なんだただの第二話か

 はあ? 事件だって? そんなバカな。

 でもこれ、よくみたらちょっと筆跡も違うよね。

 いや、そういうのはちゃんとしたところで調べないと。

 結衣ちゃんはどう思う?

 え、うーん。まあ、違うかなあ。

 結衣が言うなら間違いないね。

 えぇ......。

 まあ何はともあれ、事件だよ、これは。



 翌日。


「どうだった? 復習」


 つらーい授業を六回乗り越えようやく放課後。部室のいつもの席に腰かけると、前の列の京介が振り向く。


「まあ意外とすんなりいったな。ていうか、なんとなく解答の写し間違いが多かった気がする」

「へえ、それも昨日のことと何か関係あったりするのかな?」

「いやないだろ。ま、もともと事件っていうのも変だしな」


 疑ってかかるのは悪くないと思うが、あれはちょっと度を越しているのではなかろうか。


「そうかな、あの京香が言うんだよ?」

「あいつの頭が切れるのは知ってる。でもそれとこれとは別じゃないか?」

「オレはそうは思わないな――っと、じゃ、またあとで」

「? ゆうき、なに話してたの?」


 結衣は頭の上に疑問符を浮かび上がらせながら俺の隣の席に腰を下ろした。


「昨日のテストのこと」

「ああ。――って、そのことなんだけどね、いま京香ちゃんが先生に聞きに行ったって」

「なにを?」

「だからー、改ざんしたんじゃないかー! とか」

「あいつ......」


 それ、怒られるの俺なんだが?

 あいつの数学の担当はあのヅラじゃないだろうに。

 

 まあ、どうせ止めるよう言っても聞き入れられないだろうし、もはや出来ることはあきらめるほかない。

 ため息をつきつつパソコンを起動し、パスワードを打ち込む。

 もう知らん、どうにでもなれだ。


 俺は文化祭にむけ製作中のゲームデータの入ったUSBを筆箱から取り出そうとして、またもやため息がこぼれた。


「どうかした?」


 横から結衣が不思議そうにこちらを見ていた。


「USB忘れた」

「そっか。じゃああたしのやつ代わりに作っといてよ」

「なんで」

「暇でしょ?」


 否定はできない。


「いやだね」

「なんでー?」


 ふいと目をそらし、結衣を無視してネットの海に潜る。

 へえ、星野原って結婚したのかぁ。相手は......ああ、納得。

 俺にもこんな美人な嫁さんが欲しいもんだ。

 ま、そのためにもまずはいい大学を出なきゃならん。

 ......十七点じゃ、それは無理か。


「......ゆうき、どうかした?」

「いや、べつに」


 こいつも将来、高収入高学歴高身長のイケメンと、華やかな結婚生活を送るのだろうと考えると、まったくいいよなあかわいい女子は。

 対して俺は男として赤点もいいとこだ。


 数少ない誇れるところといえば、身長と、ナニのサイズくらいなものだろう。

 ......つくづく終わってやがる。


 己の将来を案じて暗澹あんたんとした気持ちになっていると、部室のスライドドアが開いた。


「田中。聞いてきた」

「?」

「あのハゲに聞いてきた、テストのこと」


 京香は先に来ていた京介の隣に腰かけると、京介の腕に抱き着きつつ後ろの俺を見据える。


「で、なにかあったか?」


 特に何も期待はしていないが聞いてみた。

 まあむしろここで改ざんがあったとか言われれば、それはもうあの教師がやったと言ったに等しい。

 教師に悪いほうで目をつけられている事実など知りたくはない。


 てか、ハゲっていうのやめろ。


「結論から言うけど、なかった」


 当然『改ざんは』なかった、だろう。いちいちひとこと足らん奴だ。


「そうか、じゃあ――」

「まって」

「今度はなんだ」

「とりあえず先生がやった線はなくなった。でも、まだ生徒がやった線は残ってる」

「もともとそんな線無いだろ」

「ある」

「どこに?」


 今回のような中間試験の答案というのは、人によってはコピーまで取って大事に保管するような、かなり大切な書類だ。

 当然、生徒にはどこに保管してあるかすら分からない。


「あのハゲ、ほかのクラスの、まだ返却の終わっていない答案、結構適当なところに置いてた」

「......」

「だから、これから残ってる生徒に聞きに行く」


 京香はふんすと鼻を鳴らす。


「何を」

「改ざんしたかどうか」


 いっそすがすがしいほどにストレートな質問だった。


「ほら、京介も行くよ」

「え? ああ、わかった」


 京介もちょっとは反抗したらどうだ。

 恨めしい目線を送ってみるが、京香ともうすでに出入り口に向かい始めていた。

 残るは結衣だけだが、


「あ、あたしも行くー!」


 結局その後、俺も腕を引かれて教室まで連れていかれた。




 実物を見せるためとはいえ、何度も俺の十七点のテストを見せる京香を呪いつつ、一方そのおかげか突撃インタビューは着々と進んでいった。


「やってないって。俺、生粋の文系だから。

数学の点数とか他人のどころか自分のにも興味ないっての。がはは!

