標的とピザトースト
「ええ、まあ。何か手伝えること、ありませんか?」
「そうですね…。では、皿と飲み物の用意をお願いします。皿とコップはあそこの棚、飲み物は冷蔵庫から好きなものを。あ、できればその前にテーブルの上を拭いておいていただけると助かります」
「わかりました」
指示を出しながら棚の一つを指差す怜に短く答えてテーブルの上に置いてあったウェットティッシュを取り出して丁寧にテーブルを拭き始めるプルート。
怜は具材を乗せた食パンをオーブンに入れ、タイマーをセットしたところでふと思い出す。
「そういえば、あなたの名前って?」
「今更ですか?――プルート、です」
コードネーム。怜の脳裏にそんな言葉が浮かぶ。そして、怜の記憶にある限りでは確かプルートはローマ神話で冥府を司る神。ギリシャ神話ではハデスにあたるとされている。また、英語では冥王星を表す単語でもある。
「へえ。いいセンスしてますね。殺し屋っぽくてカッコいいと思いますよ」
「殺し屋っぽいじゃなくて殺し屋なんですけどね?」
怜が素直に褒めると冗談めかして笑うプルート。怜が指示した棚からコップと皿を、冷蔵庫から牛乳を取り出す。
「篠崎さんも牛乳でいいですか?」
「あ、僕はコレがあるので」
そう言って怜がキッチンの隅のレジ袋から取り出したのは一本のスチール缶。
見覚えがあるどころか、自分の靴痕がはっきりとついているその缶を見てプルートは僅かに表情を歪める。
「それ…やっぱりあなたのだったんですね」
「ええ。まさかあんなに綺麗に引っかかってくれるとは思いませんでしたけどね」
どうやったのかは知らないが、プルートと話している間にこっそり転がしておいて踏ませたらしい。
それと、と繋げて怜が再び口を開く。
「僕のことは怜でいいですよ。苗字で呼ばれるのあまり好きじゃありませんし…」
過去を思い出した怜の表情が一瞬だけ陰る。しかし、次の瞬間には元のにこやかな顔に戻って手に持った缶に入っているエナジードリンクを呷っていた。
「じゃあ…怜さん」
「はい、なんでしょうプルートさん?」
「もしかしてさっきから私を口説いてます?」
あまりに予想外の質問に目を丸くする怜。
ちょうどその時オーブンのタイマーが止まり、ピピピピ…と音を立てた。
「あの…すみません、どうしてそう思うんですか?」
オーブンから出した香ばしい匂いのピザトーストを皿に乗せながら怜が心底不思議そうに尋ねる。
「だってその…名前で呼べって言ったり…さっきだってさりげなく美人とかなんとか言われましたし…」
テーブルにもたれかかり、俯いて少し恥ずかしそうにそう言うプルート。
その顔を見る限りではとても彼女が殺し屋などという殺伐とした稼業を生業にしているとは思えない。まあ、年頃の可愛らしい女の子のように振る舞うのも殺し屋としての技術の一つなのかもしれないが。
「すみません、そんなつもりはなかったのですが…。もし不快でしたら以後気をつけます」
「ああいえ、そういうわけではなくて…」
「…?どうすれば?」
わざわざそんなことを言うということは、少なからず不快だから苦言を呈しているのだろう。なら何故…?
「いいです。怜さんが真性の女たらしだってことが分かったのでもう結構です。そんなことよりそれ、せっかく美味しそうなのに冷めちゃいますよ」
「勝手に自分の中で完結させて不当な結論出すのやめてもらってもいいですか?」
怜を非難するような目で軽く睨みつけながら怜の手元のピザトーストを指差すプルート。怜は不当な評価に口を尖らせつつも美味しそうな湯気を上げているピザトーストを乗せた皿をテーブルに持っていく。
女たらしだなんて今まで一度も言われたことがない。それどころか、怜は生まれてから一度も恋人が出来たことがなかった。
「いただきまーす」
「…いただきます」
未だに不愉快そうな表情を浮かべながらトーストをかじるプルート。それに倣って怜も。
「プルートさんって殺し屋なのに結構感情的ですよね」
「シゴトの時は感情殺してやりますけどね、オフの時は結構感情的になるものなんですよ。今だって相手が何考えてるか分からない変な男じゃなかったら色々とツッコみまくってるところです」
「何考えてるか分からないってことないでしょう?思ってることは全部伝えてるじゃないですか」
「はいはい、そういうことにしておきます。で、お姉さんと何があったんですか?」
「なんか冷たいですね…。まあいいです。始まりは僕が13歳の頃でした―――」
そうして、怜は語り始めた。つまらない姉弟喧嘩の話を。
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