殺し屋と標的の仕事 1

「―――とまあ、僕の過去についてはこんな感じです」

「…」


…何も言えなかった。今も飄々とした態度を貫いているこの男は、その軽薄そうにも見える表情の裏にどれだけの闇を抱えているのか。


よく観察してみると、怜は少し息が荒く、表情もどこか苦しげだった。

喋り疲れたといった感じでもない。その瞳の奥に激しい憎悪の炎がメラメラと燃えているのが見て取れる。先ほどの話の最中さなかに姉の顔を思い出したのだろうか、プルートに気付かれないように静かに深呼吸を繰り返している。


嘘なのか勘違いなのかは分からないが、たった一度の謂れのない罪で貴重な青春を奪われ、その上精神に大きな傷を負った怜。


「でも、軽微な感情がほぼないって言う割には不自然な言動多いですよね?」


そう。プルートに哀れみの表情を向けたり、穏やかに笑うその姿を見ても『ああ、この人は感情がないんだな』とはプルートにはとても思えなかった。

そんなプルートの率直な疑問に、その質問は予想していたとでも言うかのように怜が答える。


「例えば、ドラマに出演してる人って本当に登場人物のように怒ったり喜んだりしてると思いますか?」

「――え?」


予想外の返答にきょとんとするプルートに怜が更に言葉を続ける。


「彼らは台本を読み、このシーンならきっとこんな感情でこんな喋り方をするのが妥当だと、そう判断した上でしているんですよ」

「ということは、あなたもそうだと?」


怜は小さく頷いてから答える。


「その通りです。さっきの部屋の本、見ましたよね?」

「あの、純文学やらラノベやら漫画やらが大量に詰まってる本棚のことですよね?」

「ええ。あれが今の僕の主な感情の源です。登場人物たちはどういったプロセスで思考して行動しているのか。こんな事案が起こった時にどんな行動を取るのか。感情というものはどれほど抑制すべきなのか、しないべきなのか。それを現実世界に当てはめて実践している、言わばツギハギの感情なんです。まぁ、ただ些細な事で心動かされなくなったので自力で動かしている、といった方が近いですかね」


再び、プルートは絶句する。しかし心の中でどこか納得もしていた。


普通の人間では考えられない、気が触れているのではないかと思うような言動。

どこか物語の登場人物のような印象を受ける言葉選び。

自分を狙っていた殺し屋を家に連れ込むという謎の行動。

ペラペラと語る割にはどこか自分の言葉ではないような違和感。


彼の感情には全く左右されない、『作品の登場人物だったらこんな行動をするだろう』の寄せ集めで動いているのだったら全て説明がつく。


「納得していただけましたか?」

「…一応は」


プルートは、今まで自分が世界で一番不幸だと思っていた。幼い頃に祖父母は亡くなり、両親は強盗に殺された。その殺し屋を自らの手で殺し、親友は強姦の果てに殺された。その犯人をまた殺し、それを機に殺しの道へ―――。

ここまで特異な人生は他にないと思う。ここまで不幸な人生も他にないと思っていた。

こうやって自分にあった仕事があって日銭を稼げている時点で世界で一番ではないのかもしれないが。


だが、既に亡くなっているとはいえ未だにその愛を実感できるほど家族に愛されている自分と、まだ生きている家族に心底憎まれ、嫌われ、その挽回の余地すらない人間。

そのどちらが不幸かと言われると、プルートには判断はできなかった。そもそも人の不幸の度合いなど比べるものではないのかもしれないが。


今のシゴトはそれなりに楽しい。人殺しが楽しいと言うのは語弊しかないが、誰かから依頼が来るほど憎まれているのに法的に罰することが出来ない人間を始末することで世のため人のためになっているという実感があるのだ。

あの夢に出てきた両親が望んでいたような職業とは絶対に違うが、プルートはそれなりにこの仕事に誇りを持ってやっていた。


なら、怜はどうなのか―――。


「そういえば、怜さんはお仕事は何を?」

「ついてきてください」


怜はそう言って立ち上がり、先ほどプルートが目覚めた部屋へと向かう。

プルートがそれについていくと、怜はつけっぱなしだったパソコンの前で何やら操作していた。


「これです」


そう言ってパソコンデスクの前から退き、画面をプルートに見せる怜。



3つのモニターに表示されていたのは合計で5つのウィンドウだ。


そのうち2つはYouTubeチャンネルで、残りの3つはとあるweb小説投稿サイトのワークスペース。


「これって…」


つまり、怜の仕事は俗に言うYouTuberと小説家ということだろうか。


「正確にはなんですけどね」

「…は?」


プルートの思考を読んだかのようにあっけらかんとそう言う怜。

ちなみに、と残して本棚の一つへ向かう。


「これが小説家としての僕の処女作、『YouTuberの転生』です」


本棚から抜き出してきた数冊の文庫本、その表紙には彼が言ったように『YouTuberの転生』というタイトルと共に数人の男女が描かれている。


「へぇ。書籍化されるような人気作家さんなんですね」


Web小説だとかに関してはプルートはそこまで詳しいわけではないが、書籍化されるということは人気があって面白い小説なのだろう。


「まあ、それなりには。で、ここからここまでが僕の作品です。別にわざわざ自分で買ったわけじゃなくて担当の人に貰っただけですからもし気になったらいつでも読んでくださいね」

「…。…えーっと?」


プルートが困惑するのも無理はない。だって、怜が指差した区画は60冊くらいの文庫本があるから。


今怜が本棚に戻している『YouTuberの転生』は10巻くらいだったから、単純計算で6作品…。

いくらプルートがweb小説だとかに疎いといえど、20歳の怜がここまで人気の作家だというのが異常だということくらいはっきりと分かる。


嘘かとも思ったが、先ほどの画面を確認すると全く同じタイトルの小説が表示されている。3つのアカウントでそれぞれ2つずつの合計6作品。


「えーっと…なんでアカウント分けてるんですか?」


普通に考えたら訊くべきはそこじゃない。「なんでそんなに若いのにこんなに書籍化されてるの!?」だ。


「昔使ってたアカウントが書籍化まであと少しというところで姉バレしましてね。ソッコーで裏から手回しされて書籍化の話が無しになりまして」


悲しげに俯いてそう答える怜。


――えーと…ということは最低でももう一作品はあったということ…


「また見つかって潰されても困るので別にしているというわけです。まあ、一回目のアカウントがバレたのはTwitter経由だったらしいので完全に杞憂でしたけどね。そもそも姉はネット小説なんて読むような人種じゃ――」

「怜さん」


怜の言葉を遮り、パーカーのポケットから怜に返してもらったナイフを取り出して周囲を警戒するプルート。放つ気配が変わったプルートの様子に、怜は即座にその口を閉じる。プルートは窓から外を覗き、目を瞑って周囲の音を聴く。


「…来てるんですか?」

「ええ、恐らく」


周囲を警戒するプルートの態度に、が来ている可能性が高いと一瞬で理解する怜。


どうやら、プルートが失敗したことに気付いた依頼主がまた別の殺し屋を送り込んできたようだ。

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