3 続・鉄砲塚さんと私

「ふわああああ……」

「ちょっと史緒、さすがにみっともないよ?」


 葵に咎められ、慌てて口を押さえる。私ったらはしたない……け、けど、いっつもガサツな葵にだけは言われたくないわよ!

 そう言い返す事も出来ずに、う~、と目をゴシゴシ擦る。ね、眠い……。眠くなくても葵に言い返す事なんか出来ないんだけどさ……。

 二年C組。ここは私の教室だ。窓際後ろから三番目の席に着く私の前には、自分の席でもない癖に、偉そうに身体を横向きにして私の机に頬杖をついて座っている葵。

 誰も座っていない右隣の席は果恵の席。余談だけど、クラスが違うのは文芸部の二年生三人の中では葵だけなのだ。

 今は昼休み。本来なら文芸部に顔を出したいところだけど、残念ながら寝不足の私にはそんな余裕は無くて、果恵に頼んで行ってもらっている。誰かが原稿持って来てたら困るし。


「ねむい………」

「そんなん見りゃ分かるわ!果恵に聞いたら毎時間居眠りして先生に注意されてたんだって?ったく、文芸部の恥だっつの」

「う~……」


 果恵めぇ……いつも私を苛めたがってる葵に餌を与えるような真似をするとは許さにゃい……。これでは部長としての私の威厳が……むにゃむにゃ……。

 ずるずると机に身体を伏せ、組んだ腕を枕に目を閉じる。

 が、眠りに落ちる寸前の私の身体は、襟首を掴んだ葵によって強引に引き起こされた。


「……にゃにすんの………ねかせて……」

「駄目。あのね、あたしがなんであんたのクラスにわざわざ足を運んだか分かってんの?」

「しらにゃい……」

「ほほう……」


 襟首を掴んでない方の手でゲンコツを作り、ニッコリと微笑む葵。


「ゴツン、といったら目も覚めるかな?」

「!!さ、覚めた覚めた覚めたから!ぼ、暴力反対!!」


 慌てて睡魔を追い払い、両手で葵を制してブンブンと首を横に振る。ちょ、ちょっと!今にも寝そうな遭難者だって、平手ならともかく、ゲンコツでは殴られないわよ!?

 葵は、つまんないの、と残念そうにゲンコツをしまう。葵は男ばっかりの四兄妹の一番下で、ちっちゃい時からハードに育てられたらしいから、本当に殴りそうなのよね……。


「で?あたしがここにいる用件は思い出せたかな?」

「うん……昨日の白峯先輩との話を聞く為でしょ」

「そういう事。果恵もまだ詳しく聞いてないっていうしさ、副部長のあたしが出張ってきたのよ」


 副部長なら果恵の代わりに部室の番に行ってくれればいいのに……という不満は怖いので口にはせず、私は昨日の放課後の会談の内容をかいつまんで葵に説明した。

 とりあえず、白峯先輩的には発表するべきだって意見、って事だけね。『鉄砲塚さんが純情か否か』という事についてもここで議論したいとこだけど、どうせ二人とも『否』だから省略。

 私の話を一通り聴き終えた葵は、納得いかない顔で「ふーん」と腕組み。


「で、部長の史緒はそれでいいんだ?あっさり白峯さんの意向に従うの?あんだけ、鉄砲塚の原稿は恥ずかしいから、ってあたし達にすら読ませなかったくせに?」

「……それはそうなんだけど……」

「季刊誌に載せたら学校中の人間が読むし、先生方にも怒られるってんでしょ。それでもいいの?」

「うん……」


 昨夜、あの後なんとか持てる気力の全てを振り絞ってページを捲った事を思い出す。

 相変わらずの謎の気恥ずかしさや、や、やらしいシーンへの恥ずかしさは最後まで消えることは無かったんだけど……。


 はっきり言ってしまうと、鉄砲塚さんの作品はどれも傑作と言っていいもの……ううん、傑作、だった。


 その作品全てに、きちんとテーマ性が含まれていて、それぞれにちゃんとSFなりファンタジーである必然性があった。そして綿密に張られた蜘蛛の糸のような伏線と、それを綺麗に纏め上げる技巧。鮮やかな起承転結。

 どの作品を読んでも、彼女の高い文章力も相まって、そのストーリーの中にグイグイと引き込まれてしまう。

 ビックリしたのは、や、やらしいシーンにも、取ってつけたような感じは無く、ちゃんと意味が持たせられてた事。

 文章を書く人間の端くれとしては嫉妬の気持ちもある―――多分私には一生こんな作品は書けないだろうから。だけど、読み手としての私にとって、彼女の作品を読む間は至福の時でもあった。

