殺し屋と感情
その後に起きたことは孝之が応援を呼んで強盗未遂犯として三人を連行し、怜が少し事情聴取のために警察官に話を聞かれたくらいのもの。
こうして三人の刺客の襲撃事件は幕を閉じた。
「ちなみに、昨日言ったあなたのストーカーってのはさっきの兄です。僕を殺したあなたを現行犯で逮捕する算段だったみたいですね」
「えぇ…刑事としてどうなんですか…」
「助かったならそれでいいし、そうじゃなくても彼にとって僕は死んで当然の人間ですから。この前言った一人目の殺し屋さんも僕を殺そうとしたのと同じ手口で別のシゴトをしようとしていたところを僕の件からマークしていた彼に捕まったようです」
そう。孝之は由美から怜に送り込まれた殺し屋を逮捕することによって手柄を上げるつもりらしい。
善良な市民を囮にして手柄を上げるのなんて以ての外。それに、自分の身内が殺し屋なんて連中と繋がっていて幾度も人殺しの依頼をしているということを知りながらも摘発するどころかそれを利用して昇進の足掛けにするなんて誰がどう見ても刑事失格である。
「なんか…彼らの方が殺されるべき人間なんじゃないかと思ってきますね」
「それは僕の話しか聞いてないからそう思うんですよ。もしかしたら彼らにも尤もらしい理由があるのかもしれませんし、結果的にそのお陰で命を救われた人間もいるわけですから…」
複雑な問題だ。彼らの非人道的な行動のお陰で救われる命が少なからずある。怜は本心ではそんなこと微塵も思っていないのが彼の表情から丸わかりだが、確かに彼の言は正しい。怜の姉の意見が正しいという前提で話を進めた彼の家族の愚かさが原因で怜は無実の罪を被ることになったのだから。
それに、誰かを犠牲に誰かを幸せにするというのはプルートのシゴトにも通じるものがあって―――。
「そういえば、さっきはありがとうございました。咄嗟にあんなに演技ができるなんて流石ですね」
「あ、いえあれぐらいなら―――」
そこで、プルートはさっきのことを思い出した。
怜の彼女のフリをし、怜に髪を優しく撫でられて抱き寄せられ、プルート自身も彼の胸に顔を埋めた。
思えば、孝之があの嫉妬混じりの殺気を向けたのは全て怜に向けて。
殺し屋としての第六感としか言いようがないが、自分に対しての敵意は微塵も感じなかった。なのに、身体が反射的に警戒し、敵を排除せよと命令をした。
彼を殺されたら依頼を達成できないから?金を貰っているのにも関わらず彼に危害を加える可能性のある人物を放置しておくなど殺し屋としての沽券に関わるから?
――そんな簡単な、シゴトのための感情ではない。もっと、人間としての深奥の部分に関わるような―――
「…プルートさん?どうかしましたか?」
「…へ?あっ!」
プルートが気がつくと、怜が目の前で心配そうにプルートの顔を覗き込んでいた。
完全に油断していたプルートは反射的に距離を取ろうとしてフローリングで足を滑らせてしまう。
だが、昨日今日と2日連続で転んで頭を打って気絶なんて醜態は晒さない。転ぶ前にしっかりと受け身を―――
「だ、大丈夫ですか?プルートさんらしくもない――」
「っ…」
――――取る前に、サッと伸ばされた怜の腕によって腰を支点にプルートの体重は支えられていた。
結局さっきと同じくらいの距離感。しかし、少し困惑したような怜の顔がプルートには先ほどとは少し違って見えている。
さらりとした少し長めの髪が優しげな目に少しかかっている。慌てたように少し震えるその物憂げな目からは、本気でプルートの体調を慮っているのが窺えた。
しかし、その瞳の奥に渦巻いているのは漆黒の闇。本気でプルートを心配しながらもその闇だけは頑として揺るがない。
物憂げなその目をぼーっと見ていたら今にも吸い込まれてしまいそうで―――。
「い、いえ、大丈夫ですから!」
なんとか自分の足でバランスを保ち、怜に自らの無事を伝えるプルート。だが、その鼓動は速いなんてものじゃない。
早鐘を打つ心臓、その原因は足を滑らせて転びかけたことによる原始的な恐怖が原因だが、その直後に見た怜の顔が一層魅力的に見えたのは鼓動の加速の原因を脳が勘違いしたのが原因。一方的な吊り橋効果だ。
だが、もちろんそんなことはプルートも分かっている。脳の錯覚によって怜にドキドキしたと勘違いしたのだと理解した上で理性で感情を抑え込み、精神の平静を保つ。
「もし疲れているようでしたら遠慮なく休んでくださいね?常に気を張っているせいで有事の時に体調を崩すなんてことになったら元も子もないですから」
「あ、ありがとうございます…」
怜の何気ない気遣いがプルートの心に響く。あくまで雇い主として殺し屋が最高のパフォーマンスができるように体調管理をすることを求めているのだとしても、万が一他の意図があるのだとしてもプルートには関係ない。
怜が言うには、あくまで物語の登場人物の感情を寄せ集めて作ったツギハギの感情。しかし、プルートにとってその優しさだけはツギハギなんかじゃない、怜の本心からの思いやりに感じられたのだ。
ただ怜の優しい感情がこもった言葉一つ一つが紡がれる度にプルートの心臓が大きく弾み、不快なようで心地よい苦しみをプルートに強要する。
―――シゴトのために感情を制御し、封じ込めて依頼を遂行する殺し屋。その殺し屋の中でも特に感情の制御に長けたプルートの胸に、このシゴトを始めて以来初めての決して無視することのできない感情が生まれた瞬間だった。
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