弟と姉 2
その日、俺は一日中思考の渦の中にいた。授業は完全に上の空で、先生に何度かそれを咎められた。
どうすれば無罪を証明できるのか?
ただ、ずっとそれだけを考えていた。
―――故に、嵌められたということに気付くのが遅れてしまったのだ。
結局、俺は『自分が無罪であることの証明』ができなかった。犯行が不可能なわけでもなければ、真犯人を突き出すこともできない。そもそも、何も知らないのだ。
ただ宿題を終わらせて寝て、起きたら変態の汚名を着せられていた。こんなの、予測でもしてなければどうやって回避しろと言うのか。
学校から帰った俺が、リビングのソファに座って待っていた母に「やってないことの証明はできない」と伝えると、母は静かに泣き出した。
大好きな母の憔悴しきった姿に俺は耐えられず、一つの提案をした。
「俺が―――出ていくよ。母さんと姉さんがおじいちゃんの家に住むなんてことしなくても、姉さんに変態だと思われてる俺が出ていった方がいいでしょ?」
と。
自己犠牲、なんて立派なものじゃない。ただ、一言言ってほしかっただけだった。少しでも信じてほしいだけだった。
「こんなに優しい子が由美にあんな酷いことするはずないわ。母さん達が間違ってたのね」と。
だが、そのあまりに薄すぎる期待はあっさりと裏切られる。
ガチャ。
玄関のドアの開く音。
それを聞いた直後、
「由美。リビングに来ちゃダメ」
今まで聞いたことのない、凍りつくような声だった。本能的な恐怖を感じ、脚が震えてその場に崩れ落ちそうになったのを今でも覚えている。
歯をガチガチと震わせてその場に佇む俺には目もくれず、母さんは玄関の方へ向かった。玄関で待つ姉さんと何やら話し、2人一緒に2階へと。
一人残された俺は先ほどの母さんの様子のことで頭がいっぱいだった。憤怒、失望、侮蔑…。少なくとも実の息子に向けるものではない負の感情を全部込めたような、そんな憎悪を向けられたように感じた。
いつの間にかへたり込んでいた俺が次に耳にしたのは、2人が階段を降りてきてそのまま玄関から外に出ていく音。
このタイミングを逃したらもう二度と冤罪を晴らすことはできないと頭では分かっていたが、どうしても身体が動かない。声をかけようにも喉からはかすれた声が出るばかり。もう、引き止める気力すら湧かなかったのだ。
そのまましばらく経ち、兄さんが帰ってきた。兄さんはリビングで一人ぼうっとしている俺を認識すると、一度舌打ちをしてすぐに自室のある2階へと上がっていってしまった。
その日から、家族に会話はほとんど会話はなくなった。
…。
…虚無だった。一枚の白い紙に文字を書き続けたらいずれは真っ黒になってしまうように、『何故』の二文字に真っ黒に染められた俺の心は一切の光の存在をも許さぬ虚無へと染まっていたのだ。
朝浮かんだ疑問にも、新しく浮かんだ疑問にも未だに一切答えは見つかっていない。
何故、姉さんは俺だと思ったのか。
何故、みんなは何かの間違いじゃないかと疑わなかったのか。
何故、俺の意見は聞き入れられないのか。
何故、母さんは公平に見てくれないのか。
何故、家族はバラバラになってしまったのか。
何故?何故、何故、何故、何故、何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故―――――――――。
だが、俺の疑問に答えてくれる者は誰一人としていない。
兄さんも、仕事を終えて帰ってきた父さんも俺の疑問に対する答えは持ち合わせていなかった。
全ての真相は姉さんの記憶の中。姉さんの記憶の中の俺はいつ、どんなことを姉さんにしたのか。とにかくそれが知りたくて仕方がなかった。それさえ分かればまだ誤解を解く糸口が見つかるかもしれないのに。
…だが、犯人だと思われている人間が被害者にそんなことを質問するなんて論外だと、まだ幼かった俺でも知っている。
だが、誰か他の人に代わりに訊いてもらうなんてこともできない。当時の俺は家族の仲を引き裂いた変態でしかない。それに、みんなの中では既に有罪と確定している奴が協力を求めたところで誰が応じるというのか。
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