第12話 良い事言う人々③ 一度死ぬほどの目にあってみる

私は以前、けた外れの「ふさぎの虫」だったが、現在はそうではない。1942年の夏、私はある経験をしたために、私の悩みは消え去った。


その年、アラスカの10メートルの底引き網漁船の乗組員となった。こんな小舟の為乗組員は三人しかいなかった。船長と助手、そして雑務をする船員が私であった。

この底引き網で鮭を取る漁法は潮次第なので、私は一日二十四時間働きとおすことも少なくなかった。それが一週間も続くこともあり、他の人がやりたくない仕事は全部私に押し付けられた。

甲板掃除、漁具の始末、モーターの臭気と熱気でむかつく狭いキャビンで、小さなコンロを使いながらの食事の支度、さらに皿洗いや船の修理もあった。捕った鮭を船からハシケに投げ込むのも私の仕事だった。

ハシケはそれを缶詰工場へ運ぶのである。私はゴム長靴を履いていたが、靴の中はいつも水でいっぱいだったが、それを出す暇もなかった。


しかし、以上のような仕事も「コルク線」と呼ばれたものを引き上げる仕事に比べたら、まったくの遊びだった。


この作業は、船尾にたって底引き網についているコルク製の浮き子や帯網を引き上げることであるが、網が重くて、引き上げようにもビクともしないのだ。


だから網を引くどころか、下手するとボートもろとも私の方が網に引っ張れそうになる。それを全力でどうにかボートに引き上げて、もとに位置にもどすのだ。


私はこの仕事を何週間も続けたので、身体が綿のように疲れてしまった。全身がおそろしく痛んだ。数か月後になっても痛みは変わらなかった。


そしてやっと休むことができると、私は船の食糧貯蔵庫の上の湿ったマットレスで眠った。私は背中の痛みが一番激しい箇所の下へマットレスの固い部分をあてがうようにして、毒薬をもられたみたいに眠った。

私は極度の疲労という毒薬を盛られたのだ。私はこうした苦痛と重労働に耐えられたことを今でも喜んでいる。おかげで、すっかり悩みを忘れてしまったからだ。


今では何か厄介な問題がおこると、悩む代わりにこう自問する。


「こいつとコルク引き揚げ作業とどっちが厄介だ?」と。


そこで自分は「いや、あれほど厄介なものではない」と答える。こうして私は元気を回復して、問題と取り組むようになる。人間は、ときどき半死半生の目に遭ってみるのも薬だと思われる。

底の底まで堕ちて、それを切り抜けるのだ。そうすれば日常の問題なんか、取るに足りないことに思えるようになるのではないだろうか。


by テッド エリクソン


この説話は二つの教訓を与えてくれます。悩んでいる暇がないくらい忙しい状態でいること、人間は一度に二つの事は考えられないもの、悩みがあるからこそ忘れるために忙しい状態でいなければならない。


そしてその忙しい状態を克服したならば、たいていの悩みはそれと比べて「たいしたことはない」と思えるようになる。それは悩みを克服する奥義の一つでしょう。


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