第三章

正味第五話

 結論から言うと、結衣とコンビニに寄り道したあの日以降も、俺個人に向けた盗難事件は発生し続けた。

 ついでに霊感にでも目覚めたのか、結衣と別れた後は走って帰るのが習慣になってしまっていた。

 今だって、ほら、廊下の窓からこう、髪の長ーい女性がこっちを見ている気がして......。

 ......まずい、今晩は一人でトイレいけなさそうだぜ。

 悪いが俺の膀胱、今晩は耐え忍んでくれ。


 がまあ、それはさておき。


 俺の誕生日の前日の今日、五月二十四日までに積み上げられた盗難物の数は実に十五個。

 紛失したものはシャーペンや消しゴムなど小さな物から、一度カバンごとなくなったこともある。

 しかし、どれもその日のうちか、遅くとも翌日には俺のもとへと帰ってきている点は救いだった。


 カバンの中にはそれこそ携帯から、返ってきた財布も入っていたのでそれはもう焦ったね。

 あの焦りようを結衣に見られなかったのは本当に良かった。


 ......別に、格好悪いところを見せたくないとかじゃ、全然ない。

 ただ、財布の件に関してもそうだが、中身を漁った形跡はあるものの、盗られたものがないというのが逆に奇妙だった。

 そして今日もいつものように、今回は修正テープがなくなっていた。


「これ、また竹田の机の中に入ってたって、結衣が」

「おお、ありがと」

「続くね~。これで十六個目だっけ? なんかもう、逆にすごいよね」


 京介があっけらかんと言った。

 ......他人事だと思って。


「お前も一回くらい食らえば、そんなこと言ってられなくなるぞ」


 いっそどんな超能力か知らないが、数学の抜き打ちテストの問題用紙でも未然に盗ってくれていれば便利なのだが、犯人の思考にはどうやら特に入らないらしい。

 そのせいで、今日の抜き打ちテストの結果は散々だった。俺は悪くない、超能力者がとってくれれば万事解決だったのだ。


「そうかな、結局全部戻ってくるんでしょ?」

「まあ、一応......」


 テストの点は一生戻ってこないけどな。


「テストの点は、ちょっと勘弁だけど。――ね?」

「......うん」


 京介が隣にかける京香の頭をポンポンと叩くと、京香は顔を真っ赤にして、うつむきがちに小さな声で返事した。

 それを見て京介がほほ笑む。


 もうこいつから京香を奪ってやれ、超能力者。


「ごめん、遅れちゃった」

「全然いいよ、オレたちもほかのことやってたし」


 結衣は「ほんとごめーん」とか謝りつつ、俺の横の席に腰をおろし制服の襟をパタパタさせる。


「あづ~」

「......」

「どうかしたー?」

「......いや、なんでも」

「そー?」


 結衣は走ってやってきたのか軽く息が切れていた。

 ほんのり上気した頬を、艶やかに滴る汗。

 少し乱れた髪が、なんかこう、フェロモン的なものを発している気がして、


「田中、視線がやらしい」

「まあ、オレはわからないでもないよ」

「......京介?」

「じょ、冗談です......」

「そう」


 前列では修羅場ニアミスの危機が起きていた。

 なにか直接的な言動をするのではなく、ただ名前を呼びかけるだけで京介を震え上がらせる京香に恐怖を覚えつつ、俺はそっと前列の二人から距離を置いた。

 触らぬ神に祟りはないのである。


「田中」

「はい! なんでしょうか!」

「? ――まあいいけど」


 京香は京介の腕に、いつもより接地面積が増えるように抱き着きつつ続けた。


「そろそろ、犯人が確定できそう」

「おお......」

「さっすが京香ちゃんだねっ」


 結衣が言うと、京香は照れくさそうにはにかんだ。


「――でも現状、捕まえるすべがない」

「そんなのべつに、そいつに突撃するだけじゃダメなのか?」

「だめ、それじゃあ逆に私たちが悪者になる可能性もある」

「うーん」

「だから絶対、捕まえるなら現行犯しかない」


 京香は簡単そうに言うが、もうそれは不可能だと言っているものではないだろうか。

 考えても見てほしい。

 相手は、校内で最も機密性の高い資料のうちのひとつである定期試験の回答を改ざんした人間だ。

 そいつがいま、透明になってここで俺たちの話を聞いている可能性だって十二分にあるのだ。

 そうなれば当然隙など見せるはずもない。


「まあ、気合で、なんとか」


 京香がグッと力こぶを作ろうとするが、ほとんどいつもの細腕の状態と変わりなかった。


「何とかってお前......」


 思わず声がこぼれた。最終学歴高卒の足音が確実に近づいてきている。




 午後五時半、八限目の授業終了のチャイムが部室内に鳴り響く。

 特進科の連中は、受験生でもないのにこの時間まで授業を受けているとは、いやはや頭が上がらない。


「田中、バッグ確認」

「おーす」


 俺は、もはや近ごろの恒例となった部活終了後の紛失物確認のため、バッグのチャックをおろす。


「さてさてー、今日は......」