 だから私は気恥しさを感じつつもその全てを何度も何度も読み返し、そして堪能し、その結果、徹夜してしまって寝不足な訳で……しかもまだ葵や果恵のみならず、白峯先輩の作品にすら目を通せてない有様。

 ただ、あえて苦言を呈するならば、彼女の作品は完全無欠という訳ではなくて。

 白峯先輩が言ってたように、難解な比喩が散りばめられてるというのもあるけど、主人公とヒロインの性格がどの作品も似通っているのだ―――何で世界観はあんなに書き分けられるのに……?まあ誰しも得手不得手はあるけどね。

 ともあれ、読み終えた私は一つの結論に至った。


「私一人の我儘で、鉄砲塚さんの作品を皆に読ませられないのは勿体ないと思う。ううん、彼女の作品は全部、万人に、全ての人に読んで欲しいくらい」


 葵の目を見てそうきっぱり断言する。

 ―――これは白峯先輩からの借り物の意見じゃない。鉄砲塚さんの作品を読んだ、私の意思。

 私の発言を聞いた葵は、驚いたように一瞬目を丸くして、すぐにケラケラと笑い出した。


「?私なんか変な事言ったかな?」

「はは……い、いや、あんたがそこまでちゃんと意見をあたしに言うって初めてだったからさ、お、可笑しくて」

「そ、そこ笑うとこじゃないでしょ!?」

「そ、そうなんだけど……ひ、ひひひ、だ、駄目だ……笑いが……」


 憮然とする私の前でひとしきりお腹を抱えて笑った後、葵は私の頭を掌で優しく、ぽん、と叩いた。


「……本の虫のあんたが、そこまで太鼓判押すってんなら、あたしに異論はないよ。香坂部長」


 あれ?もしかしたら葵に用事を押し付けられたりいじられる以外で部長って呼ばれたの、これが初めて?


「あー、可笑しかった……果恵にも後で話さなきゃ……きっと喜ぶよ?『うちの子がこんなに立派になって』ってさ」

「わ、私が誰の子だっていうのよ!?」

「今まで内緒にしてたけど、あんたはあたしと果恵との間に生まれた、愛の結晶だったんだよ」

「……もし仮にそうだとしても、一生内緒にしてて欲しいわ……」

「何二人で楽しそうにしてるの?妬けちゃうじゃない、葵。史緒ちゃんを独占しちゃって」


 軽口を叩き合う私達の元へ、噂の果恵が戻ってきた。

 あれ?部室の番は?と教卓の上に掛けられた時計を見ると……あ、もうお昼休みも終わりなんだ。眠くて気が付かなかった……。

 果恵は自分の席に腰を下ろすと、私の方へと身体を向け、可愛く敬礼。


「異常ありませんでしたあ、と言いたいとこなんだけどね。沙弥ちゃんが来たわよ」

「鉄砲塚さんが部室に?で、なんて?」


 ま、まさか早くも次回作を用意してきたんじゃ……昨日の今日でさすがにそれは早すぎるよね……!


「何でも、提出した五本以外に一番最初に書いた作品が一本あったんだって。で、それを史緒ちゃんに読んで欲しい、って」


 そ、そうよね。いくら何でも一日じゃ……ってまだ一本あったの!?

 この短期間で一体何本作品書くっていうのよ……くぅ……書き手として抑えてきた嫉妬心がまたフツフツと……でも読みたい……なんという二律背反……!!

