第二章
いつの間にやら第三話
部室に戻るやいなや、結衣はクワッと目を見開いた。
「なんでさっき止めたの! 絶対あいつ犯人じゃん!」
「結衣ちゃん......」
京介が落ち着かせようと試みるが、さすがにその表情は少し苦しげだ。
まあ、俺からしても今回の京香の判断はかなり意外だった。
落ちたものが国語便覧だとわかると、まず結衣が竹田につかみかかろうとした。が、それをすんでのところで京香が割って入り止め、急ぎ部室に帰還。
道中は落ち着いたように見えた結衣だったが、部室に入った途端これだ。
京香が結衣の前に躍り出た。
「竹田が犯人の線は、さっきの国語便覧のせいで薄くなった」
「嘘! さっきので確定したの!」
が、結衣は聞く耳を持たない。京香が目配せしてくる。
......やれやれ。
「ちょっと話聞いてみたらどうだ?」
「うるさい!」
泣いた。
「まあまあ、結衣ちゃん。京香にはもう真犯人の目星がほかについてるのかもしれないよ?」
「......それ、なら」
「京介、ありがと」
「これくらい、全然」
......まったく。
世の中結局イケメンらしい。
まあでも、どうせイケメンなんぞがもてはやされるのは学生のうちだけだ。
社会に出れば顔なんて二の次に違いない。
仕事さえできればいいのだ。つまりは金である。
高層ビルの最上階に住んで、風呂からワイン片手に下界を見下ろし『勝った』とひとり呟く男がかっこいいのだ。
......ここでも十七点が幅を利かせてきやがる。全く忌々しい。
数学を集中的に勉強することを心に決めた。
「じゃあ、話くらい、聞く......。――真犯人なんているの?」
「うん、いる。さっきの便覧がその証拠」
「? どうして?」
結衣が頭を傾げた。同時に俺も首をひねる。
「竹田は最初に田中の課題プリントを見つけたとき、本来、机の中は完全に空になっていたはずだと言っていた」
「でも、それが嘘かもしれないし......」
「いや、その可能性は薄い」
「なんで......」
「空になっているはずの机に何か入っていれば、それはすでに嘘をついたことになる。竹田はギャルだけどバカじゃない。そんな、すこし机の中を確認されるだけで不利になるようなこと、あんな大きな声で言わない。」
「でも......」
「それに、竹田が帰るといった時、机の中を気にしていたならぶつかるなんてミスは犯さない。というかまず、あのまま帰るなんて選択はしない」
京香の説明は、まあ少し考えれば納得できるようなものだったが、それはすべて『竹田が冷静に事を運ぼうとしていた』という前提のもとでようやく成り立つ。
しかし、その前提が成立するかどうかは竹田自身を問い詰めなくてはわからないことだ。
根本的な納得はまだできない。
「じゃあ、分かった。今から手っ取り早く真犯人の存在を証明するための実験をする。――田中、ジュース買ってきて」
「はあ? なんで?」
「実験で使うから」
「意味わからん」
こいつ、どさくさに紛れて俺をだまそうとしているんじゃなかろうか。
「べつに何の飲み物でもいい。早く――お金は払うから」
「......わかった」
「けっきょく金か」
うるせい。
田中祐樹はけっちいのである。
「買ってきたぞ。――で、これでどうすんだよ」
「どうも、じゃあこれ、読んで」
「?」
人数分のジュースを机に置くと、京香から紙が一枚渡された。
そこには
『下の文を読んで
ああ、このジュース高かったなあ
はやく飲みたいなあ』
京香に疑問のまなざしを向けてみるが、きょとんとした顔で返された。
......なんなんだ。
まあ、これも実験なのだろう。のってやるしかない
「あー。ジュース高かったなー。はやく飲みたいなー」
「で、でもちょっと今から教室戻るんだよね?」
「?」
結衣がぎこちなくそう言った。
「そうだよ。じゃあ、もう一回はなしを聞きに行こうか」
「うん。すぐ出よう」
京介も京香も、どこか硬さがある口調だ。が、京介たちはぞろぞろ出入り口に向かいだした。
......。
んん?