「どう、祐樹」

「――うん。ホッチキスがない」

「定期でも取ればいいの」


 京香め、なんてこと言いやがる。冗談、冗談ですからね超能力者さん。本気にしないでね~。

 ......これで盗られたら枕元に出てやろう。


「もう、そしたらあたしも帰れなくなっちゃうじゃん!」

「べつにお前は帰ればいいだろ。なんだ、当てつけか?」

「............ひどい」

「あー田中くん、いっけないんだー、結衣ちゃん泣かしたー」

「祐樹、ほら。――オレたちは先帰るから、ちゃんとしなきゃダメだぞ」


 京香は置いといても、親友の言うことは無視できなかった。

 ......まあ、今のは俺が悪い。

 それに明日は俺の誕生日、前日をこんな雰囲気で終えるのはよろしくないだろう。


「あの、なんだ。――その、悪かった......」

「......」

「ジュースおごる」

「許す!」


 現金な女だ。賢くはある。


「......うげ」


 結衣が急に顔を上げたので、その頭が俺の顎をかすめカエルみたいな声が出てしまった。


「変な声」

「......どっかでウシガエルでも鳴いたんだろ」

「そーかなー?」

「......」

「――いいけどさ~」


 結衣は意地悪そうな上目遣いをやめ、一歩引き、


「行こ!」


 その前に、「ジュースを買いに」という文言が入るのを俺は見逃さないのである。


 二百八十ミリリットルで百六十円の、ちょっとお高めなミルクコーヒーを買わされた。


 ***


 翌日。

 そう、ワクワクドキドキ、年に一度の「主役の日」、誕生日である。


「おにちゃん、おめでとー!」

「おお、祐奈も来週だろー」

「うん! 誕プレ、はずんでね!」

「お、おう......」


 来週七歳になる妹、田中祐奈はもっちもちのほっぺたを俺の手にすりすりこすりつけてきた。

 こいつめ、すでに兄に媚びを売るということを覚えたらしい。

 でもいいや。かわいいし、お兄ちゃん頑張っちゃうよ。


「おにちゃん大好きー」


 俺はもしかしたら世界で一番の幸せ者なのかもしれない。

 祐奈さえいればもう何を盗られてもいい気さえした。


「は、いかんいかん......」

「おにちゃん、行ってらっしゃーい!」


 祐奈との別れを惜しみつつ玄関を出て、小走りで結衣の家まで行くと、もうその家の前には茶髪のイマドキJKが立っていた。


「――あ、おはよー」

「おはよう」

「じゃあ」

「おう」


 二人して歩き出す。


「......」

「......」

「あの......」

「どした」

「......やっぱいい」


 結衣の歩くペースが少し上がった。

 つられて俺もペースを上げる。

 そのまま、静かなまま、俺たちはクラスで席に着くまでそんな感じだった。




 そして、永遠にも思われた六限の授業を終え、放課後。

 俺は、昼に京介から誕生日プレゼントとしてもらったトマトジュースのパックにストローをぶっさし、それを咥えて教室を出て部室に向かう。

 と、


「祐樹」

「ん」

「今日はオレと京香、五時くらいからしか顔出せないから」

「そうか」

「これ結衣ちゃんにも知らせてね」

「わかった」

「ああ、あと、結衣ちゃん、頑張って選んでたって、京香が」

「? おお......」


 謎の一言を残して、京介は俺を追い越して教室を後にした。

 なんだってんだ。......まあいい。

 俺が竹田たちに囲まれている結衣に目配せすると、結衣は笑顔でじゃあと言って輪を抜けてこちらにやってきた。


「ごめん。京介たちは?」

「あいつと京香、今日は五時くらいからしか部活出られないんだってさ」

「そっかー。二人って委員会入ってたっけ?」

「確か図書委員だな」


 京介はクラスでの壮絶なじゃんけん大会の末敗北し、空席だった図書委員会にねじ込まれていたのでよく覚えている。

 あの時の京介の微妙な顔と言ったらなかった。

 とはいえ本当の偶然で、隣のクラスでも同じことが起こり、京香が図書委員になったと聞いたときは驚いた。


「ふーん、そっか......」


 つぶやくように言って、結衣は部室に向けて歩き出した。




 部室に到着し、返ってきたUSBを差し込み、トマトジュースをすする。


「パソコン準備室、飲食禁止だよ」

「よくいうわ」


 そういう結衣も昨日は、購買に売っているお菓子やらジュースやらを俺にパシらせ、京香と二人でプチ女子会を開催していた。

 どの口が言うとはこのことである。


「べつに昨日のは......」

「べつにじゃない」

「そうだけど......」


 結衣はいじけたように両手の人差し指をつっつき合わせる。


「そんなこと言うと、誕プレ、あげるのやめる......」


 卑怯なり。


「次から気を付けます」

「ならいい、けど」


 言って、そっぽを向かれた。


「......」

「......」


 しばしのあいだ、沈黙が二人の間を支配する。