 そんな私の葛藤を知ってか知らずか、果恵は言葉を続ける。


「中学生の時に書いたものだから、あまり見せたくなかったみたい。代わりに受け取ろうと思ったんだけど、どうしても史緒ちゃんじゃなきゃって。もう、愛されてるわね」

「あ、愛されてって……でも、鉄砲塚さんって昔から文章書いてたんだ。そうよね、ちょっと安心した。いきなりあの才能はないもんね」

「どんな安心だよ。それでも六本しか書いてないんでしょ?ま、良かったじゃん?中学生の時のならさすがにエロい表現も無いかもしれないし」


 あ、そうか。そういう考え方もあるんだ。

 ……でもその意味での安心は出来ないわ……あの鉄砲塚さんの事だもの……中学生の頃からどんな卑猥な想像を繰り広げていたことか……。

 それに、中学の時の作品じゃ、ちょっと高校の季刊誌に載せるのは抵抗あるし……。うーん、どうしよう。


「とりあえず、放課後なら大丈夫かも、って伝えておいたわ」

「え!?わ、私今日は徹夜明けだから、二人にお願いして早く帰って寝ようかと……」

「残念、あたしも果恵も今日は他に用事があるんだよ。ま、頑張れよ、部長」


 今の『部長』はさっきのとは明らかに違う言い方だったわ……。

 私が何か言い返そうとしたとき、予鈴のチャイムが教室に響き、葵は自分のクラスへと戻るため立ち上がる。く、くそー、命拾いしたわね、葵……。

 ―――もっとも、言い合いした所で勝ち目などないのだから、本当に命拾いしたのは私の方なんだけど。



 眠さになんとか耐え抜いて……というのは嘘で、午後の授業でも何度か居眠りして怒られつつ迎えた放課後。

 私は一人、日も傾き始めた殺風景な文芸部の部室のソファに座り、鉄砲塚さんを待っていた。

 といっても、何時彼女がやって来るのかも分からないし、手持ち無沙汰で寝ちゃったら大変だから、とりあえず鉄砲塚さんの原稿を読み直しているところだ。

 彼女の作品は部室に保管するために全部持ってきたんだけど、今読んでるのは昨日の放課後、鉄砲塚さんが持ってきた学園物。

 五作品の中で、私はこれが一番お気に入りだ。一番最近の作品だからか、最も文章がこなれてるし、何より学園物という事で親近感がある。

 タイトルは『甘美に染まる放課後』―――内容は、ちょっとしたピカレスク・ロマン。 

 主人公は小悪魔的な女子高生、柊久遠ひいらぎくおん。名門お嬢様学校に通う彼女が、次々と生徒達を毒牙にかけ、性の虜へと堕として行く。

 それに気付き、阻止しようとする上級生が三島綾乃……彼女はこの学校の理事長の孫で、生徒会長だ。

 しかし、綾乃は久遠に返り討ちに合い、その身体をいいように弄ばれてしまう。実は久遠には、学園に通っていた姉がかつて理事長達によって凌辱され、身を投げてしまった、という昏い過去があって。

 復讐を誓った久遠が狙っていたのは、他ならぬ陵辱者の娘達だったのだ。

 その真実を知り、久遠とともに祖父を断罪しようとする綾乃、どんな責めにも屈しない彼女の気高さに、いつしか惹かれ始めていく久遠。

 やがて久遠は、綾乃の祖父達への復讐を成し遂げ、学園を去っていく。自分の中の彼女への想いに気付き、綾乃は一人、何処へともなく消えた久遠を追いかけるのだった。

 ―――――というのが大体のあらすじ。

 読みながら、はあ、と溜息をつく……こういうのって憧れる……なんていうのかな、敵対する立場で、反目し合う者同士、やがて恋に落ちて、っていうのは王道だけど心にきゅんとくる。

 別れ際、今まで感情を抑えていた久遠が、遂に綾乃へ囁く愛の言葉がまた……う~、思い出しただけでもう……。

 それにしても、やっぱり主人公とヒロインに既視感があるのよね……まあどの作品でも似たようなタイプがメインだから仕方ないのかも知れないけど。

 大体鉄砲塚さんの書く主人公は、ちょっと捻くれたアウトロータイプで、魔導師だったり宇宙海賊だったり、時にはニヒルな女探偵だったりする。

 一方、ヒロインはか弱そうで、ちょっと守ってあげたくなるタイプ。それでも優しくて、芯の強い部分もあって。彼女たちがその……やらしい事されるシーンは未だに慣れないんだけど。