え? おれ? 左利きだけど。

てかそんなことより、これって――ああ、結衣ちゃんの金魚のフンのあいつか。

へえ、あいつあんま頭よくねーのかー」


「ヒナはやってない、です......。ほんと、ほんとです。

え? ヒナのを見せてほしい? は、はいです......。

――へ? あ、そうです、左利きです。あ、でも、お箸は右手で持ちます、です。

――というか、この田中さんって......あ、ですよね。

あの結衣さんがべったりくっついてる......チッ」


「何それ。冗談だったらちょーつまんない。あーし帰る。

――は? チクる? って、ふっざけないでよ!

――左利きがどうしたっての?

だいたい、こんな、たなか、ゆうじゅ? なんてやつ知らねーよ! 

何でこんな意味不明な奴のせいで――ああ、あの、結衣が仲良くしてやってるっていう。

へえ。あいつバカなんじゃん」


 という感じだった。


 どうしてみんな俺と結衣が仲良くしてることに対して悪態つくの?

 そんな釣り合ってない? 

 俺ってそんな負け犬のオーラ出てるのかしら......。


「これじゃらちが明かない」

「左利きだけピックアップしていても、意外と多いしね」


 京介が目を閉じてうなった。


「き、今日はもういいんじゃないか? もう日も暮れ始めてるし......」


 加えて俺への精神的負荷が大きすぎるので早急にやめてもらいたい。

 ......こういうのは、本人いないところで極秘にやってほしいところだ。


「......うん。まあ、今日は仕方ないかもね。京香、また明日やろう」

「京介が言うなら、わかった」


 ということであっさり今日はお開きとなった。

 いったん部室に戻り、バッグを肩にかけたところで、俺は思わず首をひねる。

 おかしい、軽すぎる。


「結衣、カバン間違えてないか?」

「えー? あたしのストラップついてるもん、間違えるわけないよ」

「......っかしいな」


 バッグの中を開けてみると、やっぱり少し前にUSBを取り出そうとした時より物量が目減りしていた。


 うーん。なるほど、国語便覧がなくなっているらしい。


「田中、また何かなくした?」

「おお、なんかあのアホみたいにデカい便覧がどっか行ったみたいだ」

「へえ」

「まあ、別にあんま使わないし、なくなってもいいけどさ」

「......見つけたらまた言う」

「ありがとな」


 京香は入り口で待っている京介の腕に抱き着いて部室を出ていった。

 はあ。今日は災難続きだ。

 これは帰り道に買い食いして帰るしかない。


「もー、早くしてよー」

「悪い。――よし、いいぞ」

「じゃ、電気消すよ」


 ***


 そしてまた次の日。早速放課後である。


「ない......」

「祐樹、またなにかなくしたの?」


 数学の赤点者のみに配られる課題プリントを消化しようとしたら、またも紛失してしまっていた。

 ......。

 昨日もらったばかりのプリントなくすとか、どんだけだよ。


「田中、事情はきいた。行こう」

「どこに?」

「残っている生徒に質問しに」


 京香はくるりと踵を返した。俺がその腕をつかんで待ったをかけると、心底いやそうな顔で腕が振り払われた。


「なに」

「なにって、別に今回プリントなくしたのは俺の責任だろ? なんでまた――」

「――いや、おそらくこれもテストを改ざんした人間と同じ犯行」


 犯行とまで言い切っちゃうか、この人は。

 まだ改ざんがあったとも、紛失ではなくて盗まれたという証拠もないのに、どうしてそこまで断言できるのだろう。


「生徒にリスクの大きい改ざんという手段を使ってまで、田中を狙って迷惑をかけに来ている人間なら、プリントを盗むくらいやって当然。何なら、昨日のUSBも国語便覧も、たぶんそう」