 真面目にゲームを作る結衣のキーボードの音と、だらだらネットサーフィンをする俺のクリック音の応酬が十分ほど続いた頃だ。


「あの、さ......」

「ん」

「もう......」

「......」

「ねえって」


 肩を揺さぶられる。

 なんだってんだ。俺は今忙しい。

 結衣の手前、わかりもしない株価の推移を眺め、アマゾンすげーとか言って賢ぶるのに必死なのである。


「......こっち、みて」


 株価なんかどうでもよくなった。


「どうした、急に」

「べつに、急じゃないし」

「......」

「なんか言ってよ」

「人にものを頼むときの態度がそれじゃあ言いたくなくなるなあ」

「......言ってるじゃん」

「あ」


 自分でもわかるほど間抜けな声を漏らすと、結衣は楽しそうに笑った。

 それを見ていると、なぜか胸の奥が熱くなる。


「じゃあ、もうそろそろ、本題だけど......」


 言うと、結衣はちょっと待ってと一言入れてから、足元に置いてあるバッグのチャックを下ろし、中からカサリと紙袋を取り出す。

 赤色の、小さな紙袋だった。


「あの、これ、誕プレ、です......」

「ど、どうも......」

「......」

「......」


 俺は何となく頭を掻きながら、結衣に目を合わせようとしては止めるを繰り返す。

それは結衣も似たようなもので、ちらちらこっちの反応をうかがっているのが分かった。


「っ」


 不意に、目が合った。

 いや、ようやくといったほうが適切かもしれない。


「じゃあ、これ......」

「はい......」


 顔を真っ赤にした結衣から、プレゼントの小さな紙袋を受け取る。偶然触れた結衣の手は、異常なほどに温かくて、




 まさに、その、瞬間だった。




「ぁ……」


 時が止まったような感覚に襲われ、手元を見ると、『それ』はもう無くなっていた。

 赤い紙袋、綺麗な小さい文字で俺の名前の書いてある、京香が「頑張って選んでいた」という、それ。

 たっぷり時間をかけて、耳まで赤くした結衣が差し出してくれた、それ。

 それ、すなわち


「……冗談じゃ、ない」


 なにかが切れる音がした。


「ゆうき!」


 結衣の静止の声を振り切り、俺は部室を飛び出す。

 隣の教室ではなぜか京介と京香が楽しげに話していた。


「おい、だれかここを通ったやつを見てないか!」


 半ば叫んだ。


「え、見てないけど」

「私も。ていうか結衣は――」

「――クソッ」


 つんのめりながら廊下をかける。ひた駆ける。

 教室を見つければ中を覗き、誰もいなければ次へ。


「ふざけんなよ……!」


 何が超能力者だ。クソ喰らえ。

 そんな力があるなら、もっと賢く使え。

 顔も知らない誰かに向かって悪態をつく。


 不意に、見覚えのある金髪の女子生徒が目に入った。

 頭が熱くなるのを感じる。

 なにかが沸騰したようなグツグツという幻聴が聞こえて、気がついた時にはそいつの肩を掴んでいた。


「! ちょっと、なに」

「……お前が超能力者か」

「は、なにそれ」

「とぼけんな!」

「うわ……。え、きもい」

「てめっ――」


 思わず肩をつかんだ手に力が入る。目の前が赤くなった気がした。


「ねえ、ちょっと、いたっ……!」

「いいから返せ! あれは大事な――」

「だから――うざいっ!」

「……っ!」


 金髪の女は俺を押し飛ばすと、一目散に逃げていく。

 後を追おうと立ち上がろうとするが、上手く力が入らない。ズボンの裾をあげ見てみれば、青い痣ができていた。


「……ち、くしょう」


 壁によりかかりつつ、無理やり立ち上がる。

 足に痛みが走るが構わず進み始める。

 やっと見つけた犯人だ、逃す訳には行かない。もはや気力だけが俺を前に動かしていた。

 しかし、あの女子生徒をあとを追い角を曲がろうとすると、トンと軽い衝撃が胸を押した。


「あ……」


 踏ん張ろうとするも、刺すような痛みに襲われ、そのまま尻もちをつく。鈍い痛み。

 ほぼ無意識なまま謝罪を述べる。


「……」


 だが、返答が返ってこない。

 そいつの足が動く気配もない。


 顔をあげようとすると、甘い香りが鼻腔をつき、とろけるような感覚が、柔らかい衝撃とともにやってきた。


「もう、いいから……」


 そう言うやつの髪の色は茶色だった。


 こういうと気持ち悪いかもしれないが、知っている香りがして、俺の胸元に押し付けられている頭の向こうから、聞いたことのある声がする。


 唐突に、手に温かい『なにか』が落ちてきた。


 感覚で、理解する。


「悪い、結衣……」


 つぶやくように言いながら、拳を握りしめた。

 切り忘れた爪が突き刺さり血が滲む。


「悪い……」


 つぶやくことしか出来なかった。

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