 変な比喩でぼかされてたりするけど、これって外見も皆同じのような。

 そんな事を考えていると、ノックも無しに急にドアが開く。続いてこれを書いた人間とは思えない明るい声。


「ブチョー、おっそくなりました~」

「!!ノックくらいして入って来なさいよね、鉄砲塚さん!!」


 慌てて彼女の作品を閉じ、他の作品同様テーブルの上に置く。待ってる間ずっと読んでたなんて知られたら、な、なんか恥ずかしいから。

 悪びれた様子もなく、ゴメンナサーイ、と両手を合せ、テーブルを挟んだ私の正面のソファに座る鉄砲塚さん。


「つか、ブチョーにだって責任あるんですよ?リョーコの作品、表紙しか見ずにボツにしたっしょ?」

「リョーコ?」

「ヤだなあ、リョーコですよ。エンミョージリョーコ」

「エン……ああ、円妙寺さんね」


 なんでこの子は所々片言っぽく喋るのかな……解りにくい……。というか、それ以前に円妙寺さんと鉄砲塚さんってイメージがかけ離れ過ぎててなかなか繋がらなかったわ……。

 それにしてもすっかり失念してた……円妙寺さんの原稿の事……あれどうしよう……。

 頭を抱え込むわたしに構わず、ちょっと頬を膨らませると、鉄砲塚さんは腕組みして、非難がましい口調で喋り出す。


「ヒドイじゃないですかー。おかげであたし、リョーコに頼まれてスイコーに付き合ってたんですから」

「そうか、推敲してたんだ……で、どうかな?どうにかなりそう?」

「誰に言ってるんですかあ、ブチョー。こう見えてもあたし、それなりに文章力には自信あるんですケド?」

「あ、そ、そうね。それは認めるわ」


 確かに、片言っぽいイントネーションを挟む口調とは違い、彼女の文章力は本物だ。

 ほんの数分前まで読んでいた彼女の作品を思い出して、うんうん、と頷く。

 でも、待って。円妙寺さんの作品の問題ってそういう事じゃない……よね?


「けど、文章力だけじゃなく、彼女の作品はそ、その……」

「ダイジョーブですって!ブチョーからボツを貰う事には慣れてるあたしが、ちゃ~んとキッチリバッチリアドバイスしてきましたから~」


 エヘン、と胸を張り、拳で胸を叩く鉄砲塚さん。ボツにされた事を威張るのもどうかと思うんだけど……。

 う~ん、けど、ああいう面白い作品書いた人間がそこまで言うのなら……信用してもいいのかなあ。半信半疑、ってとこだわ……。


「それにしても意外というか……鉄砲塚さんと円妙寺さんって、同じ一年生だけど、仲良いの?」

「意外ってなんですか~。あたしとリョーコは、チューガク時代からの付き合いで、親友なんです。シンユー」

「そ、そうなんだ……」

「大体、あたしが文章にキョーミ持ったのもリョーコのおかげですしね。あのコの作品には、すっごく影響されてるんです」

「あ、そ、それは何となく理解出来るような気がするわ……」


 ……やらしいという意味で。

 さすがに鉄砲塚さんの作品にはまだ縄なんかは出てきてはいないけど……ちゅ、注意しておいた方が良さそうね……。

 それにしても……ジャンルは違えど、や、やらしい物を書く人同士って、なんか惹かれあう習性でもあるのかな……二人の出会いって、まるで想像がつかないんだけど……。


「そうだ!宮嶋センパイから聞いたと思いますけど、今日はあたし、ちょっと古い作品をですねー」

「……ちょっと待って、鉄砲塚さん」


 喉まで出かかった「早く読ませて!!」の言葉をなんとか飲み込み、鞄から原稿の束を出そうとする彼女を手で制止する。

 はい?と不思議そうに首を傾げる鉄砲塚さんに、私は出来るだけの威厳ある声で、決して彼女の作品が好きだという事を気取られぬよう、慎重に言葉を選んで口に出す。


「……その事なんですけど、入学してから今まであなたが書いてきた作品、その中から一作だけ選んで今回は掲載する事にしました」

「え!?ホントーですか!?やったあ!!」


 バンザイして、ソファから飛び上がらんばかりに喜ぶ鉄砲塚さん。あ、そんなに嬉しいんだ……そりゃそうよね。自分の作品と言えば子供も同然だもの。それが皆に読まれるとなれば……。

 と、思ったら、鉄砲塚さんは掌を口に当てて、ウププ、と変な笑いをして私の顔を下から覗き見る。


「それってアレですよね~?ついにブチョーがあたしの作品読んで、認めてくれたって事ですよね~?」

「う、そ、それは………」

「隠さなくたっていいじゃないですか~!!で、どうでした?どの作品がお気に入りですかぁ!?」


 目をキラキラさせながらテーブルに乗り出し、私に詰め寄る鉄砲塚さん。

 ……この目はいつもの、自分の原稿を読む私の前に立った時の彼女の期待に満ちた目。何て言えばいいのかな……大好物を鼻先でちらつかせられている子猫の目というか……。

 正直に、「学園物が良かったわ!もうあのクライマックスは鳥肌!!」と答えるのもあまりに威厳がなさすぎるので、私は俯いてテーブルへと目を逸らす。

 それから逆に、テーブルの上に五作品を順序よく並べ、鉄砲塚さんに返答を促した。


「……とりあえず選んで下さい。あなたの中にだって、作品への愛着や、出来不出来があるでしょう?それを基準にして――――」

「じゃあ、ブチョーが選んでください。一番いいと思ったのを」


 テーブルに両肘を付き、開いた掌に顎を乗せてニマニマと笑う鉄砲塚さん。

 ぐ……間髪入れずにそう来たか……やるわね……!

