第24話 ぼくのかんがえたさいこうのしゅうきょう
じゃあどんな宗教が悩み苦しむ人には有効なのでしょう。
町の郊外の片隅に江戸中期からつづくそれなりに由緒はあるけど、全国的にはほぼ無名の古びたお寺。住職はいつも柔和な笑顔を絶やさない四十歳くらいの独身の僧侶。
有髪・妻帯は現在の寺の常識だけど、彼は坊主頭と独身をかたくなに守っている。仏の道に帰依した身として、一般人とまったく同じではケジメがつかないというのが理由だ。
特に理由がないかぎり服装はいつも黄土色の作務衣である。洋服は知人の結婚式でもないかぎり着ない。
そもそも僧侶が美衣美食にこだわるのがおかしいとおもっているから、食事はお呼ばれでもないかぎり三度とも似たような質素な食事で、たいていは檀家さんから寄進されたものを適当に食べているだけだ。暑い時期にはそうめんを十日ぐらい連続してたべても平気である。
弟子というか住み込みのような下働きの青年がいる。大学受験に失敗して何年か引きこもり、親が困っていると聞いたので、それならうちで修行の真似事でもするかといったら、やってきて、もう二年になる。
いままでそんな感じで悩みを抱え挫折した若者が何人も内弟子になったが、やがて彼らは卒業して、自立した社会人になった。
彼もそうやっていつかここを出て行くことになるだろう。あるいは出て行かなくてもそれはそれで構わない。困っている人をできる範囲で助けるのが、仏法における慈悲というものだと思っているから。
寺の講堂には鍵はない。24時間開放されていて、近所の暇な老人やおばちゃん達の溜まり場になっていてる。
かれらは軽食やお菓子を持ち込んで、入れ代わり立ち代わり、しょっちゅうやってきてはよもやま話に花を咲かせる。
時には住職や弟子がその輪に加わることがあり、いつも笑いが絶えない。
住職は自分からは仏法を説くことはほとんどないが、聞かれたら般若心経でも観無量寿経でも歎異抄でも白骨のお文でも、何も知らない一般人にも判るように話す。彼自身は仏法は実践だと思っているから、読経や仏典の購読よりも社会活動を重んじる。
庫裡(くり)の畳の上の長机には、今の時期ならいつも氷で冷やしたそうめんを入れた大皿と、めんつゆ、薬味等が置かれ、いつでも誰でも好きなだけ食べられるようになっている。
ぶらりとやってきた連中が食べるかもしれないし、食べないかもしれない。食べなければ住職の夕食になる。だから夏はここの僧侶たちはそうめんばかり食べている。
ちなみにそうめんは檀家のおばちゃんたちが持ち込んだものだ。なので冬にはおでんやうどん、になったりもする。
「人間何をするにもまず飯を食え。どんなつらい時も飯を食えばなんとかなる」が住職のモットーで、そんな彼は境内の一角の小屋で子供食堂を平日の夕方にいとなんでいる。
食材や雑費は檀家の寄進の場合もあるし、町の住人の寄付の場合もある。毎日交代で大学生のボランティアがそれらを料理し、ついでに子供達の勉強の面倒をみている。無料の塾講師だ。
その中の一人は、幼少時に無責任な親に放置され、ここの子供食堂で暖かいご飯を食べるのが何よりの楽しみだった女性である。高等教育を受けたいとの彼女の望みをかなえるために住職が奔走し、奨学金を受けて彼女は大学生になった。
いまでもバイトと授業の両立だけでも大変なのに、恩返しのつもりなのか、子供達に無償で料理をつくり勉強を教える。
週末には、住職は日雇い労働者のスラム街で、下町の教会の牧師たちと協力して、仕事にあぶれた労働者やホームレスのために、おにぎりやカレーライスなどの炊き出しをおこなっている。
住職はその際に、ホームレスの身の上話を実に根気よく聞く。話している間に感極まって泣き出すホームレスもいる。その肩を叩きながら、住職は最後まで彼らの話を聞いてやる。
「他人を気にするな。どんな生き方をしても自分の人生だ。胸を張っていきろ」、そんな風に諭してやる。もっと努力してこの境遇から抜け出せという、上から目線の説教はしない。
人にはそれぞれ事情があり、他人がその心に土足で踏み入るものではないと知っているからだ。食事がすみ食器を洗い、住職は余りの食材を積んだオンボロの軽ワゴンで帰路に就く。
途中で真っ青な顔して踏切でたっている中年男性がいたので、声をかけて話を聞いてやる。中年はリストラで失職しマイホームも失い、不倫妻に逃げられ、娘は不良と家出して行方不明、何もかも失った。生きる意味を失い電車に飛び込もうかと考えていたと両手で顔を覆って泣いた。
住職は「人は意味があるから生きているんじゃない。生きているから意味があるんだ」と真摯に語る。
語りながら考える。講堂脇の小部屋は今は物置だが、掃除をすれば、人一人住めるはずだ。
そこでいう。
「袖振り合うも他生の縁という。あなたが良ければうちにきなさい。空腹だとろくな考えが浮かばない。まず飯を食おう。話はそれからだ」。
しばらくして落ち着いたら檀家の土建屋の社長に、この中年にできそうな仕事はないか、聞いてみるつもりだ。
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