殺し屋と銃
「…てめェ、誰だ?篠崎怜に同居人がいるなんざ聞いてないんだが」
「あなたこそ誰?人に名前を訊くなら自分から名乗るのは常識だと思うのだけれど?」
額に青筋を浮かべて部屋に侵入してくる大男に、手に持ったエモノと明らかにそぐわない仕草で優しい笑みを浮かべてそう問うプルート。
「…お前、同業か?なら何故その部屋にいる奴を守ってんだ?俺はソイツに『自分を殺せ』ってな依頼を受けたんだが」
そう言いながら男は怪訝な表情を浮かべる。それを見てプルートは彼の雇い主が怜であることを確信した。
「…私は、彼から『自分を守れ』って依頼を受けてるの。だから、あなたとは敵ってわけ」
「チッ、きな臭い依頼だと思ったらそういうことか」
プルートがそう言った瞬間、彼女の纏う気配が変容する。
先ほどまでは右手にナイフを持っているにも関わらず無邪気な少女をも思わせる明るい雰囲気だったのに、今では気の弱い人間なら失禁してしまうほどの濃密な殺気を放っている。
比較的小柄なプルートが対峙する男より大きく見えるほどの存在感を孕んだその殺気は、その余波だけで部屋の間仕切りから2人を覗いている怜の肌を粟立てさせるほど。
それを間近で浴びた大男は額に脂汗が浮かんでいる。それはプルートの殺気に中てられて小さなナイフで自らがバラバラに切り刻まれる姿を幻視したから。目の前の女が自分より圧倒的な格上で、彼女が道端のアリを踏み潰すことと同じくらい容易に自分の命を弄ぶことができる存在だと本能的に理解したのだ。
しかし、彼はその本能に逆らう。逆らってしまう。念の為に用意していた懐の膨らみが彼の気を大きくしたのだ。
流石は本業の殺し屋というべきか、彼は滑らかな動作で懐から一丁の拳銃を取り出してプルートの額に向ける。
「てめぇイカれてんのか?」
「そんなもので私を殺せるとでも?」
「撃たねえと思ってんのか?」
「撃ったところで、あなたじゃ私を殺せないと言ってるんだよ」
まるで自分が拳銃を出すことを予測していたような言動のプルートに、大男は僅かに恐怖を覚える。
そう。プルートは動じない。右手に持ったそのナイフを眼前に構えたまま、油断なく男の動作を観察するのみ。
当然、皮膚に鉄板を埋め込んでいるわけでもなければ頭蓋骨が銃弾を弾く特別製なわけでもない。
だが、彼女は拳銃如きの弾丸が自分の身体に到達できないことを知っていた。
―――否、到達させない方法を知っていた。
「じゃあ、死ね」
パシュッ。
自分の中で『この女はただの馬鹿だ』と無理やり結論を出した男は、未だに心臓を鷲掴みにされていると錯覚するほどの殺気を放つ女を敵に回すことを決意する。
男が銃口を向けていたのはプルートの額。その上でその不意をついて心臓を狙って発砲。
だが―――
キンッ
「なっ…!?」
プルートの心臓を貫くかに思われた弾丸は甲高い音を響かせて弾かれ、部屋の壁にめり込んだ。
当然、プルートの胸ポケットに入れていたスマホやお守りにたまたま当たったわけでもなければ仕込んでいた鉄板に弾かれたわけでもない。
何せ、その弾丸を弾いたのは彼女の手の中にある小さなナイフ。
「な…なにが…」
男はただただ困惑する。射撃のタイミングを読まれて躱されることはあっても、あんなにも小さなナイフで銃弾を弾かれたことなど一度もない。そもそも、普通ならナイフが弾き飛ばされるかその刃が砕けるかのどちらか。それに、数センチでも読みがズレれば自らの心臓に銃弾が直撃。そうなれば待っているのは確実な死だ。
あまりに常識から外れたプルートの行動に男の思考は一瞬真っ白になり、コンマ数秒というプルートにとっては十分すぎる隙を晒すことになる。
濃密な殺気をその場に置き去りに、一瞬にして完全に気配を消したプルートが瞬く間に肉薄する。その華奢な身体から発せられていたとは思えないほど膨大な存在感に意識が惑わされ、相対する男は当然のことながら後ろから観察していた怜でさえもプルートの動きに目が追いつかなかったほど。
プルートが未だ目を白黒させている男の右手首にナイフを僅かに滑らせ、その結果として寸分の狂いもなく彼の手首の腱が切断される。
彼女の動きを認識すらできていない標的の急所を切断するなど、そのナイフ一本で何十人と殺してきた彼女にとってはまさに赤子の手をひねるのと同じくらい容易なこと。
ゴトッ。
「…?」
手首から先の力が抜けた男は思わず手に持った拳銃を取り落とす。しかし、未だに何が起こったのか理解できずにフローリングに転がる自身の拳銃に目を落とした。そして、自らの手首の小さな傷に気がついた。
「ッ!?くっ、ああああぁぁぁぁッッ!!!」
しかし、人間の脳はそこまで長時間の現実逃避を許してはくれない。突如として爆発した脳を灼かれるような痛みに、男は小さく裂けた右手首を左手で強く掴んでその場に小さく蹲る。
傷口自体はどこかで擦ったような小さなもの。しかし、その年齢にしては異常なほどの経験を積んだ殺し屋による一条の傷は感覚神経を最も効果的に刺激し、その脳を痛みで支配するまさに死神の一撃。
男が取り落した拳銃を足で後ろに滑らせ、プルートは蹲る男の後頭部にナイフの柄を躊躇いもなく振り下ろした。
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