 何やら将棋でも差しているような頭脳戦……一歩先を読まなければ負ける……!まあ将棋のルールは知らないけど、明らかに劣勢という事だけは確かだわ……。

 ………ここは一旦引いて、逆転を狙うしか手はない……!!


「……これがいいと思うわ」


 今すぐにでも内容について語り合いたい気持ちを押さえ、冷静さを装い、私は学園物を指し示した。

 その選択を見て、鉄砲塚さんは軽くガッツポーズ。


「やた!!あたしもそれはお気に入りなんですよね!特に、夕闇迫る教室でのカラミ、あそこは自信あるんです!!やっぱりブチョーもあのシーン良かったと思いますかぁ!?カンジちゃったとかー」

「か、かん……、こ、コホン、これを選んだのは私ではありません」

「え?じゃあ誰です?宮嶋センパイですか?それとも佐久間センパイ?」

「白峯先輩です」


 心の中で白峯先輩に土下座をする―――す、すいません先輩!!これも伝統ある文芸部の部長の威厳を保つ為!!ゆ、許して下さい……!!

 読んでない葵や果恵のせいには流石に出来ないんです……で、でも先輩は全部面白かったって仰ってましたから、う、嘘じゃないですよね!?

 うううううう、心苦しい思いで胸が一杯……で、でもなんとかこれで形勢逆転できた筈……今は話を続けなくちゃ……。


「―――それで、鉄砲塚さんも学園物で異存はないんですね?」

「………で……ですか……」

「?え?ごめんなさい、な、何て言ったの?」

「何でソコで白峯センパイの名前が出てくるんですか!!」


 普段の明るい鉄砲塚さんらしからぬ大声に驚いて、私は思わず顔を上げる。

 さっきまでテーブルに身を乗り出してた彼女は、今はソファに腰を下ろして、俯き、握った拳を震わせていた。

 その豹変ぶりに驚いた私が、今度は逆にソファから立ち上がってしまう。

 ど、どうしたの…?ま、前髪で顔が隠れてて表情がよく窺えないけど……?


「え!?て、鉄砲塚さん!?」

「あの人、もうこの部にカンケー無いですよね?そんな人になんであたしの書いた物読ませたんですか!?」

「か、関係ないって……あのね、あの人はこの部の前の部長で、そ、それにどうせ本になれば万人の目に止まるんだから、先輩にだって……」

「万人?例え九千九百九十九人に読まれても、読まれたくない一人だっているんですケド!?」


 テーブルを両手で勢いよく、バン!!と叩き、鉄砲塚さんも立ち上がった。

 面を上げた彼女の目には焔が点り、いつもの陽気な鉄砲塚さんとはまるで別人のよう。

 事ここに至って、ようやく白峯先輩からの別れ際の忠告が私の頭をよぎる。

 先輩にはこうなるのが分かってたの?!で、でも私はもう何がなんだか―――!?

 見た事もない彼女の剣幕に気圧されて、思わず私はいつも定位置である部長の机へと退避する。本当なら机の下に逃げ込みたいところよ!?部長の威厳の為に我慢するけど!!

 あ……失敗……このままじゃいつか部屋の隅に追い詰められちゃう……ど、ドア側に逃げれば良かった……。


「で、でも、そ、その、わ、私だけでは判断出来なかったから……そ、それに、鉄砲塚さんの作品を掲載すべきだって、私を説得して下さったのは白峯先輩なのよ!?」

「あの人に読まれるくらいなら、ケーサイされない方がまだマシです!!」

「ちょ、ちょっと落ち着いて!?先輩はあなたの作品をベタ褒めしててね、それで―――」

「はあ?そんなの全然嬉しくない、つか、むしろウットーシー!!あたしは、あの人がいなくなってから季刊誌が発行されるからって、安心してた位ですモン!!」


 じりじりと怒りを露に私へと迫る彼女。

 私の背後の窓から差し込む夕日に照らされて、黄金色に輝いている、普段は赤みがかった茶色い――真夏の太陽のような髪。

 ―――あれ?なんだろう。この表現、どこかで……!?