「......なんだ? これ」
「......しっ、だよ」
「......お、おう?」
結衣に状況を聞こうとしたらとがめられた。まあ、黙ってついていくことにしよう。
部室を出て、廊下を突き当りまで行き、階段に差し掛かろうかというところで、
「よし、戻ろう」
「はあ?」
「これで実験は終わり、あとは部室に戻って結果を見るだけ」
うちの部室には閉じてる間に実験成功に向けて働くようなソシャゲ的機能はなかったはずだ。
「まあ、祐樹。今は京香の言うとおりにしてみないか?」
な? と京介に促される。すでに京香と結衣は部室に向け歩き出していた。
やれ、つくづく俺ってやつは情けない。こういう時、バシッと「ノー」を突き付けられるくらいの気合が欲しいものだ。漫画の先生にはなれなさそうだ。
と、そうこうしているうちに部室の前までやってきた。
「で、どうなってたら成功なんだ?」
「まあ、見たらわかる」
焦らすなあ。
「じゃあ開ける」
どこからともなくごくりと唾をのむ音がした。いや、俺のものだ。
京香がスライドドアを開ける。そして、扉の先で起きていた異変に、俺はため息がこぼれた。
さっき、確かに机に置いたジュースが忽然と姿を消していたのだ。
「マジか」
京香の横を通り抜け、急ぎ先ほどジュースを置いた机の付近を探してみる。
が、一本たりとも見つからない。残るのは机の上の水滴だけだ。
「この部室から階段までの間にある教室に、ほかの生徒はいなかった」
窓はしまっている。信じられない強風で飛んで行った線はない。
ほかの生徒はこの部室の付近にはいない。
それはつまり、
「これが、超能力」
「......いや、この部室に隠れてるんじゃないか?」
「うん。オレもそう思う」
「......強情な」
「はい! 入口閉めたから逃げられないよ!」
「よくやった、結衣」
「どもども」
さて、真犯人はこの部室の中にいるに違いない。
いなかったらもう説明ができない。この部室は窓から逃げられない校舎の五階に位置している。
加えて窓の外には現在グラウンドで部活動にいそしむ生徒たちの目。
まずいちおう窓の外を確認。
まあ当然いない。
「京介、いたか?」
「......いや。とりあえず机の下には誰も......」
「ほら、だから言った」
「超能力とか信じられるかよ」
そんなことを認めてしまえば、もう俺の進級への道は閉ざされたといっても過言ではない。
......それだけは避けたい!
「クソッ! どこにもいない!」
「ほんとだね、掃除用具入れの中にもいなかったよ」
「だから言ったのに」
京香が不敵に笑った。
「祐樹、これはちょっと、京香の言うことを信じてみてもいいんじゃないかな......」
「ゆうき......」
京介が気まずそうな顔で俺を見てきた。結衣が心配げな声をこぼした。
......勘弁してくれ。
「......超能力者なんて、いてたまるか! 課題プリントもUSBも、全部そいつの仕業だってんなら、もう俺は進級できねえじゃねえか! ああん!? 普通に困るんだよ!」
高校中退とか、本当に笑えない。それが超能力者のせいだとか誰が信じる?
俺なら信じない。面接だって当然不採用だ。
「――田中、じゃあわかった」
「......何が?」
「もう一度実験をやる。今度は田中の財布をかばんから出しておいて」
「......」
「いくら入ってる?」
「......二千円くらい」
「じゃあ、あとで渡す」
もう取られることは前提らしい。
「ほら」
「うん、じゃあこれ、読んで」
茶色の長財布を机に投げると、京香からまた紙が渡された。
さっきとほとんど同じ内容の文が書かれている。
そこに書かれている嘘くさい文章を棒読みして、さっさと部室を出た。
もう一度階段まで歩き、回れ右して、部室に戻る。
「......ッ!」
締め切ったカーテンは微動だにしない。窓は完全に閉じている。
階段までの教室にやはり人影はなく、ここは地上五階。
逃げ道はない。俺は部室に急いで入り、半ば狂乱状態で、いるはずの犯人を捜した。
でも、
「これ、二千円と、実験手伝い料で心ばかりの五百円」
京香がニヤアと笑った。
「題して、超能力者参上、かな」
財布が、なくなっていた。
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