「なんで俺だけに限定してるってわかるんだよ」

「一応きのう、そういうことについても聞いていた。当然みんな田中みたいなことにはなっていない」

「でも......」

「放置すれば、本当に進級危うくなるけど、いいの?」


 あかん。


「祐樹、オレはお前と一緒に卒業したいなあ」

「ほら、京介もこう言ってるよ」

「う......。――で、でも、続くとも限らんだろう。それに、数学だけなら何とかなる」


 なんたって、俺は文系だ。

 数学の点数など必要ないのである。すでに、シグマ? シータ? 何それおいしいの? 状態だ。

 二次関数とか言う前に、まず一次関数で躓いていたりするのである。

 それに改ざんなんて手段、おそらくあのヅラみたいに、答案を雑に扱うような教師に対してしかできないはずだ。

 二度目があるとも思えない。


「いや、多分、つづく――加えて、ほかの教科でも例外じゃない」

「はあ? 他はさすがに無理に決まってるだろ」


 普通、採点前の答案を改ざんするなんて不可能だ。

 教師によっては試験をしたその日に採点を始めてしまう教師も、家に持ち帰ってしまう人だっている。


「あのハゲの数学のテストは最終日の一限にあった。加えて、あいつは試験監督中に採点するくらい点をつけるのがはやい」


 じゃあそれこそ改ざんだって無理だろう。


 さらに京香は、テスト直後の月曜日に数学の授業があるクラスは、同学年では俺の二年三組のみだと加えた。

 そうなると、おそらく一番優先して採点されるクラスだ。

 そして俺の出席番号は十二番と、前半寄り。


 試験監督中に採点するということを考えると、生徒側にある改ざんのチャンスは十五分の休憩時間しかない。


「だから多分、今回の犯人、なにか、ある」

「なにかって、なんだよ......」

「......」

「おい」

「これは私の推測でしかないけど、多分、超能力か何か」


 そりゃないだろ。全然説明になっていない。


「そんなら何でもありじゃねーかよ。対策のしようがない、黙って留年一直線だ。――だいたい、超能力なんてあるはずがない。あるってんなら、証拠の一つでも見せてみろよ」

「......」


 ほら見たことか。

 このまま畳みかけてやることもできたが、さすがに女子相手に正論でマウントをとるのは気が引ける。


 現実を見せてしまったかー。罪な男だ。俺が一仕事終えた気持ちで席に戻ろうとすると、今度は俺の腕が後ろにグイっと引っ張られた。

 バランスを崩しかけ、たたらを踏む羽目になる。京香をにらみ上げるが、どこ吹く風。


「でも、行くよ」

「へ?」

「さっきの話は置いといても、今日のプリントに関しては、改ざんとかかわりがある可能性が極めて高い」


 理由はさっき言った通り、と京香は付け足した。


「また途方もない人数に話を聞きに行かなきゃならんのか?」


 あんなの二度とごめんだ。ダイジェストは三人だけだったが、おそらくその十倍くらいの人には話を聞いた。


「いや今日は昨日よりも数を絞る」


 どうやってと聞くより前に、京香はにやりと口角を吊り上げ、人差し指で俺を制した。


 と、ちょうどそこに遅れて結衣がやってきた。


「あー、いたいた。ゆうきー」


 その手に何かプリントを持っている。

 いくつもの数式の書かれた、B4サイズで少し大きめな、縦長の。

 間違いない、数学の課題プリントだ。


「これ、ゆうきのじゃないかって、クラスの子が」


 はいと渡されたのを確認してみる。

 確かにそうだ。

 一度紙飛行機にしようとしたところ提出必須と聞かされ、もとに直した跡がある。というか名前が書いてあった。


 すると突然、京香が結衣にズイッと詰め寄った。その目がらんらんと輝いている。エサを目の前にした犬のように鼻息が荒い。


「それ、誰?」

「きょ、京香ちゃん?」

「いいから、それ、誰がいってた?」

「え、えっと......」


 結衣は歯切れ悪く、二の句を継ぐ。


竹田沙彩たけださあやちゃん、なんだけど......」

「竹田ね、わかった」


 京香が京介を引っ張りつつ部室を飛び出した。


「京香ちゃん!?」


 結衣もその後を追って出て行ってしまい、部室に一人取り残されてしまう。


「勘弁してくれ......」


 俺も部室を飛び出した。


 ***


 教室に着くとすでに京香が竹田に追及のまなざしを向けていた。


 竹田というのは、どうやら昨日最後に話を聞いた、一人称が「あーし」の人らしかった。

 知らなかったが、なんと俺と同じクラスらしい。


 京香が何か言ってさらに詰め寄ると、竹田は若干キレ気味でずずいと押し返している。

 それを京介がなだめるという構図だった。

 結衣は苦笑いで後ろに控え、様子を見ているだけだ。


「......結衣、今どうなってる?」

「......見たまんまだよ。めちゃウザがられてる」


 京香と竹田とはほとんど初対面だろうに、どうしてコイツはこんな無遠慮に接せるのだろうか。


「だから、そもそもあのテストに書いてあったやつのことなんか知らないし! なんだよ、もう!」

「じゃあなんで田中の課題プリントを持っていたの? 昨日見せてもらった時、竹田は赤点じゃなかったのに」

「なにもないと思って最後の確認したら、なぜか入ってたの! ほんと意味わかんない!」

「じゃあそれは誰が入れたのか見てないの? なんで見てないの?」

「ちょっと、京香......」

「......ごめん」


 京介はヒートアップした京香を厳しい顔で窘める一方、もう一方では申し訳なさそうに眉を寄せた。


「すみません、竹田さん」

「いや、べつに、良いけど......。――あーし、もう帰るからっ」


 そういって竹田が乱暴に立ち上がろうとすると、膝がガツンと机の脚にぶつかった。衝撃で机の中身が落ちてしまった。


 そう、落ちたのだ。


「だ、大丈夫ですか? ――はい、どうぞ」

「......ありがと」

「いえ全然......って、え......?」

「?」


 不意に、京介の教科書を拾う手が止まった。

 その手に握られているのは、赤い表紙のど真ん中に、縦書きで『国語便覧』と記されていた。


「これ、竹田さんの?」

「? 机に入ってたんだし、あーしのじゃない?」

「いやでも、竹田さん。ほら、ここに――」


 なにかと思って竹田が顔を近づけると、目を丸くして、まるで驚いたかのような顔をして声を漏らした。


「たなか、ゆうじゅ?」


 そこには下手な字で、俺の名前が書いてあったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る