 い、今はいつもの脱線してるような余裕は一切ないんだけど―――でも―――。


「ね、ねえ鉄砲塚さん、ちょっと待って!こ、このシチュエーションって何かどこかで……」

「自分は読んでくれないクセに!!あたしはあんな人に読ませる為に作品仕上げたワケじゃないんですケド!!」

「え?い、いや私もそのね、じ、実は―――」

「ううん、ホントは誰が読んでくれなくったって、あたしは構わない!!」


 駄目だ……聞く耳持ってくれそうにない……。

 その時、トン、と後退る私の背中に走る軽い衝撃。

 振り向くと、そこには校庭を見渡せる大きな窓。

 夕闇迫る教室で、二人きりの少女。

 これって―――。

 私は、双円の真鍮細工の奥―――眼鏡のフレームの下の目を瞬かせた。


「もし、九億九千九百九十九万九千九百九十九人が、あたしの作品を読んでくれなかったとしても……」


 耳に響く鉄砲塚さんの声が、心無しか憂いを帯びて。


「………たった一人、ブチョーが読んでくれたらいいんです」


 小説の中の世界から、私は現実の彼女へと振り返る。

 いつの間にか、すぐ傍にまで迫っていた彼女―――それは私が心に描いていた久遠でも、宇宙海賊でも女探偵でもなく、鉄砲塚さんだ。

 そして、彼女に身体に手を回されているか弱く小さな獲物である私も、綾乃や、囚われの姫君や生贄の少女ではない……香坂史緒。

 ―――それでもきっと、作中でヒロインに囁かれる甘い愛の言葉は、彼女から私への………。


「……ブチョーが読んで、気がついてくれたら……それだけで……」


 優しく私の身体を抱きしめて、鉄砲塚さんは耳元で小さく呟いた。

 ―――もう、気が付いたわよ。

 ううん、やっと、だよね。鉄砲塚さんからしてみたら。

 私が、彼女の描くキャラクターに既視感があったり、いやらしいシーンに気恥しさを感じてしまったりするのは当然だった。

 舞台や設定をいくら変えても、そこに描かれていたのは彼女と私の、鉄砲塚沙弥と香坂史緒の物語だったから。

 白峯先輩の言葉の意味がようやく分ったわ。

 もしかしたらこの子は……本当に凄く純情な女の子なのかも。こんな回りくどい事して……不器用にも程があるわよ。

 鉄砲塚さんの少し震えている背中に手を回し、生まれたての子猫に触るように、そっと撫でる。


「うん……分かったよ、鉄砲塚さん」

「え……?」

「ううん、白峯先輩に読ませたの、あなたがなんで怒ってるのかは分からないんだけどね。でも、今分かったから。あなたが書いた学園物、私、大好きで何度も読み返したもの」

「ブチョー……」


 安心させるように、彼女の両頬に掌を当て、その瞳を見つめる。

 綺麗な長いまつげに縁どられた、猫みたいな大きな瞳。

 やがてその瞳が静かに閉じられ、私の顔へと近付き――――。


 !ちょっと待って!!


 私は必死に鉄砲塚さんの両頬に当てた手に力を込め、押し返す。

 けど、非力な私より、腰に回された手を引き寄せる鉄砲塚さんの力の方が何倍も強くて。

 あ―――そこまで小説通りなんだ……。


「ちょ!!て、鉄砲塚さん!!分かったのとそれは別問題なんだけど!?は、離して!!や、やめ―――」

「ウレシーです……ブチョー……」

「う、うん、嬉しいよね!?だ、だからとりあえず落ち着こ!?ね!?ね!?こういう事は文章ならともかく、私はその――――!!!」


 それと―――忘れてた……あのシーンでは綾乃も逃げられなかったわよね……。

 私の唇は、最後まで抵抗の言葉を発する事も許されなかった。彼女の肉厚で、柔らかな唇によって塞がれ、そ、その……た、たっぷりと舌で舌を飴のようにねぶられたから。

 その衝撃と、徹夜明けの睡眠不足が影響していたのだろうか。


 ―――これが、ファーストキスなんだけどな……。


 そう思った記憶を最後に、私は意識を失った。





第一章 「甘美に染まる放課後   鉄砲塚沙弥」―完―


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