殺し屋とお買い物
「あ、この服可愛い!試着してきていいですか?」
「ええ、もちろん」
にこやかに笑う怜に「あざます!」と言ってから、試着室に飛び込むプルート。どこからどう見てもただの可愛い怜の彼女。少なくともその懐にナイフを隠し持ってる殺し屋さんとは思えない。
そんなプルートの着替えを、怜は店内に設置されたベンチに座って待つ。
「えー、めっちゃ可愛いじゃんー。それにする?」
「うーん…こっちも試着したい!」
「そっか。待ってるからねー」
ふと、そんな会話が聞こえてきた。
声のした方を見ると、薄い笑みを浮かべながらもその目に一切の生気が感じられない若い男とその恋人と思われる女性。彼女は数着の服を新しく引っ掴んで試着室に戻っていった。
「ふう…」
彼女の姿が見えなくなった途端に彼は大きなため息をつく。…と、こちらを見ている怜の視線に気づいたようで見つめ返して「ははは…」と誤魔化すような笑みを浮かべた。
「大変そうですね」
そんな彼に、怜も苦笑いで応じる。
大方、彼女の買い物に付き合わされているのだろう。恋人同士とはいえ女性の買い物に付き合うのは基本的に男性にとっては苦痛でしかない。
しかも、見るからに大量の衣類を試着室に持ち込んでいた。
時間がかかるのは必至。そしてお会計で地獄を見るのも必至。
「怜さん、これどうですか!?可愛くないですか?」
…と、満面の笑みを浮かべて試着室から出てきたのは言わずもがなプルートだ。ゆるい生地のトップスに、いわゆるスカンツと呼ばれる真っ黒のボトムス。楽でシンプルな組み合わせ。しかし、それが天使と見紛うほどに魅力的なのはその組み合わせのセンスか素材の良さか。
「佳奈さんのこと、一瞬天使かと思ったくらいですよ…。それ、とりあえず買いましょう」
「うわあ…。本気で言ってるってのが伝わってくるのがまた…」
苦笑いを浮かべ、しかし幸せそうに試着室に舞い戻るプルート。そして、すぐに元の服に着替えて出てきた。
「あとは…元々目をつけてた服があるのでそれだけ取ってきてもいいですか?」
「レジも近いですし、ここで待ってますね」
「はい!」
上機嫌で別の売り場に向かうプルートを見送り、プルートが買い物かごに突っ込んでいった服の値段を確認する怜。上下合わせて8000円ほど。高い。
まあ、とはいえ怜はプルートとの契約金ですっと200万差し出せるほどにはお金の蓄えはある。8000円程度の支出なんて毛ほどの痛痒も感じない。
ポケットから財布を取り出して確認するが当然問題ない。諭吉が10人いる。
「ほえぇ…幸せそうで…」
可愛らしいプルートの姿を見られて幸せそうな怜に、先ほどの彼がその目に虚無を浮かべて声をかける。
「あなたの彼女さんも美人ですし、目の保養とでも思えばそこまで苦痛じゃないんじゃないですかね?」
ほんの一瞬見ただけだが、かなりの美人な彼女だった。まあ、プルートさんほどじゃないですけどね…と怜は内心で思うのだが。
「僕が羨ましいって言ったのはですね…何も美人な彼女さんだからじゃなくて…。初々しくて、試着室の着替えで褒めたり褒められたりで一喜一憂できるのが羨ましいんですよ…。彼女の七変化なんて一年もすりゃあ見飽きますし、褒め言葉のレパートリーもなくなってくるんです…」
言葉通り、地獄の底のような表情を浮かべる彼がそう言った直後。
「お待たせ〜!ごめんね、時間かけちゃって」
彼の恋人が遂に買う服の厳選を終えたようで試着室から出てきた。
彼は待ってましたと言わんばかりの勢いで立ち上がり、買い物かごを持ってすたすたと歩き出す。
「じゃ、行こうか」
「うんっ」
上機嫌な彼女は、憔悴しきっている彼の心に気づいていない。
「もし僕があんな態度を取っていたらプルートさんならすぐ気づくんですけどねぇ…」
一人残った怜が口の中でそう呟きながら思い出すのはさっきのこと。
何やらシゴトとは関係のないことで悩んでいる様子だったプルート。
自分のことを考えてくれているのは何となく伝わってきたのだが、やはりそれで依頼に支障をきたすようでは頂けない。
なので、『演技をするならきっちりと。あなたは殺し屋でしょう?』と、そんな意図を込めて彼女を『プルート』と呼んだのだ。
彼女はその意図をしっかりと読み取ってくれたようで、考え事を後回しにしてくれた。
もし、プルートが自分の彼女になってくれるなら。いや、自分じゃなくても。誰かと恋に落ちたのなら。きっと彼女は相手の意図を完璧に読み取ってその望むことをしてくれるような、そんな女性なのだろう。
「あれ?怜さん、今私のこと考えてました?」
ふと気がつくと、目の前にあるのはプルートの端正な顔立ち。どうやら、考え事をしている間に目当ての服を見つけて戻ってきていたようだ。
「そんなことないですよ?ていうか、近いです。照れます」
「ふふ〜ん、照れちゃっていいんですよ?」
僅かに妖艶な雰囲気すら漂わせる揶揄うようなプルートの声色に思わず赤面する怜。ポーカーフェイスが完璧でも、興奮で加速する血流は操れない。
「え、怜さんが赤面してる…?もしかして私に惚れちゃいました?」
「今は恋人なんですから、惚れてて当たり前でしょう」
「またまた〜、苦しい言い訳を…」
揶揄うような口調のプルートだが、そんな彼女の頬も僅かに紅く染まっている。
「あれ、プルートさんこそ顔が赤いですよ?もしかして熱でも…?」
彼女こそ自分に恋愛感情なんて抱いているわけがない。体調を崩しているのならすぐに休んだほうがいい。
そう思った怜はプルートの綺麗な前髪を少しかき上げて額に手を当ててその体温を確認する。
「37.2くらい…あれ?どんどん熱が…大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫ですから!ていうかもう絶対わざとでしょ!?」
まさかのカウンターに顔を真っ赤にして逆ギレ気味のプルート。
だがしかし。わざとではない。わざとではないのだ。怜は本気でプルートの体調を慮り、熱があるのではないかと心配しての行動なのだ。
「ていうか、周りの目とか気にならないんですか!?」
「そんなこと言われましても…見られるのはいつものことですし…。何故かは分かりませんが」
「見られてるのは自覚してたんですね!?」
周りの目とかなんとか言いながら大声のツッコミを連発するプルート。そういえばこの前カフェでも周りの女子の視線完全に受け流してたな…なんて考える。
だが、もちろん他の客が見ているのは怜だけではない。もちろんその容姿故に怜に熱い視線を送っている女性は一定数いるが、それは実は少数。
というか、男性客の目当てはもちろんプルート。可憐な彼女を見てニヤニヤしている男性は多数いる。今も一人の男性がずーっとプルートを眺めているのを見かねた隣の女性に殴られたところだ。
しかし。もちろん大多数の感情は恋慕でも劣情でもない。
何か?
当然、『リア充爆発しろ』だ。
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