリがここにある。

 食というのは一番人の共感を呼ぶ瞬間だと思っている。こうして作品を書いている中で、私も食は重視する。異世界転移でも、王道ファンタジーでも、ゾンビパンデミックでも、ハードSFでも人が登場すれば、須らく人には食事が必要で、食事の瞬間は一からいや、ゼロから百まで、現実しか知らない私たちでも理解することが出来る。ジブリの共感性というのは、やはり万人を唸らせる食。それが大きな役割を担っていると思う。


 それから私はこの目玉焼きに手を出した。これも同じく皿を口元に持ってきて、掻き込むように口へ放り込む。今回は塩味の強いベーコンから出た脂で調理したため、醤油や塩などの調味料はつけない。目玉焼きは定期的に掛ける調味料論争が行われるがソースやケチャップはであると自覚してほしい。

 ベーコンの芳醇な匂いが香る目玉焼きの白身は、調味料なしでも十分な旨味を纏っている。それからがじがじと目玉焼きを意地汚く食い進めれば、ぷつっという破裂の感覚と共に口の中へじわっと黄身の甘みが広がっていく。それを零さないようにずずずっと啜りながら、一つの目玉焼きをほぼ一息で完食してしまった。

 これで命一つ。もちろん使っている卵は無精卵なので、温めてもひよこが生まれるわけではないと思うが、今話したいのはそういうことではない。

 ふとした時に卵とはなんて罪深い食べ物なのだろうと思う。今さっきまで食べていたベーコンも豚の命を一つ奪ってはいるのだが、一つに対して何人の人が満腹になれるだろうか。それに対し鶏卵は一つでは小腹を満たせる程度だろう。それなのに既に一つ命を使ってしまっているのだ。

 この皿に乗っているのは豚何十分の一の命と鶏二つの命だ。寧ろ鶏卵はましかもしれない。私はたらこが好きだ。たらこパスタが好きだし、明太子のおにぎりが好きだし、酒のつまみに焼きたらこを食べるのも好きだ。一腹ひとはらで何十、何百、何千、何万かもしれないたらの子供の命が歯によってすり潰されていく。たらこ好きの私は、因果応報を信じるなら、恐らくたらに殺される運命なのだろう。ああそうだ。数の子も大好きだ。

 言ってしまえばただハウルの動く城で見たベーコンエッグを食べたいと思ったというだけなので、食べものに感謝をとか、肉を食うなとかそんなグローバルでダイバーシティなSDGs的なポリティカルコレクトネスなことを言うつもりはない。でもこの何千何万という命が自分を象っていると考えると、宇宙的神秘を感じざるを得ない。少なくとも私は。


 それから私は敢えて黄身を潰して皿に溢れさせた後、ナイフでカットしたベーコンをその黄身にたっぷりとつけて口へ運んだ。黄身の甘みとベーコンの塩味のマリアージュ。ベーコンのじゅくじゅくとした食感の間をすり抜けてくるトロッとした黄身の食感は清々しく百点満点の音色を奏でている。もし今が朝でなければ、赤ワインでも開けて盛大にやりたいが、生憎これは朝飯だった。

 しかし人生の答えはここにあった。世の中で汗水垂らして幸せを模索しているサラリーマン全員に教えてやりたい。

 人生の幸せとは、分厚いベーコンと半熟の目玉焼きであると。

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