殺し屋と買収
「えっと…何の冗談ですか?」
プルートは目の前に差し出された2つの札束から目を離し、柔和な笑みを浮かべる怜にそう問うた。
「あれ、冗談に聞こえました?僕は本気であなたを買収しようとしてるんですよ」
一層訳がわからない。
何故目の前のこの男は、昨日自分を殺そうとした人間に200万なんて大金を差し出しているのか。それに、流石にこの距離なら今自分が右手に握りしめているナイフを目の前で間抜けにも急所を晒している標的の首を掻っ切ることだって容易。どう考えても怜を殺して200万を奪い取り、ネットカフェに戻って依頼達成の報告をするのがベスト。
だが――
「詳しく、聞かせてください…」
――できなかった。今ここで目の前の男を殺すのが最適解だと頭では分かっているのに、身体が動かないのだ。
標的に簡単にあしらわれ、気を失うなんて醜態を晒したプルートの心には羞恥心や怒りとは違う感情―――即ち、恩義や興味が生まれていた。それは、他の殺し屋と比べていくらか感情的なプルートでもこのシゴトを始めてから感じたことのない感情。
――何故、この男は自分を助けたのか。
――何故、この男は自分を殺そうとした人間とこんなにも冷静に話しているのか。
――何故、この男は自分を買収しようとしているのか。
他にも疑問はたくさんあるが、これらの疑問に対する答えが得られるまではプルートにはこの男を殺すことなどできそうになかった。いや、そもそも技術的な不安要素もあるのだが。
頭の中で大量の疑問が渦巻くプルートに対し、怜は真面目な表情を作ると語るような口調で言葉を紡いだ。
「これから、あなたのように僕に依頼された殺し屋が時々僕を殺しに来ると思うんです。それらから僕を守ってほしいんですよ」
「誰かを殺すんじゃなくて、あなたを守れっていう依頼?」
黙って頷く怜に対して、プルートは怜の言葉を頭の中で反芻する。プルートは誰かの警護なんて依頼は今まで受けたことがない。断ってきたという意味ではなく、今までそういった依頼は一度も来ていないのだ。
というか、難易度が桁違い。何かを作るよりも何かを壊す方が遥かに容易なのと同じように、如何に優れた殺し屋であっても、殺されないように守るという任務は困難を極める。
「あなたならどれだけ殺し屋が来ようと返り討ちにできる気がするんですけど?」
「いや、素手やナイフならまだしも銃を持ってこられたらどうにもなりませんからね」
怜は頬を掻きながら自嘲するように笑う。
――いや、そのタイミングでその笑みはおかしいでしょ。『銃相手に素手で対処できない僕が悪いんですけどね』って言ってるのと同じじゃん。
それに、実はプルートはかなりの手練れだ。
怜にこそ軽くあしらわれたものの、少し前に依頼された暴力団幹部の暗殺では馬鹿みたいに厳重な警備をかいくぐって標的を自然死させた。
今までの100を超えるシゴトで失敗したのは今回が初めてだし、同業者相手でも直接戦闘で負けた試しがない。
例え相手が銃を持っていたとしても、不意討ちさえされなければ負けない自信はあった。
「はあ…分かりました。依頼内容はあなたの警護。私はあなたを殺そうとする殺し屋を始末すればいいんですね?」
「話が早くて助かります」
「期間は?」
当然の疑問が頭に浮かんだプルートがそう尋ねると怜は顎に手を当ててしばらく考えてから、
「僕がとある目的を達するまで。どちらにせよそれまでは僕を狙う連中は送り込まれると思いますし、僕が目的を果たせばそれも止まりますので」
「どういうことですか?」
「これを見て下さい」
プルートの疑問に対し、怜はズボンのポケットからスマホを取り出すとその画面をプルートに見せる。
「これなんですけどね」
画面に表示されているのは、『篠崎由美 YMG48』というTwitterアカウント。フォロー人数が数十人なのに対してフォロワー数は200万人を超えている。
「これって…」
テレビはほぼ観ず、アイドルなんていう自らと対極の存在になんて微塵も興味がないプルートでも知っている有名人だ。街中の広告なんかでもよく出てくる。
「大人気アイドルグループのセンターの人ですよね?」
「これ、僕の姉なんです」
「は?」
我が耳を疑うプルート。いや、怜は至って真面目な表情で言ってるし嘘だと断定する証拠もないのでとりあえず信じるしかない。
仮に彼が重度のアイドルオタクで彼女を妄想の中で自分の姉だと認識しているとしても、だ。
「それで、お姉さんと殺し屋となんの関係が?」
当然の疑問。国民的アイドルと殺し屋の間にどんな接点があるというのか。
「僕になりすまして僕の暗殺を依頼してるのはですね、この人なんですよ」
「…は?」
今度こそプルートは自分の耳か怜の頭がおかしいのではないかと疑った。
実の姉が、しかも国民的アイドルが自分の弟の殺害を殺し屋に依頼する?
殺しというのは、実行犯だけではなく依頼した方にも大きなリスクがあるものだ。
なにせ、依頼したことがバレたらもちろん実行犯と同じ様に裁かれる。殺人教唆だって立派な犯罪だ。
ましてや、国民的アイドルなんだったらその地位に登り詰めるまでにそれこそ死ぬほどの努力をしてきたことだろう。よっぽどの理由がない限り――いや、普通ならよっぽどの理由があっても殺し屋に依頼を出すなんてリスキーな判断はしない。
いや、そもそも。
「あなたはなんでそれを?」
そう。彼の態度から察するに昨日の昼には怜は自分の命が狙われていることは知らなかったはずだし、例え『便利屋プルート』の裏サイトにたどり着けたとしても依頼内容に関してはプルート本人でしか確認できない。少なくとも依頼人を特定するのは不可能なはずだ。
「あなた、昨日のカフェでアルバイトとして働いてましたよね?」
「なんでそれを…って、気付かないはずありませんよね」
「こんなに美人な人滅多にいませんしね。で、あのカフェに僕を呼び出したのが兄なんですよ」
「姉じゃなくて?」
話の流れがめちゃくちゃだ。何故ここで兄が出てくるのか。やっと痛みが引いてきたプルートの頭が今度は内部から痛む。
「まあ、簡単に言うと僕は兄と姉に嫌われてるんです。…いや、姉には憎まれてるって言ったほうが正しいのかな」
「で、そのあなたを憎んでる2人がわざわざ殺し屋を雇って殺そうとしている?」
「ええ、まあ。実は誰かに殺されかけたのは今回で3回目なんです」
「えぇ…」
自分の命を狙っている相手は殺しを生業としているプロだというのに、今回含め3回もその魔の手を逃れたというのか…。
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